銀幕の愉楽

劇場で観た映画のことを中心に、適当に無責任に書いています。

【映画】ふたりの女王 メアリーとエリザベス

劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’19-18
ふたりの女王 メアリーとエリザベス』(2018年 イギリス)
 

うんちく

スコットランド女王メアリー・スチュアートと、イングランド女王エリザベスI世の波乱万丈の人生を描いた歴史ドラマ。『レディ・バード』ほか3度のアカデミー賞ノミネートのシアーシャ・ローナン、『アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル』で同じくアカデミー賞にノミネートされたマーゴット・ロビーが、16世紀英国を生きた2人の女王を演じる。ガイ・ピアース、ジャック・ロウデン、ジョー・アルウィンらが脇を固める。監督はイギリス演劇界のトップ女性演出家ジョージー・ルーク。本作が長編映画監督デビューとなる。『エリザベス』および『エリザベス:ゴールデン・エイジ』を手掛けたスタッフが集結し、第91回アカデミー賞の衣装デザイン賞、メイクアップ&ヘアスタイリング賞にノミネートされた。
 

あらすじ

0歳でスコットランド女王、16歳でフランス王妃となったメアリー・スチュアート。18歳で夫のフランス王を亡くし未亡人となったメアリーは、スコットランドに帰国し王位に就くと、女王エリザベスⅠ世が統治する隣国イングランドの王位継承権を主張し、両者の間に緊張が走る。しかし当時のスコットランドプロテスタント教徒たちが勢力を拡大しており、カトリックの女王を快く思わない彼らの陰謀や内乱などによって、メアリーは何度も王位を脅かされていた。一方、イングランドを統治するエリザベスは、自分より美しく、結婚や出産を経験したメアリーに対して複雑な感情を抱きつつ、自身の結婚による王室の混乱を避けるため、独身を貫いていた。
 

かんそう

歴史劇だから、時代背景がわかってないと理解できないかも…!!と上映前に焦ってググる。高校時代に日本史と地理を選択してしまったため、世界史がイマイチである。大人として恥ずかしくない程度には知識を補完したが、それでも全体像の把握がイマイチなので、時代背景をググる。時は16世紀、イングランドスコットランドは激しく睨み合っていたらしい。一方その頃日本では、花の慶次が助右衛門から「傾くなら傾き通せ」と言われていた戦国時代である(そこか)。年を重ねるごとに装いが豪奢になり、白塗りした顔の周りをレースの大きな襟で囲い、全身を真珠で飾ったエリザベス一世。傾奇者の慶次郎と気が合ったかもね、みたいな中途半端なインプットで観たので少々不安だったが、それはまったくの杞憂であった。男たちの陰謀が渦巻く宮廷で、運命に翻弄されまいと気高く立ち回る2人の女王。権力を持つ者だけが抱える悲哀や苦悩、孤独が余すところなく映し出されており、物語を立体的に紡いでゆく。荘厳な映像美で描かれる2人の女王の葛藤のドラマは、スリリングかつドラマチックな展開で釘付けになってしまった。そして何と言っても、マーゴット・ロビーの凄みある演技が印象的だ。『アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル』でも度肝を抜かれたが、マーゴットの底力は計り知れない。シアーシャ・ローナンともども、その演技は大いに見応えがあった。そして世界史の知識はあったほうがいい。
 

【映画】運び屋

劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’19-17
『運び屋』(2018年 アメリカ)
 

うんちく

ミリオンダラー・ベイビー』『グラン・トリノ』などで知られる巨匠クリント・イーストウッドが、自身の監督作品では10年振りに主演を務めた人間ドラマ。「The New York Times Magazine」に掲載された、87歳の老人が大量のコカインを運んでいたという記事に着想を得、脚本は『グラン・トリノ』のニック・シェンクイーストウッド監督作『アメリカン・スナイパー』などのブラッドリー・クーパー、『マトリックス』シリーズなどのローレンス・フィッシュバーンアンディ・ガルシアらが共演している。
 

あらすじ

家庭をないがしろにして仕事一筋に生きてきた90歳のアール・ストーンは、商売に失敗して自宅を差し押さえられ、行き場を失い途方に暮れてしまう。そんなとき、孫娘の婚約パーティーで知り合った男に、車で荷物を運ぶだけの仕事を持ちかけられる。何の疑いも持たずにそれを引き受けたアールだったが、その荷物の中身は麻薬だった。高額な報酬に躊躇いながら、いつしかメキシコの麻薬カルテルの「運び屋」となってしまうが...
 

