銀幕の愉楽

劇場で観た映画のことを中心に、適当に無責任に書いています。

【映画】私は確信する

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映画日誌’21-06:私は確信する
 

introduction:

フランスで実際に起こった未解決の“ヴィギエ事件”をモチーフにした法廷サスペンス。遺体や証拠もないまま妻殺害の容疑をかけられた男の裁判をめぐり、彼の無実を証明すべく奔走する弁護士らの姿を追い、フランス特有の司法制度の問題点をあぶり出す。監督はこれが長編デビューとなるアントワーヌ・ランボー。主演はコメディエンヌとしても人気の高いマリーナ・フォイス、実在の弁護士デュポン=モレッティを『息子のまなざし』などのオリヴィエ・ グルメが演じる。(2018年 フランス,ベルギー)
 

story:

2000年2月、フランス南西部トゥールーズ。ある日、38歳の女性スザンヌ・ヴィギエが3人の子供を残して姿を消した。夫である大学教授のジャックに殺人容疑がかけられ起訴される。明確な動機がなく、決め手となる証拠も見つからなかったジャックは第一審で無罪となるが、検察に控訴され、第二審で再び殺人罪を問う裁判が行われることに。彼の無実を確信するシングルマザーのノラは、敏腕弁護士デュポン=モレッティに弁護を懇願。自らも助手となって250時間の電話記録を調べるうちに、刑事、ベビーシッター、スザンヌの愛人らの証言がそれぞれ食い違っていることに気付き、新たな疑惑が浮かび上がってくるが...
 

review:

当時、“ヒッチコック狂による完全犯罪”とメディアがセンセーショナルに報じ、偏向報道と世間の声が証拠不十分の人物を容疑者に仕立て上げた“ヴィギエ事件”の第二審が舞台だ。2000年2月、妻のスザンヌが3人の幼い子どもを残して忽然と姿を消すが、破綻した夫婦生活や失踪の届出状況から夫ジャックに疑惑の目が向けられる。ちなみに映画の謳い文句にもなってるヒッチコックは映画の内容とほとんど関係ない。
 
フランスの司法では、確たる物証がなくても疑わしい状況証拠があれば殺人罪刑事告訴されることがあり、陪審員の判断によっては有罪判決となる可能性がある、ということに驚かされる。遺体もなく、目撃者も自白もない。ジャックが犯人だという証拠も犯人ではないという証拠が無いにもかかわらず、「疑わしきは罰せず」という推定無罪の原則が無視されてしまうのだ。
 
父ジャックに殺人容疑をかけられたことで人生を狂わされたヴィギエ一家の苦悩、ジャックの無罪を確信し、敏腕弁護士デュポン=モレッティに弁護を懇願し、自らも助手となって事件にのめりこんでいく主人公ノラの姿が映し出される。展開もスリリングだし、物語もそこそこ面白い。でも、どうしてノラが子育てや仕事やパートナーとの関係を犠牲にしてまでジャックの無罪にこだわるのか、さっぱり分からんのじゃ・・・。もっと言えば、証拠もないのに検察がジャックの容疑にこだわる理由も不明なのである。
 
ただ、250時間にも及ぶ通話記録を分析するうちに事件の真相に迫る快感を覚え、自分の「確信」にとらわれてしまったのだろう。客観的に観ている私たちでさえ、ノラが真犯人であると確信した人物に対して疑惑を抱き、彼が司法に吊し上げられるクライマックスを期待して興奮を覚えてしまう。彼が犯人である確固たる証拠もないのに、である。これこそが、この映画の真骨頂だろう。
 
デュポン=モレッティ弁護士は憎しみの感情に囚われ正義感が暴走するノラに、「これはジャックを無罪にする裁判だ」と諭す。真犯人をあぶり出そうと躍起になるノラと、同じくそのエンディングを期待していた我々は、ジャックを容疑者へと仕立て上げたかつてのメディアや大衆と同じなのだ。そして陪審員のひとりひとりに訴えかける、デュポン=モレッティ弁護士の最終弁論へとつながっていく。って気付いたのは暫く後で、観終わってすぐはノラさん何のために...とだけ思っていたのは内緒である。
 

trailer: 

【映画】マーメイド・イン・パリ

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映画日誌’21-05:マーメイド・イン・パリ
 

introduction:

