銀幕の愉楽

劇場で観た映画のことを中心に、適当に無責任に書いています。

【映画】あのこと

映画日誌’22-48:あのこと
 

introduction:

アニー・エルノーの短編小説「事件」を原作に、法律で中絶が禁止されていた1960年代のフランスで望まぬ妊娠をした女子学生の苦悩の日々を描いたドラマ。『ナチス第三の男』などの脚本を手がけたオードレイ・ディヴァンが監督・脚本を務め、第78回ベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞した。主演は『ヴィオレッタ』などのアナマリア・ヴァルトロメイ。『仕立て屋の恋』などのサンドリーヌ・ボネール、『燃ゆる女の肖像』などのルアナ・バイラミらが共演する。(2021年 フランス)
 

story:

貧しい労働者階級の生まれながら持ち前の知性と努力で大学に進学したアンヌは、未来を掴むための学位にも手が届こうとしていた。ところが、大事な試験を前に自分が妊娠していることが判明し途方に暮れてしまう。1960年代のフランスは中絶が違法であり、医者にも突き放され孤立していくアンヌ。自分が望む未来を手に入れるため、あらゆる解決策を求めて奔走するが...
 

review:

ガツンとくる衝撃作だった。原作は、2022年度のノーベル文学賞を受賞した作家アニー・エルノーが若き日の実体験をもとに綴った短編小説「事件」。アニー・エルノーと言えば同じく映画化された「シンプルな情熱」の作者でもあり、こちらも自身の実体験を綴ったものだ。エルノー女史、なかなか激しい人生を歩んでおられる・・・。
 
女子大生が望まぬ妊娠をして処置をするべく奔走する、という物語は『4ヶ月、3週と2日』を思い出す。こちらはチャウシェスク政権下によって個人の自由が制限されていたルーマニアが舞台なので然もありなんという気がするが、フランスにおいて人工妊娠中絶が合法化したのが1975年と知って驚いたし、それでもカトリック主要国では初と知って驚いた。まだ半世紀なのだ。
 
なお我が日本では堕胎罪が存在し基本的には違法だが、母体保護法によって不妊手術及び人工妊娠中絶に関する堕胎罪の例外事項が定められている。母体保護法の前身である優生保護法の施行が1948年なので、比較的早いと言える。そして今年はアメリ最高裁判所が女性の人工妊娠中絶権を認めた1973年の「ロー対ウェイド判決」を破棄し、世界に激震が走った。
 
なぜ女性に選択する権利が与えられないのか、女性だけが心身に負担を強いられるのか。アンヌが冒頭で叫んだ「不公平よ」の一言に尽きる。医者も相手の男も、登場する男はみんな完全なる傍観者で、何の役にも立たない。同じ女性として視覚的にも心情的にも痛々しくて直視できない場面がいくつもあったが、傍観者たる男性はこれを観て何を感じるのだろうか。
 
ディヴァン監督がアスペクト比1.37:1のスタンダードサイズを選んだのは、カメラとアンヌを完全に同期させるためとのこと。カメラはアンヌにぴったりと寄り添い、彼女の目線や呼吸を捉えていく。観る側はいつしかアンヌと一体化し、人生を選びとるためにリスクを冒すアンヌと共に「事件」を体験することになる。凄まじい映画体験だった。映画ファンならばぜひ劇場で体感していただきたい。
 

trailer: