銀幕の愉楽

劇場で観た映画のことを中心に、適当に無責任に書いています。

【映画】声優夫婦の甘くない生活

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映画日誌’20-49:声優夫婦の甘くない生活
 

introduction:

1990年、ソ連からイスラエルに移民した声優夫婦の第二の人生を、フェデリコ・フェリーニなどの名作へのオマージュを交えながらコミカルに描いた人間ドラマ。エフゲニー・ルーマン監督が、旧ソ連圏から移民した自身の経験をもとに、海を渡ったロシア系ユダヤ人のリアルな姿を映し出した。主演は『ベルベット・アサシン』『アメリカン・アサシン』などのウラジミール・フリードマンイスラエルで活躍する俳優マリア・ベルキンなどが出演する。(2019年 イスラエル)
 

story:

1990年、ソ連からイスラエルへ移民したヴィクトルとラヤ。かつてソ連に届くハリウッドやヨーロッパ映画の吹き替えで活躍した声優夫婦だったが、新天地では声優の需要がない。生活のため、ラヤは夫に内緒でテレフォンセックスの仕事に就き、思わぬ才能を発揮して売れっ子に。一方のヴィクトルは、違法な海賊版レンタルビデオ店で再び声優の職を得る。ようやく生活が軌道に乗り始めた2人だったが、妻の秘密が発覚したことがきっかけで、お互いの本音が噴出し...
 

review:

この夫婦がソ連からイスラエルに移民した1990年前後の世界情勢について調べてみた。学校で学んだはずだし、何なら中学生だったんだけどね・・・東西冷戦の緊張感、核戦争の恐怖とノストラダムスの予言に怯えていたことしか覚えてない・・・。1985年以降、ゴルバチョフが押し進めるペレストロイカ(改革)を背景に東西冷戦が集結に向い、「鉄のカーテン」に穴があく。1989年12月、地中海のマルタ島ゴルバチョフジョージ・H・W・ブッシュが冷戦の終結を宣言。1990年10月にベルリンの壁崩壊。1991年1月に湾岸戦争勃発。失敗に終わったクーデターやバルト三国の独立を経て1991年12月、ソ連は崩壊した。
 
ソ連崩壊劇の前後、社会主義計画経済が行き詰まって国が混乱すると、生活レベルが低下した人々は経済の不満を「ユダヤ人が作った共産主義」のせいだと噂し、苛立ちの捌け口をユダヤ人に向けるようになる。そもそも帝政ロシアの時代から反ユダヤ主義が政府の公式方針であり、迫害を恐れたユダヤ人たちがソ連を離れ、大量移民が始まった。現在イスラエルにおけるロシアからの移民は120万人にも達し、人口の15%を占めているそうだ。
 
そうした背景のなか、ヴィクトルとラヤの夫婦もイスラエルの空港に降り立った。彼らの表情には、第二の人生、新しい生活への希望が見て取れる。2人とも、かつてはソ連で公開される欧米映画の吹き替えで活躍した売れっ子声優だった。しかし新天地において声優としての需要はなく、生活のため職探しに奔走しなければならなくなる。背に腹は変えられず、ラヤはテレフォンセックスの仕事に就いて意外な才能を発揮し、ヴィクトルは違法な海賊版レンタルビデオ店にたどり着いて、フェリーニ愛を爆発させたりする。
 
アキ・カウリスマキ信者の私が敢えて言うが、どことなく、アキ・カウリスマキ的な情緒を感じさせる。アキ・カウリスマキほどではないが、端正でノスタルジックだ。声優夫婦の歴史を物語るフェデリコ・フェリーニやハリウッド名画へのオマージュとともに、抑圧されたソ連時代の呪縛から解放されるも生計を立てるために困惑し、湾岸戦争の脅威に怯え暮らす移民の複雑な心境を描き出している。ルーマン監督自身が少年時代に旧ソ連より移民しており、その経験を元に7年の歳月をかけてこの物語を作り上げたそうだ。そして、夫婦愛とユーモアが少し。夫婦を演じた俳優たちの演技も素晴らしく、佳い作品だった。
 

trailer:

【映画】パリのどこかで、あなたと

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映画日誌’20-48:パリのどこかで、あなたと
 

introduction:

スパニッシュ・アパートメント』『おかえり、ブルゴーニュへ』などのセドリック・クラピッシュが監督と脚本を担当し、不器用に生きる2人の男女の成長と出会いを描いたラブストーリー。『おかえり、ブルゴーニュへ』で姉弟役を演じて2度目の共演となるアナ・ジラルドとフランソワ・シヴィルが主演を務め、『今宵、212号室で』などのカミーユ・コッタンや、『トランスポーター』シリーズなどのフランソワ・ベルレアンらが共演する。(2019年 フランス)
 

story:

パリの隣り合うアパートメントに暮らしているが、互いに面識のない30歳のメラニーレミー。過去の恋愛を引きずるメラニーは、がんの免疫治療の研究者として多忙な日々を送りながら、マッチングアプリで出会った男性たちと一夜限りの関係を繰り返していた。一方、倉庫で働くレミーは、同僚が解雇されるなか自分だけが昇進することへの罪悪感を抱えている。それらのストレスから、メラニーは過眠症に、レミー不眠症に苦しむ日々が続き、それぞれセラピーに通い始めるが...
 

review:

都会では、隣人の顔を知らないことなど当たり前だ。私の隣人はよく鍵を忘れてコンビニに行ってしまうらしく、たまに1階ロビーから救助要請がある。誰かが出入りするタイミングに合わせてオートロックを突破出来ても、鍵がないと自分が住んでいる階に辿り着けない仕様だからだ。毎回インターホンの画面越しに顔を見る。何なら毎回名乗ってくれる。なぜコンビニに行ったことが分かるかと言うと、手にセブンイレブンのコーヒーを持っているからだ。でも名前も顔も忘れてしまった。ああ、東京砂漠・・・。
 
都会の喧騒の中で、隣り合うアパートメントで暮らしながらも、お互いのことを知らない男女。同じ電車に乗り、同じ店で買い物をして、同じように孤独や不安を埋められないが、知り合うことはない。そんな2人が、自分を癒し、自分自身を受け入れ、誰かを愛せるようになるまでを描く。なかなかユニークなラブストーリーだ。何しろ主演の男女が全く出会わないのである。もどかしさに悶絶するが、マッチングアプリSNSで誰とでも簡単に出会える時代において、「本当の愛に出会うために必要な過程」にフォーカスしているのだ。
 
近くにいながら、すれ違う2人の宇宙が無意識でつながる、いくつかの瞬間。虚しさを抱えて紆余曲折しながら、セラピーで自分の葛藤と向き合い、癒されていくさま。世界で最も美しい街・パリの下町に住まう人々の日常が、ひっきりなしに列車が行き交う線路沿いのアパートメント、中東系の店主が営む食料品店などを触媒にして、多層的に描かれる。美しくスタイリッシュな構図で、都会で生きる孤独や不安がていねいに紡がれており、いい作品だった。
 
私も少し前まで、都会の片隅で独身生活を営む孤独死予備軍だった。結婚願望が限りなく低めだったので全然困ってなかったけれど、過不足ない生活のはずが、時折、心にぽっかりと空いた穴に隙間風が吹く瞬間、何とも言い難い虚しさを感じる。そうと気付いたのは、遅い結婚をして穴が埋められたからだ。とは言え、結婚しない人生だった場合は、その虚しさごと飼い慣らして違う喜びを見出していただけなのだろうとも思う。それが別に妻や夫じゃなくてもいい。誰よりも自分を愛し、誰かと愛し愛される人生の幸福を、この映画は伝えている。
 

trailer:

【映画】ニューヨーク 親切なロシア料理店

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映画日誌’20-47:ニューヨーク 親切なロシア料理店
 

introduction:

ドグマ95作品『幸せになるためのイタリア語講座』で注目されたデンマーク出身の女性監督ロネ・シェルフィグによる人間ドラマ。ニューヨーク・マンハッタンにある老舗ロシア料理店に集う人々の交流を描く。『ルビー・スパークス』などのゾーイ・カザン、『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』などのアンドレア・ライズボロー、『預言者』などのタハール・ラヒムのほか、名優ビル・ナイケイレブ・ランドリー・ジョーンズなどが出演する。2019年・第69回ベルリン国際映画祭コンペティション部門出品。(2019年 デンマーク,カナダ,スウェーデン,フランス,ドイツ,イギリス,アメリカ)
 

story:

ニューヨーク・マンハッタンで創業100年を超える老舗ロシア料理店「ウィンター・パレス」。だが、現在のオーナーであるティモフェイは商売に興味がなく、かつての栄華は過去のものとなっていた。経営を立て直すため雇われたマネージャーのマークは刑務所を出所したばかり、常連の看護師アリスは恋人に裏切られて以来、他人のためだけに生きる変わり者。訳ありの過去を抱えた人物ばかり集まるこの店に、夫から逃げてきた無一文のクララが、2人の子供を抱えて転がり込んでくるが...
 

review:

邦題から、ほんわかしたドラマを想像すると肩透かしを喰らう。夫のモラハラとDVから無一文で逃げ出した子連れの女性が、ロシア料理店で暖かい人たちの助けを借りて人生再建するかと思いきや、なかなかロシア料理店に辿り着かないのである・・・。ニューヨークも東京も、大都市には暗部がある。キラキラと光輝く分だけ、陰ができる。極寒のニューヨークで生きるホームレスや、シェルターに身を寄せる人々のシビアな現状が映し出されて、なかなかにしんどい。だが、訳ありの人々が身を隠すことが出来るのも、大都市の隙間だ。
 