パリの街を舞台に、恋を忘れた男と人魚が織りなす恋物語を描いたファンタジー。監督は、アニメーション映画『ジャック&クロックハート 鳩時計の心臓をもつ少年』などで知られるフランスのアーティスト、マチアス・マルジウ。リーバイスヒューゴ・ボスのモデルとしても活躍し、『ダリダ〜あまい囁き〜』などに出演したニコラ・デュヴォシェルが主演を務め、『青い欲動』などの若手女優マリリン・リマ、ペドロ・アルモドバル監督作品の常連ロッシ・デ・パルマなどが出演している。(2020年 フランス)
 

story:

記録的な雨による大増水で、浸水してしまったパリ。セーヌ川に浮かぶ老舗のバーでパフォーマーを務めるガスパールは、ある夜、傷を負い倒れている人魚ルラを見つけて保護する。美しい歌声で男たちを魅了し、恋に落ちた男性の心臓を破裂させ命を奪っていたルラは、ガスパールにも歌を歌い聞かせるが、過去の失恋で心が壊れてしまっていた彼にはその歌声が全く効かなかった。二人は次第に惹かれ合うが、ルラは2日目の朝日が昇る前に海に帰らねば、命を落としてしまうという。
 

review:

その昔、『スプラッシュ』という映画があった。1984年にドラマの名匠ロン・ハワードダリル・ハンナトム・ハンクスで撮った、ニューヨークの青年と人魚の恋を描くファンタジー・ラブストーリーだ。それはそれは良い映画で、10代でこの作品に出会った私は何度もビデオで観て感動したものだ。いま同じ感想を抱くかは分からないけど、もしかしたら、私が映画好きになったベースのひとつにはなっているかもしれない。なので人魚が題材だと、つい観てしまうのである。ちなみに私が「映画っておもしれー」と初めて理屈抜きで感じたのはおそらく、小学生のときに映画館で観たスピルバーグの『太陽の帝国』である(どうでもいい)。
 
さて、パリの人魚。観ていてつまらないことはないんだけど、どうにも心のどこにも刺さらない。まずストーリーが荒削り。主役のガスパールをはじめ登場人物の背景や人物像の描き方がとっ散らかってて、二人が恋に落ちる必然性も見当たらない。そもそも、みんなが人魚の存在をあっさりと受け入れているのがどうにも不思議な、ファンタジーが過ぎる世界。いや街の中を人魚積んだトゥクトゥクが疾走してたらあっという間に世界中に拡散されてトレンド入りだよ・・・。先日新宿駅東口にピッコロ大魔王と海王様がいたので速攻写真撮って速攻SNSに上げた私が言うのだから間違いない。
 
映像の雰囲気としては奥行きのない『アメリ』、あるいはティム・バートンミシェル・ゴンドリーかウェス・アンダーソンの廉価版。アラフォーのおっさんがオモチャだらけの部屋に住んでいるのはまるで現実味が無いが、ファンタジーと思えばファンタジーだし、そんなおっさんだから子どもみたいに無垢な人魚と恋に落ちることが出来るのかもしれないし、かわいいと言えばかわいいので、そういう雰囲気を楽しみたい人にはいいのかも。でも日本の公式サイトで監督のプロフィール写真観たら、キテレツを装ったおっさんでちょっとイラっとした。良いところを挙げるならば、隣人を演じていたロッシ・デ・パルマは最高。この映画の素晴らしさを数値化したら、半分くらい彼女が持っていくんじゃないかな。
 

trailer:

【映画】わたしの叔父さん

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映画日誌’21-04:わたしの叔父さん
 

introduction:

デンマークの農村を舞台に、体が不自由な叔父と一緒に酪農を営む女性に訪れた人生の転機を描くヒューマンドラマ。監督・脚本は、デンマークの新鋭フラレ・ピーダセン。主演は獣医から女優に転身した経歴を持つ若手イェデ・スナゴーと、彼女の実の叔父であり、実際に劇中の農場を所有する酪農家ペーダ・ハンセン・テューセン。第32回東京国際映画祭で東京グランプリと東京都知事賞を受賞したほか、各国の映画賞で受賞している。(2019年 デンマーク)
 

story:

デンマークユトランド半島の農村。27歳のクリスは家族を亡くして以来、酪農を営む叔父と2人で暮らしている。足が不自由な叔父の世話をしながら酪農の仕事をし、夕食のあとはコーヒーを淹れてくつろぎ、週に一度はスーパーマーケットに出かける。穏やかな日々を淡々と過ごす2人だったが、ある日クリスはかつて抱いていた獣医になる夢を思い出す。さらに、教会で出会った青年マイクからのデートの誘いに胸が高鳴りつつも、ふいに訪れた人生の変化に戸惑っていた。そんなクリスの様子に気が付いた叔父は、姪の幸せを静かに後押しするが...
 

