銀幕の愉楽

劇場で観た映画のことを中心に、適当に無責任に書いています。

【映画】ノマドランド

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映画日誌’21-13:ノマドランド
 

introduction:

気鋭のジャーナリスト、ジェシカ・ブルーダーのノンフィクション「ノマド 漂流する高齢労働者たち」を原作に、「ノマド(遊牧民)」と呼ばれるアメリカ西部の車上生活者の姿を描いたロードムービー。前作の『ザ・ライダー』でも映画賞43ノミネート24受賞という栄誉に輝いたクロエ・ジャオが監督を務める。主演は『ファーゴ』と『スリー・ビルボード』で2度のアカデミー賞主演女優賞に輝いたフランシス・マクドーマンド、『グッドナイト&グッドラック』などのデヴィッド・ストラザーンが共演するほか、実際のノマドたちが本人役で出演する。第77回ベネチア国際映画祭で最高賞にあたる金獅子賞、第45回トロント国際映画祭でも最高賞の観客賞、第78回ゴールデングローブ賞でも作品賞や監督賞を受賞。第93回アカデミー賞で作品、監督、主演女優など6部門でノミネートされている。(2020年 アメリカ)
 

story:

アメリカ・ネバダ州に暮らす60代の女性ファーンは、リーマンショックによる企業の倒産で長年住み慣れた家を失ってしまう。キャンピングカーに亡き夫との思い出を積み込み、現代のノマド遊牧民)として車上生活を送りながら、過酷な季節労働の現場を渡り歩くことに。その日その日を懸命に乗り越え、行く先々で出会うノマドたちと心の交流を重ねながら、誇りを持って自由を生きるファーンは広大な西部の大地をさすらう。
 

review:

物凄い映画だった。劇場の大スクリーンで観て、アメリカ西部の広大で美しい自然を映し出した映像美に吸い込まれたほうがいいし、その自然と一体化していくファーンの姿に憧れのような気持ちを抱きつつ、名優フランシス・マクドーマンドの演技に圧倒されるべきだし、エンドロールで作中に登場したノマドたちが本物だったと分かって呆気にとられたらいいし、現代アメリカの現実と明日の我が身を交錯させて打ちのめされるがいいよね。
 
アメリカには、「ノマド」「ワーキャンパー」と呼ばれる車上生活者がいる。さまざまな理由で家を失い、キャンプ場やアマゾンの配送センターなどで季節労働者として仕事をしながら、バンやキャンピングカーで各地を転々とする人たちだ。2008年の金融危機リーマン・ショック」は多くの失業者を生み、中間層の人々が低所得者に転落するケースが増え、産業に依存した町が工場の閉鎖に伴いゴーストタウン化していった。さらにはサブプライムローンの破綻によって、何万人もの人が住居を失った。
 
本作に登場するファーンも、そうした一人だ。必要最低限の家財道具と夫の思い出をキャンピングカーに詰め込んで、彼女は旅に出る。車上生活者として放浪するノマドたちの多くは60代、70代の高齢者だが、彼らの青春時代にはヒッピー文化があった。家を飛び出し、アメリカ中を旅することに憧れた世代だ。そしてノマドとしての彼らの生き方には、新天地を求めて西部開拓時代に入植した移民たちのスピリットにも近いものがある。
 
ファーンは、かつての教え子に「先生はホームレスになったの」と聞かれて「ハウスレスだ」と答える。ホームレスは家族、友人の絆が切れた人々のことを指し、ハウスレスは経済的、物理的困窮を意味するそうだ。そこには彼女の、自ら生き方を選んでいるのだという意志が垣間見える。ノマドたちは自分たちの命と尊厳を守るため、知恵をスキルを共有して時に助け合い、新しい文化と潮流を生み出している。フロンティア精神を持ち、場所やしがらみに縛られない自律的で自由な存在である、という彼らの誇りが映し出されており、そこに悲壮感はない。
 
そして何と言っても、この作品の大きな特徴は、フランシス・マクドーマンドとデビッド・ストラザーン以外は本物のノマドたちが出演しているということだ。マクドーマンド自身の生き方や考え方のすべてを投影して創り上げられた「ファーン」が、実在のノマドたちのなかに身を投じる。ファーンと深い絆を結ぶボブ、リンダ、スワンキーらも本人であり、彼らのリアルな胸中が物語と調和する。ひとつの作品のなかでドキュメンタリーとドラマの境界を融解させ、ポエティックで美しいものに昇華させる。映画に全く新しい表現を提示したクロエ・ジャオ、素晴らしい映画体験だった。
 

trailer: 

