銀幕の愉楽

劇場で観た映画のことを中心に、適当に無責任に書いています。

【映画】ノーザン・ソウル

劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’19-12
ノーザン・ソウル』(2014年 イギリス)
 

うんちく

1960年代にイングランド北部の労働者階級の若者たちから生まれた音楽ムーヴメント「ノーザン・ソウル」の全盛期である70年代を舞台に、その魅力に取り憑かれた若者たちの姿を活写した青春ドラマ。これが初監督作品となるファッションフォトグラファーのエレイン・コンスタンティンが、自身の青春時代の実体験をもとに映像化した。主演はこれがスクリーンデビューとなるエリオット・ジェームズ・ラングリッジ。『モダンライフ・イズ・ラビッシュ ~ロンドンの泣き虫ギタリスト~』などのジョシュ・ホワイトハウス、『コーヒー&シガレッツ』などのスティーヴ・クーガンらが出演。
 

あらすじ

経済の低迷が続く1974年。イングランド北部の町バーンズワースに暮らす高校生のジョンは、学校にも家庭にも居場所がなく、退屈な日々にうんざりしていた。そんなある日、両親に勧められ気乗りしないまま行ったユースクラブで、ソウル・ミュージックに合わせて激しく踊る青年マットと出会う。初めて聴く音楽と軽快なダンスに魅了された彼は、マットに導かれるままノーザン・ソウルという音楽ムーブメントにのめり込んでいく。やがてジョンは学校を飛び出し、マットとコンビを組んでDJ活動を始めるが...
 

かんそう

50年代のテディボーイ、60年代のモッズやロッカーズ、70年代のグラムロックやパンク、80年代のスキンズ、90年代のブリットポップ。ファッションと音楽が深く結びついてきたイギリスのユース・カルチャーは、長引く経済不況のなか希望を持つことすら許されない、鬱屈した若者たちの怒りのはけ口、権威に対するアンチテーゼだったりもする(そうじゃないものもある)。この系譜から少し外れたところに、ノーザン・ソウルというアンダーグラウンド・クラブカルチャーがあった。モッズと混同されがちだが、それはイギリス北部の労働者階級による自発的なパーティー文化であり、音楽メディアの手が届かないところにあったため、その実態はあまり知られていない。にも関わらず、音楽業界に多大な影響を与え、現在のレイヴ・シーンの源流のひとつとなっているのだ。などと言いつつ、ほぼ知らなかったし完全に受け売りだが、『さらば青春の光』『トレイン・スポッティング』に並ぶ、と言われたら無視できない。そう言うわけで、ノーザン・ソウル道場の門を叩く。鬱屈した毎日から逃れるような疾走感、破滅的でアナーキー、そして極めつけに頭の悪さ。これぞ青春である。男子、世界共通でとにかくブルース・リーが好きなのはなんでかね。絶賛するほどではないが面白かったし、1970年代の世相や文化、ノーザン・ソウルという音楽シーンの資料として観る価値あり。ただ、『トレイン・スポッティング』と並べるのはおいちゃん許さん。
 

【映画】ちいさな独裁者

劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’19-11
『ちいさな独裁者』(2017年 ドイツ,フランス,ポーランド)
 

うんちく

RED/レッド』や『ダイバージェント』シリーズなどハリウッドで活躍するロベルト・シュヴェンケ監督が、母国ドイツで第2次世界大戦中に起きた実話を映画化。偶然にもナチス将校の軍服を手に入れた脱走兵が、その権威を借りて独裁者へと変貌していくさまを描く。『まともな男』などのマックス・フーバッヒャーが主演、『THE WAVE ウェイヴ』などのフレデリック・ラウ、『顔のないヒトラーたち』のなどのアレクサンダー・フェーリングらが出演。
 

あらすじ

第二次世界大戦末期の1945年4月。敗色濃厚なドイツでは、脱走兵による略奪などの軍規違反が相次いでいた。部隊を脱走し憲兵隊に追われていた上等兵ヘロルトは、道端に打ち捨てられた軍車両の中で空軍将校の軍服一式を発見する。あまりの寒さにその軍服を身にまとい、逃走で痛んだ靴を履き替えた彼の前に、部隊からはぐれた上等兵フライタークが現れる。ヘロルトを本物の将校だと信じたフライタークに敬礼された彼は、このまま空軍大尉に成りすますことを思いつく。その後、道中で出会った兵士たちを次々と服従させた彼の傲慢な振る舞いはエスカレートしていくが...
 