review:

日本でも話題になった「ヒュッゲ」なデンマークの暮らしが描かれる。「ヒュッゲ」とは、心の満足や健康を促進するための、居心地がよく快適な空間や、楽しい時間のことだ。クリスと叔父さんも、毎晩その空間と時間を共有している。デンマークの伝統的な酪農家の営みや食生活、生活に溶け込む優れたデザインや美しいインテリアも興味深い。
 
好みが分かれる作品だろうし、退屈する人もいるだろう。監督・脚本のフラレ・ピーダセンは小津安二郎に影響を受けているそうだ。「ミニマルだが奥深い構成、何気ない日常の一瞬のきらめきを掬い取る手腕、観客を不意打ちする絶妙な間合いと思わず笑みがこぼれるユーモアのセンスは、同じく小津作品をこよなく愛するジム・ジャームッシュアキ・カウリスマキを彷彿とさせる。」と解説にあったが、彼らよりもずっと繊細だ。
 
一切の無駄を省いた脚本で、日々の暮らしが淡々と描かれる。端正で美しい映像は、どこまでも静謐だ。その代わり、繰り返される生活の営みのなかで起こる僅かなゆらぎ、登場人物の些細な動作や仕草、ふとした表情がこれでもかと語りかけてきて、いっときも目が離せない。
 
2人で支え合ってきた叔父と姪の信頼関係。諦めたはずの夢が引き起こす葛藤、恋に落ちる瞬間。家族を失った自分を引き取って育ててくれた叔父さんへの思い。フラレ・ピーダセンは緻密な心理描写で、言葉より多くのものを伝えてくる。その仕事は見事であるし、クリスの戸惑いや恐れを体現したイェデ・スナゴーの演技も素晴らしかった。
 
そして、未来を切り開こうとしていたクリスの物語は、思いがけない展開を見せる。運命や宿命というものがあるなら、そうした類のものだろうか。ネタばれしてしまうからこれ以上書けないけれど、しかし彼女は、自分の人生を選択したはずだ。大切な人との何気ない暮らしのなかで、きっと幸せであってほしい。心に残る、美しい作品だった。
 

trailer:

【映画】天空の結婚式

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映画日誌’21-03:天空の結婚式
 

introduction:

イタリア有数の観光地チヴィタ・ディ・バニョレージョ(天空の村)を舞台に、ゲイカップルの結婚式をめぐる騒動を描いたコメディ。ニューヨークのオフ・ブロードウェイで上演されたヒット舞台「My Big Gay Italian Wedding」を、イタリアのアレッサンドロ・ジェノヴェージ監督が映画化した。主演はNetflix作品『リッチョーネの日差しの下で』などのクリスティアーノ・カッカモ、『TAXi ダイヤモンド・ミッション』などのサルヴァトーレ・エスポジト。イタリアで絶大な人気を集める実在のウェディング・プランナー、エンツォ・ミッチョが本人役で出演している。(2018年 イタリア)
 

story:

ベルリンに暮らす役者のアントニオは、恋人で役者仲間のパオロにプロポーズし、2人は結婚を決意する。しかし問題は互いの両親に結婚の承諾を得ること。すでにカミングアウトしているパオロは母親と疎遠になっており、一方のアントニオは両親に何も話せていなかった。アントニオはカミングアウトと同時に結婚の意志を両親に伝えるため、イタリアの観光地で村長を務める父と母のもとへパオロを連れて行くが...
 

review:

この映画の見どころ、アントニオがイケメン。「チヴィタ・ディ・バニョレージョ」の絶景。以上。って言いたいところだが、観るんじゃなかった、とまでは思っていないので、少々良いところもあったはずだろう。もう少し掘り下げてみようかな? 
 