【映画】ビバリウム

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映画日誌’21-12:ビバリウム 
 

introduction:

新居を探す若いカップルが、不動産屋に紹介された奇妙な住宅地から抜け出せなくなるサスペンススリラー。新鋭ホラー監督ロルカン・フィネガンがメガホンを取る。『ソーシャル・ネットワーク』などのジェシー・アイゼンバーグと、『グリーンルーム』『マイ・ファニー・レディー』などのイモージェン・プーツが出演。謎の住宅地に閉じ込められ、誰の子か分からない赤ん坊を育てることになってしまったカップルの、精神が崩壊していくさまを見事に演じたプーツは、第52回シッチェス・カタロニア国際映画祭で最優秀女優賞を受賞。(2019年 ベルギー,デンマーク,アイルランド)
 

story:

新居を探すトムとジェマのカップルは、ふと足を踏み入れた不動産屋から、全く同じ家が建ち並ぶ住宅地<Yonder(ヨンダー)>を紹介される。内見を終え帰ろうとすると、ついさっきまで一緒にいた不動産業者の姿が見当たらない。二人は奇妙に思いながらも帰路に着こうと車を走らせるが、どこまで走っても周囲の景色は一向に変わらない。誰もいない住宅地から抜け出せなくなり困惑する彼らのもとに、段ボール箱が届く。そこには誰の子かわからない生まれたばかりの赤ん坊が入っており、二人は仕方なく世話をすることになるが...
 

review:

冒頭、カッコウの托卵の様子が描かれる。カッコウのヒナによって蹴落とされ息絶えたヒナを土に埋めながら、自然の摂理だから仕方がないと話す若いカップル。彼らは新居を探しており、何気なく足を踏み入れた不動産屋でとある住宅地を紹介され、軽い気持ちで見学する。すると案内していたはずの不動産屋が姿を消し、彼らも帰ろうとするがどうやってもその住宅地から出られない。そして彼らのもとに「この子を育てれば開放する」と書かれた箱が届き、中には赤ん坊が入っていた。彼らも托卵されてしまうのだ。
 
彼らが育てることになった子どもは「子どもらしさ」から「かわいらしさ」を排除したような存在で、彼らを苛立たせる。親をじっとりと観察し、執拗に言動を真似て、気に入らないことがあればヒステリックに金切り声をあげる。それでも黙々と家事と子育てをこなし、次第に環境に適応してくかのように見えるジェマ。対して、子育てを放棄し、わずかな希望を求めて庭の穴を掘り続け、その穴で夜を明かすようになるトム。生物学的な性差による行動の違い、旧態依然としたジェンダーの価値観を映し出しているのだろう。
 
そして彼らが暮らす羽目になった「Yonder」の街並みは、どこまでも均質で無機質。マグリットの絵画を彷彿とさせるが、実に不気味だ。「Yonder」から抜け出す術を奪われたトムとジェマは、そこで毎日を繰り返すしかない。生命を維持するだけの糧は与えられるが、「生きる」以外の選択肢がない、出口のない拷問。希望が持てない状況で人間の精神が崩壊していくさまを、シュールに描いている。
 
彼らは謎の生命体によって選択肢を奪われたように見えるが、いき過ぎた資本主義のもとで暮らす私たちは、本当に自分の意志で人生を生きているだろうか?思考停止したまま、資本家から作為的に与えられたものを消費するだけの存在になっていないだろうか。資本主義の歯車として労働力を搾取され使い捨てられる存在なのだとしたら、ビバリウムに閉じ込められ、そのサイクルに組み込まれたトムとジェマは私たちのことなのではないか。ふと、人生の目的って何だろうと考えさせられる。不条理で不快な物語だったが、その映画体験は実に興味深いものだった。
 

trailer:

【映画】ステージ・マザー

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映画日誌’21-11:ステージ・マザー
 

introduction:

急逝した息子が遺したゲイバーを相続することになった普通の主婦が、経営再建に奮闘する姿を描いた人間ドラマ。
キッズ・オールライト』やNetflix映画『シカゴ7裁判』を製作したJ・トッド・ハリスがプロデューサーを務め、『ハンギング・ガーデン』などのカナダ人映画監督トム・フィッツジェラルドがメガホンを取った。主演は『世界にひとつのプレイブック』などで知られる大御所ジャッキー・ウィーヴァーが務め、『チャーリーズ・エンジェル』シリーズなどのルーシー・リュー、『プラダを着た悪魔』などのエイドリアン・グレニアー、『タンジェリン』などのマイア・テイラーらが共演する。(2019年 カナダ)
 

story:

保守的なテキサスの田舎町に暮らす主婦メイベリンは、長い間疎遠だった息子リッキーの訃報を受け、リッキーの葬儀に出席するため夫の反対を押し切りサンフランシスコに向かう。そこで彼女は、リッキーのパートナーで協同経営者のネイサンから、息子がドラァグクイーンとしてゲイバーを経営していたことを知らされる。そしてバーの経営権は母親である自分が相続することになっていること、しかも経営危機にあることが発覚。メイベリンは困惑しながらも、ドラァグクイーンたちと一緒に息子が遺した店を再建するために立ち上がるが...
 

review:

サンフランシスコにある世界有数のLGBTQ+ コミュニティの拠点カストロ・ストリートを舞台に、息子の遺したゲイバーを立て直そうと奮闘する女性と、彼女を取り巻く人間ドラマが描かれる。テキサスの田舎町から出てきた母メイベリンを演じたジャッキー・ウィーヴァー、声や喋り方がチャーミングでとてもキュートである。『チャーリーズ・エンジェル』ことルーシー・リューが放つドスの効いた存在感と対照的だ。
 
ドラァグクイーンを題材にした映画はこれまでも制作されてきたが、本作はキャストとスタッフのほとんどがクィアドラァグクイーンであり、描写の正確性という点では突き抜けているだろう。セクシャルマイノリティやシングルマザーなど、社会的弱者の葛藤や苦悩、生きづらさが映し出されるものの、ただ悲壮感だけを漂わせるようなものではなく、そこには友情と希望があって救われる。
 
中身はありがちなストーリーで、大きく奇を衒うような展開はない。シンプルでわかりやすいが安直といえば安直、映画のつくりも脇が甘い。だけど、素直に感動してしまった。母は息子を愛し、息子もまた、母を深く愛していたのだと。それが痛いほど伝わってくるクライマックスのシークエンスは、ぐっと心をつかまれる。そして何より、音楽やパフォーマンスが素敵なので退屈しない。観終わったあと、清々しい気持ちになる。そういう映画はきっと、いい映画なのだと思う。
 

trailer: 

【映画】カポネ

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映画日誌’21-10:カポネ
 

introduction:

マッドマックス 怒りのデス・ロード』などのトム・ハーディが、“暗黒街の顔役”と恐れられた伝説のギャング、アル・カポネの晩年を演じた伝記ドラマ。『クロニクル』などのジョシュ・トランクが脚本・監督を務め、『パルプ・フィクション』『イングロリアス・バスターズ』のローレンス・ベンダーが製作陣に名を連ねる。『ハウス・ジャック・ビルト』などのマット・ディロンTVシリーズツイン・ピークス」のカイル・マクラクラン、『ダンケルク』などのジャック・ロウデンらが共演する。(2020年 アメリカ,カナダ)
 

story:

1940年代半ばのフロリダ。長い服役生活を終えたアル・カポネは、大邸宅で家族や友人たちに囲まれひっそりと暮らしている。かつて“暗黒街の顔役”と恐れられたカリスマ性は失われ、梅毒の影響による認知症が進行していた。一方、FBIのクロフォード捜査官は今も彼を危険視して仮病を使っていると疑い、隠し財産1000万ドルのありかを探るべく執拗な監視活動を続けていた。やがて症状が悪化したカポネは現実と悪夢の狭間で奇行を繰り返して周囲を困惑させ、妻のメエでさえも彼の真意をつかめなくなっていくが...
 

review:

トム・ハーディがカポネ!カポネがトム・ハーディ!ってことで勇み足で劇場に向かったが、いささか勇み足が過ぎた。連日4時間のメイクアップを施して「スカーフェイス」になりきり、病魔に蝕まれ狂気に落ちていくカポネを生々しく演じたトム・ハーディーの怪演は確かに凄みがあったが、糞尿を垂れ流して徘徊する姿はなかなかショッキング。世界中のトム・ハーディーファンの落胆が見えるようだ。
 
それでも、映画が面白ければ受け入れられるものだと思うが、ひたすら陰鬱なだけで何も心に響いてこない。絶妙に間延びしたテンポ、抑揚があるんだか無いんだか、妄想なのか現実なのか分からない展開に睡魔が襲ってくるほどだった。暗黒街の顔役と言われた悪名高いギャングの哀れな末路を描いているが、これ、映画にする必要があった・・・?という疑問符しか残らない。何が言いたいのかよく分からないのである。
 
ちなみにこれを映画にしちゃった脚本家で監督のジョシュ・トランクは、かねてよりカポネの偉業に魅せられていたが、彼の最晩年が人々に忘れられ、勝利という観点からしか語られないことが気にかかっていたそうだ。いやだからって、という気持ちになるが、思わずアル・カポネの生涯をWikipediaで読んでしまったよ。
 
それで何が一番びっくりしたかって、彼の享年が48歳だったことである。ということは、本作でトムが演じていた「老」カポネは47、8歳だったということだ。深い業を背負い、生き急ぐ人間というのは、あのような形相になるのだろうか。それをなりふり構わず体現したトム・ハーディの仕事は素晴らしかったと言うべきだろう。
 

trailer:

【映画】世界で一番しあわせな食堂

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映画日誌’21-09:世界で一番しあわせな食堂
 

introduction:

アキ・カウリスマキの実兄で『GO!GO!L.A.』などで知られるミカ・カウリスマキ監督による人間ドラマ。フィンランドの小さな村にある食堂を舞台に、異国から来た料理人と地元の人々の出会いと心の交流を描く。主演はフィンランドの女優アンナ=マイヤ・トゥオッコと香港出身の俳優チュー・パック・ホング。フィンランドを代表する俳優ヴェサ=マッティ・ロイリ、カウリスマキ監督作『ヘルシンキナポリ/オールナイトロング』などのカリ・ヴァーナネンらが脇を固める。(2019年 フィンランド,イギリス,中国)
 

story:

フィンランド北部の小さな村に、中国・上海から料理人チェンとその息子がやってきた。彼らは恩人を探しに来たと言うが、その人を知る人は誰もいない。村で食堂を営むシルカは、チェンが食堂を手伝うことと引き換えに恩人探しに協力することに。恩人探しが思うように進まない一方で、チェンが作る中国料理は評判となり、食堂は大盛況。料理を通してシルカや常連客たちと次第に親しくなっていくチェンだったが、観光ビザの期限が迫り、帰国の日が近付いていた。
 

review:

ムーミン谷のフィンランド。世界幸福度第1位の国なのに、料理はイギリスより不味いと言われているらしい。知ってた?フィンランドには一度行ってみたいけど、イギリスに勝る味盲の国には住めないなぁ・・・。イギリス知らんけど。ちなみに「フィンランド料理」でググってみたら、お世辞にも美味しそうとは言えない画像とともにラップランドの食材盛り合わせ、トナカイ肉のソテー(とマッシュポテト)、バルチックニシンのフライ(とマッシュポテト)、ミートボール(とマッシュポテト)などが紹介されておった。
 
と言うわけなので、プロ料理人のチェンが作る美味しくて見た目も美しい、“医食同源”の中華料理はフィンランド人の心を鷲掴み。料理は国境を超えて喜びをもたらし、フィンランドの美しい自然を背景に、異なる文化を持つ人々が心を通わせていく。そりゃ、面白くないことはないけどもな。分断に揺れる現代社会に対する監督の強いメッセージはこれでもかと伝わってくるが、いかんせん、ストーリーが凡庸すぎて。描き方が浅くて登場人物に共感しないし、心が動かされるような抑揚が何もないのである。おじいちゃん二人組がいい味出してる。そこは良かった。
 
ミカ・カウリスマキ監督の実弟で、フィンランドを代表する巨匠アキ・カウリスマキの監督作品をこよなく愛する私であるが、兄弟だからって期待しすぎたのだろうか。アキ・カウリスマキの厳密なる配色の構図、端正な脚本、無駄のない寡黙な演出、そういうものを期待しすぎたのだろうか。勝手に期待してごめんよ・・・。アキのお兄ちゃんだから観とくか、という動機で観るつもりのカウリスマキ信者のみなさん、そういうつもりで観るのはおすすめしないっす・・・。
 

trailer:

【映画】ある人質 生還までの398日

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映画日誌’21-08:ある人質 生還までの398日
 

introduction:

2013年、シリアで過激派組織ISの人質となり398日ものあいだ拘束されるも、奇跡的に生還したデンマーク人写真家ダニエル・リューの救出劇を映画化。原作は、ジャーナリストのプク・ダムスゴーがダニエル・リューと関係者に取材して書き上げた「ISの人質 13カ月の拘束、そして生還」。『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』で世界的に知られるデンマーク出身のニールス・アルデン・オプレヴと、本作に出演している俳優アナス・W・ベアテルセンが共同で監督を務めた。『幸せな男、ペア』などに出演するデンマークの俳優エスベン・スメドが主演を務め、『ファンタスティック・フォー』のトビー・ケベルほか、デンマークを代表するキャストが共演。(2019年 デンマーク,スウェーデン,ノルウェー)
 

story:

24歳のダニエルはデンマークの代表チームに選ばれたエリート体操選手だったが、怪我でその道を断念し、ずっと夢だった写真家に転身する。彼は戦時下の日常を世界に伝えるため内戦中のシリアを訪れるが、非戦闘地域で過激派組織ISに拘束されてしまう。折しもシリアでは情勢が刻々と変化し、イスラム過激派の新興勢力が手を組んで資金調達のための誘拐ビジネスが活発化していたのだ。ダニエルの家族は巨額の身代金を要求されるが、デンマーク政府はテロリストと交渉しない方針を取り、家族は人質救出の専門家に協力を依頼する。家族が身代金の調達に苦慮しているあいだ、ダニエルは拷問と飢え、恐怖と不安に直面していた...
 

review:

シリアで内戦勃発の要因となった大規模な反政府デモが起きてから、10年が経つそうだ。21世紀最大の人道危機と言われているシリア内戦は、アサド政権と反体制派、クルド人勢力やトルコ支援勢力といった内戦当事者に加え、イスラム国(ISIS)の介入、それぞれを支援するアメリカとロシアの代理戦争など、宗教的、政治的思惑が複雑に絡み合い、終結の見通しは立っていない。シリアの内情は混乱を極め、40万人以上が命を落とし、国民の半数にあたる1000万人が家を失い、600万を超える人々が国外に逃れている。
 
シリアの現状を知ろうと開いてみた外務省のサイトによると、「シリア国内では、イスラム過激派(「イラク・レバントのイスラム国」(ISIL)や「シャーム解放機構」(HTS)等)、反政府武装勢力クルド勢力及びシリア軍・治安当局等の勢力が入り乱れて衝突しており、全土で多数の死傷者が発生しています。首都ダマスカスやアレッポ、ラッカを含むシリア全域で日本人渡航者・滞在者に深刻な危険が及ぶ可能性が極めて高い状況が継続しています。(中略)また、イスラム過激派組織や犯罪集団等による誘拐・強盗等の凶悪犯罪が多発しており、極めて危険な状況です。」とのこと。
 
過激派組織による誘拐は、日本にいる我々にとっても他人事ではない。2012年、アレッポで日本人ジャーナリスト山本美香さんが取材中に銃撃を受け死亡。2015年、シリアでISILに拘束されていた後藤健二さん、湯川遥菜さんの映像がインターネット上に公開され、その後死亡したとされている。2015年にシリアで拉致され、2018年10月に解放されるまで3年以上にわたり拘束されていた日本人ジャーナリスト安田純平さんの解放は記憶に新しい。そうしたニュースが駆け巡るたび日本では自己責任論が巻き起こるが、現地で起こっている真実を世界中の人々に伝える使命感を背負って危険な紛争地域に赴くジャーナリストや写真家がいなければ、私たちは知る術もない。
 