かんそう

この数年、ナチスを題材にした作品が多く生み出されており、実際のところ少々食傷気味だ。しかしこの作品には、ユダヤ人やロマ、その他の迫害されたマイノリティは出てこない。ナチス・ドイツの人間が同胞に対して虐待と虐殺を繰り広げるという、実におぞましい狂気の沙汰を描いている。しかもそれを行った人間は、打ち捨てられた軍車両に残されていた将校の制服や勲章をまとい、大尉になりすました脱走兵だった。何より恐ろしいことには、あるはずのない権威を振りかざした彼に同調し追従する者が大勢いたことだ。実際、ヘロルトが従えた兵士の数は一時80人前後にのぼったと言われている。人間がいかに「軍服」や「勲章」といった権威に感化されやすく、集団心理に左右されやすく、いとも簡単にファシズムに傾倒してしまう生き物であるか、ということだ。ただの一兵卒が瞬く間に”独裁者”へと変貌していくさまは、多くのドイツ人がヒトラーとナチズムを支持した権力構造の記憶を同時に呼び醒ます。なお、示唆に富んだこの作品は、自国の歴史が書き換えられてきたことに対するシュベンケ監督の怒りだ。「『第2次大戦では、一般の兵士たちは虐殺に関わっていない』という“神話”が、長らくドイツにありました。恐ろしい行いはすべてナチス高官らイデオロギーを持つ人々によるもので、惨劇の責任は彼らにある、と。学校ではそう教わったし、自分たちの両親も僕らにそう教えていました。兵士たちは無垢であり、罪はなかったと考えられていました」と監督が語っている通り、ヘロルトの戦争犯罪も長らく歴史の闇に葬られてきた事実がある。ドイツ人が自国の歴史と向き合い始めた今だからこそ、撮るべき映画を撮ったのだろう。そのことを受け止めるには、充分に価値ある作品と言えるだろう。ヘロルトは終戦後に行われた尋問のなかで、虐殺の動機について問われると「自分にもわからない」と答えたという。そのとき彼はまだ21歳だった。
 

【映画】女王陛下のお気に入り

劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’19-10
 

うんちく

『ロブスター』『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』などで評価されたギリシャの鬼才ヨルゴス・ランティモス監督による、18世紀初頭のイングランド王室を舞台にした人間ドラマ。女王の寵愛をめぐる2人の女性の愛憎劇が描かれる。『ロブスター』に続く出演となるオリヴィア・コールマンが主演を務め、『ナイロビの蜂』などのレイチェル・ワイズ、『ラ・ラ・ランド』などのエマ・ストーン、『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』などのニコラス・ホルトらが出演。2018年・第75回ベネチア国際映画祭ゴールデン・グローブ賞で各賞を獲得し、第91回アカデミー賞では最多の10部門ノミネートを果たしている。
 

あらすじ

18世紀初頭、アン女王が統治するイングランド。フランスとの戦争下にあったが、女王の幼馴染で、イングランド軍を率いるモールバラ公爵の妻サラが、病弱で世間知らずな女王を意のままに操り権力を掌握していた。そんななか、サラの従妹だと名乗るアビゲイルが宮廷に現れる。サラに頼み込み、召使として雇われることになったアビゲイルだったが、上流階級から没落した彼女は貴族として返り咲く機会を虎視眈々と狙っていた…。
 

かんそう

何てったってヨルゴス・ランティモス監督だからな。と心して観る。『ロブスター』『聖なる鹿殺し』で観る者を不可解でやるせない気持ちにさせてくれたヨルゴス・ランティモス監督だからな。クセが強い。今回はウサギですか、そうですか。アン王女が失った17人の子供と同じ数の。って、双子を含め6回の流産、6回の死産を経験し、産まれてきた子も全て幼くして命を落としたとは。世継ぎを切望されていただろうに、想像を絶する強烈なトラウマを抱え、ほとんど狂気に近かったのではないだろうか。そんな女王の寵愛をめぐって、絢爛華麗な宮廷を舞台に繰り広げられる熾烈な女の権力争い。不気味な音楽、奇妙なダンス、仰々しい立ち振る舞い。どこかパンキッシュでアナーキーなモノトーンの衣装が独特の世界観を創り出す。カツラをかぶり白塗りの化粧を施した男たちは、舞台袖でおどける道化のようだ。教養のない女王の気紛れやヒステリーに終始振り回されて、うんざりする。滑稽で下劣で醜悪なる人間のあられもない姿を、超広角レンズの映像がいびつに映し出す。まるで見世物のようであるが、どこかシュールで美しい。時代劇とは思えないカメラワークや演出が実に新鮮だった。冒頭に書いたが、ヨルゴス・ランティモス監督の作品であるということを心して観ないと、きっと面喰らう。しかし面食らいつつも、楽しめるだろう。笑えないブラックユーモアが散りばめられた脚本が秀逸。そしてこの壮大なコメディーを怪演したオリビア・コールマン、レイチェル・ワイズエマ・ストーンというキャスティングが絶妙に素晴らしいのである。最後のイングランド王国スコットランド王国君主で、最初のグレートブリテン王国君主及びアイルランド女王をめぐるこのスキャンダラスで不条理な物語は、じっとりと重苦しい、不穏なムードで幕を閉じる。やっぱりヨルゴス・ランティモス監督だった。
 