かんそう

クリント・イーストウッド大先生が10年振りに自ら主演を務めた作品である。これは心して観なければならぬ。と少々意気込み過ぎたかもしれない。『ミリオンダラー・ベイビー』『グラン・トリノ』『アメリカン・スナイパー』と、彼の作品には、頭を殴られるような、そして心をえぐられるような衝撃を与えられてきた。正直、今回はそれほどのインパクトを感じなかったので少々肩透かしをくらった気分だったが、後々、イーストウッドがこの作品に込めたメッセージを反芻すればするほど、この軽やかなタッチで描かれた物語が孕む「凄み」が押し寄せてくる。『グラン・トリノ』同様、保守的なアメリカ白人男性が主人公のマッチョな映画である。そしてまた、同様に贖罪の物語でもある。特記すべきは、『グラン・トリノ』のときよりも、その登場人物の描かれ方や顛末が前時代的だということだ。時代の変化についていけず置き去りにされた老人が、保守的なステレオタイプの環境で快楽を享受する様子が繰り返し描かれる。これがトランプ政権が支持される今のアメリカを象徴するものならば、イーストウッドは今撮るべき映画を撮った、ということだろう。そのことを考えると、映画監督クリント・イーストウッドの感性の鋭さに脱帽する。そしてやっぱり、俳優クリント・イーストウッドは抜群にカッコよかった。御年88歳、これからも作品を生み出し続けてくれることを切に願う。
 

【映画】ビール・ストリートの恋人たち

劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’19-16
『ビール・ストリートの恋人たち』(2018年 アメリカ)
 

うんちく

前作『ムーンライト』で第89回アカデミー賞作品賞に輝いたバリー・ジェンキンス監督が、ドキュメンタリー映画私はあなたのニグロではない』の原作でも知られる米黒人文学を代表する作家ジェームズ・ボールドウィンの小説をもとに、1970年代ニューヨークのハーレムに生きる若い恋人たちの愛を描いたヒューマンドラマ。『ムーンライト』と同じく「プランB」が製作に名を連ね、オーディションで抜てきされた新人女優キキ・レイン、『栄光のランナー/1936ベルリン』などのステファン・ジェームスが出演。第91回アカデミー賞では脚色、助演女優、作曲賞の3部門にノミネートされ、母親役のレジーナ・キング助演女優賞受賞に輝いた。
 

あらすじ

1970年代のニューヨーク。19歳のティッシュと22歳のファニーは、幼いころから共に育った幼馴染だったが、いつしか互いを運命の相手として意識するようになり、愛を確かめ合うようになる。強い絆で結ばれたふたりは幸せな生活を送っていたが、ある日、小さな諍いで白人警察の怒りを買ったファニーが身の覚えのない強姦罪で逮捕されてしまう。ふたりの愛を守るため、家族と友人たちはファニーを助け出そうと奔走するが...
 

かんそう

ビール・ストリートは、アメリカ・テネシー州のメンフィスに実在する通りの名前だ。繁華街の中心部にあるこの通りは、アフリカ系アメリカ人によって作られた音楽“ブルース”発祥の地であり、音楽、エンターテインメント、歴史の中枢でもある。いわば、困難な状況に置かれながら、美しい音楽を生み出してきた黒人たちの”強さ”を象徴するものだ。アメリ黒人文学を代表する作家ジェームズ・ボールドウィンがこのタイトルに込めた願いに思いを馳せる。ハーレム生まれのボールドウィンは1948年からパリに暮らしていたが、1957年アメリカに帰還し、マルコムXキング牧師らとともに公民権運動に身を投じる。「私はニガーではない。私がニガーだと思う人はニガーが必要な人だ。白人がニガーを生み出したのです。何のために?それを問えれば未来はあります。」と『私はあなたのニグロではない』で語っている。原作が発表された1974年から45年の年月が経っているが、黒人の冤罪事件は無くなっていない。本作の舞台を現代に置き換えたとしても、違和感はないだろう。その怒りと嘆きを、バリー・ジェンキンス監督らしい、静かな語り口で紡いでいく。美しい旋律と官能的な映像によって、若いふたりのイノセントな、美しい純愛が描かれる。そのロマンチックな世界に横たわる、理不尽な、しかし如何ともしがたい現実。言われのない差別に晒される黒人たちの、終わりのない悲しみと苦しみ。そんな世界にあっても、汚されることのない魂と、揺るぎのない愛を持ち続けるふたりの姿は、心に深い余韻を残す。
 