そして、都会の底辺で生きている人々に、そっと手を差し伸べる人々もいる。邦題は主題がぼやけてしまっているが、原題は "The Kindness of Strangers" だ。堕ちてしまうギリギリのところにいながら、”見知らぬ人の親切” によって、どうにかして生きる希望をつないでいく。ロシア料理店〈ウィンター・パレス〉に集う ”訳有り” の人々が、自分を赦し、過去を受け入れ、人生を取り戻す姿を描いた群像劇でもある。構成や脚本が練られていて、いい映画だった。でもロシア料理店はこの物語の軸じゃないから、別にタイトルに付けなくて良かったねぇ・・・。
 
クララを演じたゾーイ・カザンも素敵だったけど、恋人に裏切られて以来、救急病棟の激務の傍らで他人のためだけに生きる変わり者のアリスを演じたアンドレア・ライズボロー、仕事をすぐクビになる少々アホっぽいジェフを演じたケイレブ・ランドリー・ジョーンズも良かった。どこかで見たと思ったら、『ノーカントリー』や『スリー・ビルボード』に出ている俳優さんだった。ジェイ・バルチェルが演じた弁護士もキャラクターが立っていたし、2人の息子も可愛くて良かった。
 
しかし何と言っても、ロシア料理店の設定くらい物語に必要がなさそうなビル・ナイおじさんである。多分いなくても物語の進行に差し障りがないくらい存在が軽いのだが、ビル・ナイが出ているだけで、映画がどっしりするのずるい。あと、何だか面白げになる。大したことしてないのに、何なら映画の印象の半分くらいがビル・ナイである。みんな、ビル・ナイおじさんに会いに行くといいよ。
 

trailer: 

【映画】燃ゆる女の肖像

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映画日誌’20-46:燃ゆる女の肖像
 

introduction:

18世紀のフランスを舞台に、望まぬ結婚を控える貴族の娘と彼女の肖像を描く女性画家の愛を描き、第72回カンヌ国際映画祭脚本賞クィアパルム賞を受賞したラブストーリー。デビュー作『水の中のつぼみ』が、第60回カンヌ映画祭「ある視点部門」に正式出品され高い評価を受けたセリーヌ・シアマが脚本と監督を手掛ける。撮影監督は『モン・ロワ 愛を巡るそれぞれの理由』やNetflix 映画『アトランティックス』などで多数のノミネート・受賞をしているクレア・マトン。『ブルーム・オブ・イエスタディ』『午後8時の訪問者』などのアデル・エネル、『英雄は嘘がお好き』『不実な女と官能詩人』などのノエミ・メルランらが出演する。(2019年 フランス)
 

story:

18世紀、フランス。画家のマリアンヌはブルターニュの貴婦人から、娘のエロイーズの見合いのための肖像画を依頼され、孤島の城を訪れる。しかしエロイーズは結婚を拒んでいた。マリアンヌは正体を隠して彼女に近付き、密かに肖像画を完成させるが、真実を知ったエロイーズから絵の出来栄えを否定されてしまう。書き直すと決めたマリアンヌに、エロイーズは意外にもモデルになると申し出る。キャンバスをはさんで見つめ合い、美しい島を散策し、音楽や文学について語り合ううちに、恋に落ちていく2人だったが...
 

review:

18世紀のフランスといえば、マリー・アントワネットが「パンが無ければケーキを食べればいいじゃない」と言ったとか何とかで、その後フランス革命が起き、バスティーユで銃弾に倒れたオスカルが「アンドレが待っているのだよ・・・」「フランス万歳」という言葉を遺してこの世を去った時代である(雑)。要するに絶対君主制のもと、宮廷の貴族文化が花開いた時代でもあったが、貴族の娘は政治の道具でしかなく、結婚に自分の意思など入る余地はない。また、文才や画才があったとしても、女性が自分の名で作品を世に出して真っ当に評価されることなどなかった。
 
そのような時代に生きた、3人の女性。自ら命を絶った姉の身代わりとして修道院から呼び戻され、望まぬ結婚を強いられる貴族の娘。父親の名前でないと展覧会にも出品できない女性画家。望まぬ妊娠をするメイド。男性はほとんど登場しないが、彼女たちが男性優位社会のうちに生きていることを、生々しく描き出す。そしてこの映画は、「眼差し」がもたらす官能と、喪失を描いた物語だ。ギリシア神話オルフェウスとエウリュディケーの物語(オルフェウスは死んだ妻を取り戻しに冥界に入るが、地上に戻る寸前に「冥界を抜けるまで決して後ろを振り返ってはならない」という冥界の王ハーデースとの約束を破り、妻を永遠に失う)が重要なメタファーとして登場し、ストーリーに奥行きを出している。
 
