銀幕の愉楽

劇場で観た映画のことを中心に、適当に無責任に書いています。

【映画】ファントム・スレッド

劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’18-37
ファントム・スレッド』(2017年 アメリカ)
 

うんちく

パンチドランク・ラブ』『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』『ザ・マスター』で世界三大映画祭の監督賞を制覇したポール・トーマス・アンダーソンの長編第8作目となる本作は、第二次世界大戦後の英国オートクチュール界を背景に、仕立て屋とミューズの関係を描く。アカデミー主演男優賞を獲得した『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』以来、10年振りに監督とタッグを組んだ主演の名優ダニエル・デイ=ルイスは、裁縫師のもとでおよそ1年間修行を積み撮影に臨んだ。また、本作をもって俳優業の引退を表明している。ルクセンブルク出身の新鋭ヴィッキー・クリープス、『家族の庭』などのレスリー・マンヴィルらが共演。レディオヘッドのメンバーとしても活動するジョニー・グリーンウッドが音楽を手掛け、50点もの衣装をゼロから仕立て上げた衣装のマーク・ブリッジスはアカデミー賞衣装デザイン賞を受賞した。
 

あらすじ

1950年代、ロンドン。唯一無二のデザインと職人技術で英国の高級婦人ファッション界の中心に君臨する仕立て屋のレイノルズ。ある日、別荘地のウェイトレスのアルマに一目惚れした彼は、彼女を新たなミューズとして迎え入れる。しかし、若く情熱的なアルマはレイノルズの心に入り込み、彼が長年かけて築き上げた孤高の領域をかき乱していく。苛立つレイノルズはアルマに対して無神経な態度を繰り返し、不満を募らせた彼女はある日、朝食に微量の毒を混ぜ込むが……
 

かんそう

名優ダニエル・デイ=ルイスの引退作にして、ポール・トーマス・アンダーソン監督の傑作だ。なんと表現していいのか、とにかく巧すぎて圧倒された。完璧主義のPTAが丹念に拵えた、プロット、構成、演出、衣装、映像、音楽、そして「音」が、恐ろしく統制のとれた美しい世界を創り出している。そこで展開される複雑怪奇な歪んだ人間模様が、まるで普遍的なもののように描き出されていることに戦慄する。自分を完璧に仕立て上げる朝に始まり、厳格なルーチンで生活の全てを創作に捧げているレイノルズ。田舎のウエイトレスだったアルマは彼に見初められ、一夜にして上流階級へと引き上げられた。当時(今も)階級社会のイギリスにおいては夢のような話であり、『マイ・フェア・レディ』の世界だ。彼はアルマの“完璧な身体”を愛し、彼女をモデルに昼夜問わず取り憑かれたようにドレスを作り続ける。どうやら彼の母親の体型に似ているらしいアルマは、16歳から母親の”亡霊”に取り憑かれている彼において”完璧”だったのだ。しかし自己中心的な彼にとって女性は創作の道具に過ぎず、これまで彼のルーチンを乱す者は容赦無く棄てられてきた。ところがアルマは他の女性と違い、情熱的で純粋で図太く、そして賢かったのだ。巧妙な駆け引きを繰り返し、主従関係が行き来する二人のあいだには、常にヒリヒリとした緊張感が漂う。アルマはレイノルズを意のままにすることで自己肯定し、レイノルズはアルマを通して母親の”亡霊”を見る。もう、ホラーの域である。そうして運命の二人が辿り着く、倒錯した愛のかたちは、まったく理解しがたいほどに甘美で狂おしい。