「歴史は過去ではない、現在だ。我々は歴史と共にある、我々が歴史なのだ。この事実を無視するのは犯罪と同じだ。」——ジェームズ・ボールドウィン
 

【映画】グリーンブック

劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’19-15
『グリーンブック』(2018年 アメリカ)
 

うんちく

人種差別が色濃く残る1960年代のアメリカ南部を舞台に、黒人ジャズピアニストと彼に雇われたイタリア系白人運転手が育んだ友情を描いた人間ドラマ。実話がベースとなっており、本作の主人公トニー・リップの息子ニック・バレロンガが製作・共同脚本として参加している。監督は『メリーに首ったけ』『愛しのローズマリー』などのコメディ作品で知られるピーター・ファレリー。『はじまりへの旅』などのヴィゴ・モーテンセン、『ムーンライト』などのマハーシャラ・アリが共演。第91回アカデミー賞では全5部門でノミネートされ、作品賞のほか脚本賞助演男優賞を受賞した。
 

あらすじ

1962年、ニューヨーク。高級ナイトクラブ「コパカバーナ」で用心棒を務めるトニー・リップは、粗野で無学だったが、口が達者で腕っぷしが強く、周囲から頼りにされていた。そんなある日、クラブが改装のため閉鎖することに。しばらくのあいだ無職になってしまったトニーは、黒人ジャズピアニストのドクター・シャーリーの運転手として雇われ、黒人差別が色濃い南部での演奏ツアーに同行することになった。二人は黒人用旅行ガイド「グリーンブック」を頼りに出発するが、出自も性格も異なる彼らは何かと衝突を繰り返し…。
 

かんそう

ヴィゴ・モーテンセン?え?ヴィゴ・モーテンセン・・・?私が知ってる哲学者ヅラのヴィゴじゃないけど・・・?という戸惑いすら抱かせないほどの変身ぶりで、もはや別人。知らないこんな人。この映画で初めてヴィゴを知った人は、過去の画像をググって腰を抜かすがいいわ。さて、1960年代のアメリカといえば、マーチン・ルーサー・キング牧師やマルコムXらによる公民権運動が激しさを極めていたころ。グリーンブックとは、1966年まで毎年出版され、人種差別が激しかった南部を旅をする黒人に重宝された施設利用ガイドブックのことである。そんな60年代アメリカ南部を舞台に「ホワイト・スプレイング(白人目線)」で生ぬるい人種差別を描いてアカデミー作品賞獲ったらばそりゃ、スパイク・リー先生は怒るだろうよ・・・。って、騒動後しばらく経ってからそのニュースを知ったくらいには、私も暢気で無自覚な日本人の典型である。しかし様々な批判はいったん脇に置いてみよう。だってトニー・リップの実の息子が、父ちゃんから聞いた「すてきな思い出」を脚本にしてるんだもの、白人目線のイイ話になるのは必然とも言える。盲目的に人種差別主義者だったトニーが、ドクターの演奏を聴いた途端、一個人として素直にリスペクトの気持ちを抱くようになる。人と人が、人として向かい合い、お互いの背景を乗り越えて友情を育む物語であり、描かれていることは彼らの身に起こったこと、それ以上でもそれ以下でもないと捉えると、実に素敵な作品だと思う。ドクターを演じたマハーシャラ・アリが『ムーンライト』で演じた麻薬ディーラーとは全く異なるムードを醸し出し、品のある立ち居振る舞いは見事。普段の寡黙なムードとはうってかわって演奏を終えたときの弾けるような笑顔が印象的だが、心ない差別や不当な扱いが積み重なるほど、ピアノの音には怒りが滲み、その表情が翳っていく。大胆な役作りで我々を驚かせたヴィゴ・モーテンセン共々、素晴らしい演技で魅了してくれた。そしてユーモアに溢れ、示唆に富んだ脚本が秀逸。ドラマに散りばめれられた笑いの塩梅が絶妙なのは、コメディの名手ファレリー監督だからこそだろう。あたたかく幸せな気持ちにしてくれる、無条件で笑顔になれる映画は良い映画。私は今後、クリスマスの夜にこの映画のことを思い出すだろう。
 