と言うわけで、いま世界で何が起きているのかを知るべく観に行った。398日間にわたってシリアで過激派組織ISに拘束され、地獄の日々を過ごしたダニエルの過酷な体験と、頑なにテロリストと交渉しない方針を貫くデンマーク政府、彼を救出するため奔走する家族の姿がスリリングに描かれる。ダニエルが現地で出会う他の人質たちとの描写も心に残る。が、よくできた再現ドラマの域を出ず。ISを内側から描くのであれば、彼らの怒りや憎悪がどこから来てどこに向けられたものなのか、なぜ人質ビジネスや見せしめの処刑をおこなうのか、そうした側面に触れてもよかったのではないかと思う。しかし、いまだイスラム国が健在であることを思い出し、シリアの人々の現状を認識できたことは有意義だった。

trailer:

【映画】すばらしき世界

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映画日誌’21-07:すばらしき世界
 

introduction:

『ゆれる』『永い言い訳』『ディア・ドクター』などの西川美和が脚本と監督を手掛け、直木賞作家・佐木隆三のノンフィクション小説「身分帳」を現代に置き換え映像化した人間ドラマ。これまでオリジナル脚本に基づく作品を発表してきた西川監督が、初めて原作ものに挑んだ。主演は日本映画界を代表する名優、役所広司。本作で第56回シカゴ国際映画祭インターナショナル コンペティション部門にて最優秀演技賞を受賞した。仲野太賀、長澤まさみ橋爪功梶芽衣子、六角精児、北村有起哉、白竜、キムラ緑子、安田成美らが共演する。(2020年 日本)
 

story:

13年の刑期を終え旭川刑務所をあとにした三上正夫は、身元引受人の弁護士・庄司を頼って上京し、下町のボロアパートで新しい生活を始める。今度こそカタギになると誓い自立を目指すが、目まぐるしく変化する社会に取り残された彼の職探しはままならない。その頃、作家を目指してテレビの制作会社を辞めたばかりの津乃田のもとに、やり手のプロデューサー吉澤から仕事の依頼が入る。前科者の三上が心を入れ替えて社会に復帰し、生き別れた母親と再会する筋書きで感動のドキュメンタリーに仕立て上げようというものだ。生活が苦しい津乃田はその依頼を請け、三上に近付くが...
 

review:

日本映画界には大変申し訳ないことに邦画をあまり観ないのだが、西川美和の作品は観るようにしている。西川美和は、綺麗ごとを描かない。観る者の胸の奥を鷲掴みにして、えげつないほど揺さぶってくる。彼女の作品からは、ある種の覚悟のようなものを感じるのだ。なので、心のなかで正座して観た。西川美和の覚悟とともに、役所広司という役者の凄みを見た。
 
ふと見せる人懐っこい笑顔で、津乃田のみならず観ている我々の心も油断させてしまう。かと思えば、怒りの感情をコントロール出来ず、激昂して声を荒げながら凄むさま、内側に秘めた凶暴性にギョッとさせられる。役所広司、すげぇ。という一言に作品の全てが集約されてしまいそうなほど彼の仕事は素晴らしかったのだが、北村有起哉や六角精児は言わずもがな、津乃田を演じた仲野太賀も独特のムードを持ち合わせていてよかった。
 
役所演じる三上は、幼い頃から極道の世界に足を突っ込み、人生の大半を刑務所で過ごしてきた前科10犯だ。中途半端に入っている背中の刺青が、彼の人生を物語っている。優しくてまっすぐな性分だが、生い立ちが禍して暴力しか解決方法を知らず、まっとうに生きる術を持たない。一度ドロップアウトした人間を許容しない社会の閉塞感が、彼の自尊心を覆い尽くしていく。あまりにも世知辛い。
 
社会に折り合いをつけて生きていくことがどういうことなのか、まっとうに生きるとはどういうことなのか。皮肉のような「すばらしき世界」の意味を考えさせられる。三上という不器用なはみ出し者の姿を通して社会の不条理をあぶり出し、それでも、西川美和は人間の愛おしさ、優しさの本質を描く。無駄のない脚本ながら、時にクスリと笑わされるユーモアの塩梅も流石だ。いつもながら丁寧な作品づくりで、映像や演出も素晴らしい。風にゆれるランニングシャツの切なさ、秀逸だった。ただただ、いい映画だった。
 

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