2016年、イタリアの下院議会で同性カップルの結婚に準ずる権利を認める「シビル・ユニオン」法が可決されたことを受けて、ニューヨークのオフ・ブロードウェイでロングラン上演された大ヒット舞台「My Big Gay Italian Wedding」を映画化したものだ。冒頭、笑顔が爽やかなイケメン(アントニオ)が愛する人との出会いからこれまでを回想し、プロポーズするまでのシークエンスが心地好い。指輪を渡された相手が熊のぬいぐるみ系男子なのもほっこりする。
 
この作品の舞台となっているのは、崖の上にそびえる「天空の村」だ。イタリア、ラツィオ州に位置する分離集落「チヴィタ・ディ・バニョレージョ」は、『天空の城ラピュタ』のモデルともいわれている。その歴史はローマ帝国よりも古く、2500年以上前にイタリア中部の先住民エトルリア人によってつくられた都市であるが、雨風や自然災害による台地辺縁部の侵食、崩落によって風化が進んでおり、「死にゆく町」(il paese che muore)とも言われているそうだ。300メートルほどの長さの狭く急な橋を渡る以外に集落へ行く方法がないものの、イタリアの「最も美しい村」にも選出された観光名所でもある。その絶景を観光気分で拝めるのはお得だ。
 
アントニオの父はこの村の村長を努めている。村を立て直すために観光客も移民も受け入れようと議会で訴えるリベラル派だ。でも、息子がゲイである事実は受け入れられない。一方、母アンナは息子たちを受け入れ、チヴィタ・ディ・バニョレージョでの盛大な結婚式を画策する。そして彼らは結婚式を迎えるにあたり、熊のぬいぐるみ系男子パオロの母を説得しに行ったり、かと思えば、アントニオの元カノが絡んできたり。
 
そのドタバタ劇を、女装趣味で情緒不安定なドナートをはじめ変人だらけの登場人物たちが彩る・・・というものだが、ざ、雑〜!!!脚本や構成が雑だし、人間関係の描き方も雑だし、特に終盤のプロットはひどいものがある。もとになった舞台を凝縮したのか希釈したのか分からないけど、もうちょっとどうにかならなかったものか。と思うものの、要するにB級コメディなのである。あまり深く考えてはいけない。たぶん。
 

trailer:

【映画】聖なる犯罪者

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映画日誌’21-02:聖なる犯罪者
 

introduction:

世界中の映画祭で上映され数多くの賞を獲得し、第92回アカデミー賞の国際長編映画賞にノミネートされたポーランド発の人間ドラマ。実話をもとに、過去を偽り聖職者に成り済ました青年の運命に迫る。監督は『リベリオン ワルシャワ大攻防戦』やNetflixで配信中の『ヘイター』などのヤン・コマサ。ポーランド若手俳優バルトシュ・ビィエレニアが主人公を演じ、『夜明けの祈り』などのエリーザ・リチェムブルらが共演。(2019年 ポーランド,フランス)
 

story:

少年院で出会った神父の影響でキリスト教徒となった20歳の青年ダニエルは、前科者は聖職者になれないと知りながら神父になることを夢見ていた。仮釈放となったダニエルは、就職することになった田舎の製材所に向かう道中、たまたま立ち寄った教会で新人の司祭と勘違いされてしまい、留守にする司祭の代理を任されることになる。村人たちは聖職者らしからぬ言動をする彼に困惑するものの、徐々に信頼するようになっていく。数年前にこの村で起きた凄惨な事故があったことを知ったダニエルは、深い傷を負った村人たちの心を癒そうと模索するが...
 

review:

ヤン・コマサ監督のインタビューによると本作は、9年ほど前にポーランドで神父になりすましたパトリックという19歳の青年をモデルにしているそうだ。彼はいくつもの村で神父になりすまし逮捕起訴されるが、騙されたはずの村人たちが裁判で「良い人なので許してやってほしい」と証言し、無罪放免になったとか。ポーランドを始めヨーロッパでは、「なりすまし神父」事件が珍しくないらしい。歴史的にもカトリック教会が絶大な影響力を持つポーランドで、司祭服を着ている人に身分の証明を求める行為は心理的に憚られるだろう。人はいとも簡単に、肩書きや服装に象徴される「権威」に服従してしまう。
 
少年院でキリスト者となったダニエルは、聖職に就くことを切望しているが、前科がある限り叶わない。ちなみにここで言う聖職とは、カトリックの司祭(神父)のことだ。色んなレビューを読むとプロテスタントの牧師と混同している人がチラホラいるのだが、両者は教会の制度も性質も全く異なる。宗派によると思うがプロテスタントの場合、前科があっても牧師になることは可能だ。また、プロテスタントの牧師は結婚できるが、カトリックの司祭は純潔を守ることが義務であり、妻帯できない。
 
なので「聖職に就きたい」と言いながら酒をあおり、薬で瞳孔が開き、肉欲に溺れるダニエルの行動は矛盾だらけなのだ。本来の性質は暴力的で不道徳、司祭(ニセ)としても型破りだが紛れもない信仰心を持ち、行動を起こすことで自らを善良だと思い込んでいる村人たちの罪を示唆し、自分の身が破滅することも顧みず最後まで人々の心に寄り添い続けようとするダニエル。彼の姿を通してカトリックを風刺し、加害者と被害者の立場を曖昧にしながら、傷ついた人々の再生を映し出していく。
 