【映画】サタデーナイト・チャーチ 夢を歌う場所

劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’19-14
『サタデーナイト・チャーチ 夢を歌う場所』(2017年 アメリカ)
 

うんちく

デイモン・カーダシス監督が、ボランティアをしていた教会で実施していた”サタデーナイト・チャーチ”(LGBTQの人々を支援するプログラム)での実体験をもとに綿密なリサーチをおこない、ニューヨークのLGBTQの実態と社会問題を映し出したミュージカルタッチの人間ドラマ。ブロードウェイの若手俳優ルカ・カインが主演を務め、マーゴット・ビンガム、MJ・ロドリゲスらが共演。監督と主演が無名だったにもかかわらず、各国の映画祭で数々の観客賞や優秀賞を獲得した。
 

あらすじ

ニューヨークのブロンクスに暮らすユリシーズは、父親の死をきっかけに「美しくなりたい」という思いを募らせていた。ある夜、ストリートで出会ったトランスジェンダーのグループに「サタデーナイト・チャーチ」に誘われる。そこは静かで厳格な昼間の教会とは異なり、自由にダンスや音楽を楽しみながら、同じ境遇の仲間と語らう場所となっていた。学校でも家庭でも孤立していたユリシーズは、そにに自分の居場所を見つけて心を解放していく。ところがそんなある日、部屋に隠していたハイヒールが家族に見つかってしまい...
 

かんそう

ユリシーズとは、ギリシャ神話の英雄オデュッセウスラテン語名ウリクセスがルネサンス期にウリッセースとなり、それを英語読みにした名前だ。オデュッセウスといえば「トロイの木馬」が有名な知将だが、10年かかってトロイアを攻め落としたと思ったら、うっかりポセイドンの怒りを買って呪いをかけられ、魔女キルケーに囚われたり、怪物セイレーンに襲われたり、ニンフのカリュプソと愛欲に溺れたり、ナウシカアに求婚されたり、なんやかんやあって、妻ペネロペが待つ故郷に戻るまでに10年かかるような男である。なんでその名前つけたん、お父ちゃん、、、と思うが、それにしても美しい響きである。そのユリシーズを演じたルカ・カインが美人(と呼ぶにふさわしい美貌)だし、脇を固めるキャラクタも魅力的で、物語の設定や作品の雰囲気も良かった。が、惜しいのである。これ、ミュージカルにしなくてもよくない?という身も蓋もないことを思ってしまう。それより、もう少し、ドラマに、奥行きとか、深みとか、いうものが、あったほうがだな・・・。恋のゆくえも、家族の物語も、どこか消化不良。しかし、神々に翻弄されて運命を漂流したオデュッセウスが帰郷を果たすように、ユリシーズもいつか愛に辿り着く。その姿には、思わず涙した。そういう意味では、観る人の心を震わす力があると言えよう。しかしクライマックスで肩透かしをくらい、あいや待たれいミュージカルなら最後に晴れ舞台を拝みたいでござると心の侍がエンドロールに向かって叫んだ夜を忘れない。カタルシスって知ってるか。なあ。そんな私が最後に言いたい事は、1日も早くLGBTQなんていう概念そのものがこの地球上から無くなって、人が人を自由に愛すことができる世界になってほしいということだ。
 

【映画】THE GUILTY ギルティ

劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’19-13
『THE GUILTY ギルティ』(2018年 デンマーク)
 

うんちく

「電話からの声と音だけで、誘拐事件を解決する」というシンプルな設定ながら、予測不可能な展開が話題を呼び、第34回サンダンス映画祭で観客賞を受賞した異色サスペンス。第91回アカデミー賞外国語映画賞 デンマーク代表にも選出され、各地の映画祭で高評価を得ている。監督は本作が長編映画監督デビュー作となるグスタフ・モーラーデンマークを代表する俳優ヤコブ・セーダーグレンが出演。
 

あらすじ

ある事件をきっかけに警察官としての一線を退き、緊急通報指令室のオペレーターとして勤務するアスガー・ホルム。交通事故による緊急搬送を遠隔手配するなど、些細な事件に応対する日々が続いていたある日、今まさに誘拐されているという女性からの通報を受ける。女性の怯える声、車の発車音、ワイパーの音・・・電話越しに聞こえるさまざまな音を頼りに、事件を解決しようと躍起になるアスガーだったが...
 