【映画】ファースト・マン

劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’19-09
 

うんちく

『セッション』『ラ・ラ・ランド』でアカデミー賞を総なめにしたデイミアン・チャゼル監督が、人類初の月面着陸に成功したアポロ11号の船長ニール・アームストロングの偉業に迫った伝記ドラマ。リサーチと構想に膨大な歳月が費やされ、ジェームズ・R・ハンセンが記したアームストロングの伝記をもとに、『スポットライト 世紀のスクープ』などのジョシュ・シンガーが脚色。スティーヴン・スピルバーグが製作総指揮を務める。主演は『ラ・ラ・ランド』のライアン・ゴズリング、『蜘蛛の巣を払う女』のクレア・フォイ、『ゼロ・ダーク・サーティ』のジェイソン・クラーク、『アルゴ』のカイル・チャンドラーらが脇を固める。
 

あらすじ

1960年代アメリカ。幼い娘カレンを病気で亡くした空軍のテストパイロット、ニール・アームストロングは、その哀しみを振り切るようにNASAジェミニ計画の宇宙飛行士に応募する。選抜された彼は、家族を伴ってヒューストンに移り住み、有人宇宙センターでの訓練を開始した。そこで指揮官のディーク・スレイトンから、宇宙計画において圧倒的優位にあったソ連すら到達していない月を目指すと告げられる。そして人類初の月面着陸という偉業に向け、アポロ計画が始動する…。
 

かんそう

デイミアン・チャゼルは『セッション』『ラ・ラ・ランド』の監督である。私の鬼門『ラ・ラ・ランド』は置いといて、『セッション』はドラマチックな演出と展開、前に押し出されるようなエネルギーに圧倒されてかなり面白く観た。が、ストーリーそのものはシンプルだ。言葉を選ばずに言うと『ラ・ラ・ランド』と同様に薄っぺらい。しかし今回初めて、チャゼル監督の作品に奥行きを感じたのである・・・!!この物語は終始、死の匂いが漂う。60年代、スマホより性能が劣るコンピューターを積んだ「点火されたブリキ缶」、いわば空飛ぶ棺桶で月を目指したのであるから、それがいかに無謀で身の程知らずな挑戦であったかということを突きつけてくる。冷戦下、ソ連に遅れをとっていた宇宙開発事業の巻き返しを図るため、アポロ計画を強行したアメリカ。莫大な予算が注ぎ込まれることで貧困層からの抗議が巻き起こり、人命を危険に晒すことにも批判が集まり、国内で賛否両論が渦巻いていたことも映し出されている。それでもなおアームストロングを駆り立てた動機や、彼の家族、NASAの同僚たちの物語を掘り下げ、その孤独でストイックな人物像に淡々と迫ることで、叙情詩のような味わい深い人間ドラマとなっている。その息遣いを感じる16ミリフィルムの映像と、IMAXフォーマットで撮影された月面着陸シーンのコントラスト、轟音と静寂、宇宙空間の拡がりと宇宙船の狭さの対比が、観るものを宇宙空間へと誘う。クリストファー・ノーランインターステラー』を手がけたプロダクトデザイナークロウリー、撮影監督サンドグレンの手腕によるものだ。宇宙飛行士とともに宇宙船の閉塞感を味わいながら疑似体験する。自分の身体にもGがかかってるような錯覚を覚えるのだから、この没入感は見事。ああ、Gが、Gが〜と思いながら呑気にポップコーン食べてたけれども、総じて素晴らしい映画体験であった。可能な限り大きなスクリーンで観賞することをお勧めする。
 

【映画】天才作家の妻 40年目の真実

劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’19-08
『天才作家の妻 40年目の真実』(2019年 スウェーデン,アメリカ,イギリス)
 