実に挑発的な作品である。ぐっと引き込まれ、最後まで惹きつけられて面白かったが、何がどう良かったのかうまく説明できないでいる。目の当たりにしたものを、なかなか咀嚼することができない。善と悪、真と偽、聖と俗を行き来し、人間像がまるで掴めないダニエルの危うさ。澄んだ瞳に狂気と信仰が入り混じる眼差しが、心をかき乱す。ダニエルを演じたバルトシュ・ビィエレニアの不穏な佇まいが、何とも不安な気持ちにさせる。善悪の概念を超えたラストシーンは、神の啓示のようでもある。罪とは、赦しとは。考え続けなくてはいけなくなった。
 

trailer:

【映画】パリの調香師 しあわせの香りを探して

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映画日誌’21-01:パリの調香師 しあわせの香りを探して
 

introduction:

嗅覚を失った天才調香師と、仕事も親権も取り上げられそうになっている崖っぷちの運転手の交流を描いた人間ドラマ。監督・脚本は、ドキュメンタリーとフィクションの両方を手掛ける映画作家グレゴリー・マーニュ。『ヴィオレット-ある作家の肖像』『もうひとりの息子』などで知られるフランスの名女優エマニュエル・ドゥヴォスドラマシリーズ「エージェント物語」 などのグレゴリー・モンテルが主演を務め、『幸福なラザロ』などのセルジ・ロペスらが共演している。(2019年 フランス)
 

story:

アンヌはかつて天才調香師として世界中のトップメゾンの香水を手がけてきたが、4年前、仕事のプレッシャーと忙しさから嗅覚障害になり、地位も名声も失ってしまう。嗅覚が戻った現在はエージェントから紹介される企業や役所の地味な仕事を引き受けながら、パリの高級アパトルマンでひっそりと暮らしていた。そんな彼女に運転手として雇われたのは、元妻と娘の親権でもめている上に仕事も失いかけていたギヨーム。気難しいアンヌに戸惑うギヨームだったが、アンヌは彼の人柄と匂いを嗅ぎ分ける才能を気に入り、少しずつ心を開いていく。ギヨームと一緒に仕事をこなすうちに、新しい香水を作りたいという思いを強くするアンヌだったが...
 

review:

フランス人にとって、香水はワインやフランス料理と同じくらい重要だと言う。パリの香水文化はルイ王朝時代に花開き、香水植物の栽培が盛んだった南仏グラース市で香水産業が発展し、ゲランやフラゴナール、シャネルやディオールといった名門を生み出した。フランスで一流の調香師は ”ネ(nez)= 鼻 "と呼ばれ、「一流の鼻を持っている人」として人々の尊敬を集める存在である。
 
この作品に登場するアンヌも、世界中のトップメゾンの香水を手がけてきた天才調香師で、クリスチャン・ディオールの名作「ジャドール」を生み出した設定だ。ディオールの撮影協力に加え、ジョー マローン ロンドンで多くのヒット香水を手掛けた現エルメスの専属調香師クリスティン・ナーゲルが監修を担当し、知られざる“トップ調香師の世界”の裏側を覗き見ることができる。香りに関する知識が散りばめられており、それだけでも興味深い。
 
そして和む。めちゃくちゃ和むのである。高級アパルトマンに住むアンヌと、ワンルームで不安定な暮らしを営むギヨーム。異なる世界に住み、生活も性格もまるで正反対の二人が、”香り”の世界を触媒にして心を通わせていく様子が丹念に描かれている。そして何と言っても、男女二人が登場すると欲望が高まりがちなフランス映画において(偏見)、安易な恋愛関係を感じさせない脚本と演出が秀逸なのだ。洗練された大人の物語は、実に淡々とした語り口だが不思議な求心力があり、中弛みなく楽しむことができる。
 
天才肌で気難しいが、無邪気さと優しさを併せ持つアンヌを魅力的に演じたエマニュエル・ドゥヴォス、人付き合いが苦手なアンヌを支えるギヨームを絶妙なユーモアで演じたグレゴリー・モンテルら、俳優の演技も素晴らしく、二人が交わす会話も示唆に富む。個人的に、アンヌがギヨームに娘との関わり方を指摘する場面が印象的だった。娘の誕生日は娘が行きたいところに行くのだと言うギヨームに、アンヌは「あなたが行きたい場所に行けばいい。あなたが見せたい景色を見せれば、それはきっと何十年も心に残る。」と教える。そう、そうなんだよ。いい映画だった。
 

trailer: 