かんそう

主人公のアスガーのふとした表情が、テスラおよびスペースX社のCEO イーロン・マスクに似ており、そういや今年に入ってから新聞を賑わすことが若干少なくなったけど(っていうか2018年がいろいろありすぎ感)とかどうでもいいことに気を取られがちになるので要注意だ。そんなのはお前だけだとどこか遠くから聞こえてくるが、なんと言っても、このデンマークイーロン・マスクが映像のほとんどを占めているワンシチュエーション・サスペンスである。電話から聞こえてくる音だけで観客にそのシチュエーションをイメージさせ、ドラマに奥行きを出していかなければいけないが、充分それを成し遂げていたと思う。張り詰めた緊張の糸は最後まで途切れることなく、衝撃のラストシーンを迎えるまで息をつかせぬほどだ。あとで冷静に振り返ると、物語に物足りなさを感じたりもするが、88分楽しませてくれた。電話の向こうで起きている事件が展開するにつれ、同時に少しずつ明らかになるアスガーの過去。苛立つアスガーを気にも留めない同僚の態度にフォーカスしない独特のカメラワークが、独善に陥りやすい彼の閉鎖性とその世界を象徴的に映し出す。そして真実に辿り着いたとき、「ギルティ」の重層的な意味に気がついて愕然とするのである。新しい映画体験として、劇場で観ることをお勧めする。ジェイク・ギレンホール主演によるハリウッド・リメイクもすでに決定しているという。ジェイク・ギレンホール、そういう役回り多い。
 

【映画】ノーザン・ソウル

劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’19-12
ノーザン・ソウル』(2014年 イギリス)
 

うんちく

1960年代にイングランド北部の労働者階級の若者たちから生まれた音楽ムーヴメント「ノーザン・ソウル」の全盛期である70年代を舞台に、その魅力に取り憑かれた若者たちの姿を活写した青春ドラマ。これが初監督作品となるファッションフォトグラファーのエレイン・コンスタンティンが、自身の青春時代の実体験をもとに映像化した。主演はこれがスクリーンデビューとなるエリオット・ジェームズ・ラングリッジ。『モダンライフ・イズ・ラビッシュ ~ロンドンの泣き虫ギタリスト~』などのジョシュ・ホワイトハウス、『コーヒー&シガレッツ』などのスティーヴ・クーガンらが出演。
 

あらすじ

経済の低迷が続く1974年。イングランド北部の町バーンズワースに暮らす高校生のジョンは、学校にも家庭にも居場所がなく、退屈な日々にうんざりしていた。そんなある日、両親に勧められ気乗りしないまま行ったユースクラブで、ソウル・ミュージックに合わせて激しく踊る青年マットと出会う。初めて聴く音楽と軽快なダンスに魅了された彼は、マットに導かれるままノーザン・ソウルという音楽ムーブメントにのめり込んでいく。やがてジョンは学校を飛び出し、マットとコンビを組んでDJ活動を始めるが...
 

かんそう

50年代のテディボーイ、60年代のモッズやロッカーズ、70年代のグラムロックやパンク、80年代のスキンズ、90年代のブリットポップ。ファッションと音楽が深く結びついてきたイギリスのユース・カルチャーは、長引く経済不況のなか希望を持つことすら許されない、鬱屈した若者たちの怒りのはけ口、権威に対するアンチテーゼだったりもする(そうじゃないものもある)。この系譜から少し外れたところに、ノーザン・ソウルというアンダーグラウンド・クラブカルチャーがあった。モッズと混同されがちだが、それはイギリス北部の労働者階級による自発的なパーティー文化であり、音楽メディアの手が届かないところにあったため、その実態はあまり知られていない。にも関わらず、音楽業界に多大な影響を与え、現在のレイヴ・シーンの源流のひとつとなっているのだ。などと言いつつ、ほぼ知らなかったし完全に受け売りだが、『さらば青春の光』『トレイン・スポッティング』に並ぶ、と言われたら無視できない。そう言うわけで、ノーザン・ソウル道場の門を叩く。鬱屈した毎日から逃れるような疾走感、破滅的でアナーキー、そして極めつけに頭の悪さ。これぞ青春である。男子、世界共通でとにかくブルース・リーが好きなのはなんでかね。絶賛するほどではないが面白かったし、1970年代の世相や文化、ノーザン・ソウルという音楽シーンの資料として観る価値あり。ただ、『トレイン・スポッティング』と並べるのはおいちゃん許さん。