うんちく

ノーベル賞を受賞した世界的な作家と、彼を慎ましく支えてきた妻の秘密をあぶり出す心理サスペンス。『危険な情事』『アルバート氏の人生』などでアカデミー賞に6度ノミネートの実績を誇る大女優グレン・クローズと『未来世紀ブラジル』『キャリントン』などのジョナサン・プライスが共演。クローズの実の娘アニー・スタークが若き日の妻を演じている。監督はスウェーデンの名匠ビョルン・ルンゲ。グレン・クローズは本作で第76回ゴールデン・グローブ女優賞を獲得し、第91回アカデミー賞主演女優賞にノミネートされている。
 

あらすじ

現代文学の巨匠ジョゼフと妻ジョーンは、ノーベル文学賞受賞の知らせを受ける。すっかり有頂天になっている夫に辟易するジョーンだったが、息子を伴って授賞式が行われるストックホルムを訪れる。しかし彼女はそこで、ジョゼフの経歴に疑いを持っている記者ナサニエルから、夫婦の秘密について問いただされ、動揺してしまう。彼はジョゼフの伝記本を書くため夫妻の過去を事細かに調べ上げていた。実は若い頃から文才に恵まれたジョーンには、女性蔑視の風潮に失望し作家になる夢を断念していた過去があった。そして結婚後、夫ジョゼフに自らの才能を捧げ、世界的な作家の”影”となりその成功を支え続けてきたのだが...
 

かんそう

クリスチャン・スレーターを知っているか。『トゥルー・ロマンス』や『忘れられない人』のピュアな演技が印象的だったいつかの二枚目俳優である。結構好きだったはずなのに、世界的作家の秘密を暴こうする記者が彼だと気付いたのは半分を過ぎてからだった。こんなおじさんになる予定じゃなかったと思う。さて、そんなスレーター君による「妻が夫のゴーストライターをしていた」という読みは、半分当たっているが半分ハズレだ。事情はもう少し複雑で、彼らは共依存だった。閃きがなく文才を持つ妻は、文才がない夫の閃きを作品へと昇華させる。いわば共同執筆だ。最初は夫への純粋な愛情だっただろう。しかし成功するにつれ、その賞賛を悪びれることなく一身に受け止める夫の姿を横目に葛藤が芽生えていく。だが、妻は黙って夫に付き従う。女性が書いた小説は売れない。そんな時代にあって、自分の作品を世に送り出し、多くの人の目に触れさせるには、夫の存在が無くてはならなかったのだ。夫の才能を献身的に支えることで自己肯定していた妻は、夫を否定することができなかっただろう。そうした共依存の関係にあって、依存されるほうはどんどん無責任になっていく傾向がある。それを示唆するかのように、夫は呑気に本能の赴くままに性欲を満たし、豚のように食べ続ける。対して、どこまでも理性的で思慮深い妻の姿が印象深い。40年間鬱積してきた複雑な心情を、セリフではなく表情で雄弁に語るグレン・クローズの繊細な演技がまこと素晴らしい。メリル・ストリープに阻まれ続けたアカデミー主演女優賞を今度こそ獲ってほしいものだ。そして世界最高の権威を誇るノーベル賞を背景に、ヒリヒリとした緊張感を漂わせながら、左右に揺れる振り子のように展開していくドラマが実に見事なのである。巧いなぁ。結婚とは、夫婦とはなんだ。もはやミステリーである。どんな夫婦にも、二人にしか分からないことがあるのだ。それが例え他者の目には奇妙なことであっても。結婚とは。夫婦とは。何なんだ一体・・・。
 

【映画】ジュリアン

劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’19-07
『ジュリアン』(2017年 フランス)
 

うんちく

本作が長編初監督となるフランスの新鋭グザヴィエ・ルグランが、第74回ベネチア国際映画祭で最優秀監督賞にあたる銀獅子賞を獲得したヒューマンドラマ。離婚した夫の執着に追い詰められる妻とその子供の姿を描く。アカデミー賞短編部門にノミネートされた短編『すべてを失う前に』と同じテーマを、同じキャストで長編化。『青の寝室』などのレア・ドリュッケール、『イングロリアス・バスターズ』などのドゥニ・メノーシェらが出演。
 

あらすじ

11歳の少年ジュリアンは、両親の離婚により、母ミリアムと姉の3人で暮らしている。母ミリアムは夫のアントワーヌに子供を近付けたくなかったが、離婚調停の取り決めで親権は共同となり、ジュリアンは隔週末ごとに父と過ごさなければならなくなった。父アントワーヌはジュリアンを通じて、自分に会おうともせず連絡先も教えないミリアムの所在を突き止めようとする。ジュリアンは母を守るため、必死で嘘をつき続けるが...
 