【映画】この世界に残されて

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映画日誌’20-50:この世界に残されて
 

introduction:

第二次世界大戦後、ソ連の影響下にあったハンガリーを舞台に、ホロコーストを生き延びた少女と医師の交流を描いた人間ドラマ。短編映画で評価されてきたバルナバ―シュ・トートが監督を務め、ベルリン国際映画祭金熊賞受賞作『心と体と』のプロデューサー、モーニカ・メーチとエルヌー・メシュテルハーズィが製作を手がけた。映画初主演となるアビゲール・セーケと、ハンガリーを代表する名優カーロイ・ハイデュが共演。(2019年 ハンガリー)
 

story:

第二次世界大戦終戦後の1948年、ハンガリーホロコーストを生き延びたものの家族を喪った16歳の少女クララは、両親の代わりに保護者となった大叔母オルギにも心を開かず、同級生とも打ち解けず、孤独な日々を暮らしていた。そんなある日、クララは寡黙な医師アルドに出会い、言葉を交わすうちに彼に少しずつ心を開いていく。やがてクララは父を慕うように彼に懐き、アルドは彼女を保護することで人生を取り戻そうとする。だが、スターリン率いるソ連ハンガリーで権力を掌握すると、再び世の中は不穏な空気に包まれ...
 

review:

知っているようで知らない、ルービックキューブの国ハンガリーについてググってみる。ハンガリー中央ヨーロッパの共和制国家、首都はブダペスト。国民の86%以上をマジャル人(ハンガリー人)が占め、ロマ(ジプシー)とドイツ人が住まう。第二次世界大戦以前にはユダヤ人も多かったが、約56万人ものユダヤ人がナチス・ドイツによって殺害され、迫害によってアメリカやイスラエルに移住していったそうだ。そして終戦後は、ソビエト連邦の強い影響下で社会主義国家となった。戦争で受けた傷を癒す間も無く、スターリンの独裁が台頭し、党員でなければ政治的迫害を受けるようなキナ臭い時代を迎えたのである。
 
そうした時代背景のなか、ホロコーストで家族を喪い、癒えることのない傷を負った少女と孤独な中年医師が、年齢差を超えて痛みを分かち合い、絶望のなかから希望を見出していく物語である。少女クララを演じたアビゲール・セーケはこれが映画初出演ながら、残された者の怒りや哀しみを体現し、ハンガリー映画批評家賞最優秀女優賞を受賞した。ハンガリーを代表する名優カーロイ・ハイデュクが寡黙な医師アルドを演じ、心のひだを感じさせる繊細な演技でハンガリーアカデミー賞およびハンガリー映画批評家賞で最優秀男優賞を受賞している。
 
クララとアルド、親子のような友情のような、繊細で曖昧な関係が描かれていく。が、えっ、あたし知らない間に寝てた・・・!?と思うくらい、2人の関係が構築される過程、つまり導入部分がない。クララがアルドに懐く様子が唐突すぎて、いつ2人の心が通い合ったのか分からないのである。完全に置いてけぼりになったものの、美しい、端正な映像から目が離せないのである。親密に心を寄せ合いながら、決して一線を越えることのない特殊な愛のかたちが、丹念な心理描写で映し出される。輝きを取り戻して女性になっていくクララ、不穏な空気に包まれていく世相に戸惑い、揺らぐ2人の関係。観ているこっちの心も掻き乱されっぱなしである。
 
しかしなるほど、『心と体と』のプロデューサー、モーニカ・メーチとエルヌー・メシュテルハーズィが製作したんだったら納得だよ・・・。孤独な男女の心の結びつきを描かせたら芸術。バルナバーシュ・トート監督曰く
 
「クララとアルドは、性的な関係ではありません。それはアルドが紳士、かつ人間だから。もちろん誘惑に戸惑うことはありますが、それには負けない。大人の男性とはイノセンスを都合よく利用したり、搾取したりしないものだから。逆にクララは、全ての意味でアルドを愛しています。でもアルドは、彼女が“愛”の意味をまだ理解していないのを知っている。だから一時の感情に流されないのです。」
 
とのこと。近年ホロコーストを題材にした映画が量産されていて若干食傷気味ではあるが、心に残る秀作であった。
 

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