かんそう

内閣府の調査によると、成人女性の3人に1人がDV被害を体験しており、警察の統計によると、日本では今も3日に1人ずつ、妻が夫によって殺されているという。ヨーロッパにおいても深刻で、16歳から44歳までのヨーロッパ人女性の身体障害や死亡の原因が、病気や事故を抜いてDVがトップなのだそうだ。いずれにしても対策は遅れており、被害者は後を絶たない。本作はDV被害の恐怖に晒される母子、それを救済しない司法制度の実態が映し出される。子役の演技が凄い。とにかく凄いのである。ジュリアンを演じたトーマス・ジオリアだけでなく、姉のジョゼフィーヌを演じたマティルド・オネヴも素晴らしかった。遠回しな表現で淡々と描かれるが、直接的な暴力の回想シーンがないにも関わらず、子供達の瞳から滲み出る不安や哀しみから、かつて与えられた恐怖がこちらにまで伝わってくるのだ。思わせぶりな予告のせいで、捻りのある展開を期待していたが、意外なほどあっさりと真っ直ぐに物語は転がっていく。そのくせ、恐いのである。父アントワーヌを演じたドゥニ・メノーシェの演技も相俟って、最後まで絶え間ない緊張感に支配される。その恐怖から解放されたとき、理由は分からないが涙が出た。ラストシーン、そっとドアを閉める隣人の視線が印象に残る。長い沈黙は、くすぶる憂鬱と余韻を深くする。それにしても監督のグザヴィエ・ルグランがイケメンだなー
 

【映画】ヴィクトリア女王 最期の秘密

 劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’19-06
ヴィクトリア女王 最期の秘密』(2017年 イギリス,アメリカ)
 

うんちく

名優ジュディ・デンチが、1997年の『Queen Victoria 至上の恋』に続き2度目のヴィクトリア女王を演じ、63年にわたり君臨した女王が晩年育んだインド人青年との交流を描いた伝記ドラマ。『クィーン』などのスティーヴン・フリアーズが監督を務め、脚本を『リトル・ダンサー』のリー・ホールが手掛けた。『きっと、うまくいく』などのアリ・ファザルが共演。デンチは本作により第75回 ゴールデングローブ賞の主演女優賞にノミネートされた。

 

あらすじ

1887年、ヴィクトリア女王即位50周年記念式典で記念金貨の献上役に選ばれた若者アブドゥルは、英領インドからイギリスへとやってくる。最愛の夫と従僕を亡くした孤独から長年心を閉ざしていた女王だったが、王室のしきたりに臆することなく、まっすぐに微笑みかけてくるアブドゥルに対して心を許していくようになる。二人の間には身分や年齢を超えた深い絆が芽生えていくが、それを快く思わない周囲の人々による猛反対により、やがて英国王室を揺るが騒動へと発展してしまう。
 

かんそう

ヴィクトリアといえば、わずか18歳で即位し、その後64年間に渡って君臨したイギリスの女王、初代インド女帝である。ヴィクトリア期は大英帝国全盛期であり、イギリスが最も輝かしかった時代。いわばヴィクトリア女王は世界一の権力者だったのである。数百人ものエキストラによって再現された壮観の王宮儀式、細部にまでこだわった華やかな衣装や装飾品に彩られ、ヴィクトリア女王が過ごした当時の生活が映し出されるなか、ヴィクトリア女王とインド人青年の交流と絆が、軽やかなタッチでユーモラスに描かれる。息子エドワード7世の手により歴史から消されたとされ、21世紀に入ってから発見されたアブドゥル・カリーム本人の記録に基づいている物語は、史実であったとしても多少美化されているものだろう。実際のアブドゥル・カリームはパタリロを彷彿とさせる下ぶくれだが、本作では女王の心を一瞬で掴む美青年として登場する。女王を献身的に支えながら時折野心家の表情もちらつかせるこのイケメン、ボリウッド映画の名作『きっと、うまくいく』のジョイ・ロボである。進級をかけてドローンの開発研究をしていたが、悲しい結末を迎えてしまったジョイ・ロボだ。が、全く記憶にない。2回観たのに印象にない。なぜだ。とは言え、この作品はジュディー・デンチの演技がすべて。女王の孤独や葛藤、心のひだに宿る細やかな感情をつぶさに表現し、その存在感は見事。余談だが、ヴィクトリア女王に無能呼ばわりされ放蕩息子として描かかれていたエドワード7世に興味が湧き、実際のところを調べてみた。本当に無能呼ばわりされていた放蕩息子であった・・・。ただ、人付き合いが上手く外交に長けたピースメーカーだったこと、作中にあらわされているような人種差別主義者ではなかったということを記しておきたい。