フランス・ブルターニュ地方の孤島に実際に残っていた城を舞台に撮影され、吹き抜ける風、草原、波が砕けちるさま、夜に揺らめく焚火・・・どこを切り取っても絵画のような映像美が、儚い刹那の恋を映し出す。また音楽は、劇中でたった2曲しか使われていない。2人の愛を象徴するヴィヴァルディ協奏曲第2番ト短調 RV 315「夏」。そして島の女性たちが焚き火に集い合唱する「La Jeune Fille en Feu」だ。民族音楽のような原始的かつ呪術的な響きに、トリップしてしまいそう。2人、そして3人の人間関係とうつろう心のうちが、繊細に、丁寧に紡がれており、ただ身を任せて見惚れるほかない。素晴らしい映画体験だった。
 
が、修道院育ちの深窓の令嬢エロイーズを演じたアデル・エネルが、どうにもマッチョで男気溢れてるんだな〜。逆に言うと中性的色気はあるのだが、どう見ても親の言いなりに結婚するタイプには見えない。筆一本で生きていかんとする職業画家のほうが役柄的に似合ってるし、何なら画家マリアンヌと逆のほうがしっくりくるような気がする。この時代に男に頼らず細腕で生きていこうとする女性画家の心と体を、腕っぷし強そうな深窓の令嬢が絡めとってしまうという、何ともチグハグなんだが、この違和感こそがリアリティだったのかもしれない・・・。
 

trailer:

【映画】ヒルビリー・エレジー -郷愁の哀歌-

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映画日誌’20-45:ヒルビリー・エレジー -郷愁の哀歌-
 

introduction:

ビューティフル・マインド』などの名匠ロン・ハワードが手掛けたNetflixオリジナル映画。タイムズ紙ベストセラー第1位のJ・D・ヴァンスによる回顧録ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち』を原作に、3世代にわたる家族の愛と再生の物語を描く。『アメリカン・ハッスル』などのエイミー・アダムス、『天才作家の妻 -40年目の真実-』などのグレン・クローズをはじめ、『SUPER 8 スーパーエイト』などのガブリエル・バッソ、『マグニフィセント・セブン』のヘイリー・ベネット、『スラムドッグ$ミリオネア』のフリーダ・ピントらが共演する。(2020年 アメリカ)
 

story:

名門イェール大学のロースクールに通い、希望している法律事務所に採用されるための重要な面接を控えているJ・D・ヴァンス。その矢先、いつも問題を抱えてきた母ベヴがヘロインの過剰摂取で病院に搬送されたとの連絡が入り、苦い思い出しかない故郷に戻らざるを得なくなってしまう。ヴァンスは変わらず身勝手な振る舞いをする母親と向かい合ううち、小さかった自分を育ててくれた明朗で聡明だった祖母マモーウの思い出を胸に、自分のルーツを受け入れようとしていた。
 

review:

トランプ大統領の出現で、一口にアメリカの白人と言っても階層や格差、差別があることを知った人もいるだろう。アメリカにおいて、白人の優位性を享受してきたのは北東部のWASPだけである。WASPとはWhite,Angro-Saxon,Protestant の頭文字をとった略称で、白人でアングロ=サクソン系でプロテスタント信者。つまり最初の入植者であるイギリス系移民の子孫であり、アメリカ支配層・中上流階級を形成している人々のことだ。後から来たカトリックアイルランド系やイタリア系、ポーランド系、東欧・ロシア系などは白人であっても差別の対象であったし、歴史的に貧困の中に生きてきた労働者階級である。

 

アイルランドからきたスコットランド系白人の多くが住み着いた中西部は、かつては誰もが豊かな暮らしができた一大工業地帯であったが、急速にIT化していく世界に置き去りにされ「ラストベルト(錆び付いた工業地帯)」と呼ばれるようになった。あっという間に貧困化していった彼らはヒルビリー(田舎者)やレッド・ネック、もしくはホワイト・トラッシュ(白いゴミ)などと呼ばれ、アメリカの繁栄から取り残されて忘れ去られた。アルコールや麻薬、暴力の問題が蔓延する場所で喘ぐように生きていた彼らに、声をプライドを取り戻させたのがトランプだったのだ。

 

まさに”ヒルビリー”である白人労働者階級出身でありながら、名門イエール大学ロースクールを卒業して弁護士となり、ベンチャーキャピタリストとして成功したJ・D・ヴァンスによる自伝「ヒルビリー・エレジー」は、北東部のWASPが構成するエリート白人の”アメリカ”と、その繁栄から取り残された”アメリカ”を描き、ベストセラーとなった。それを原作にして、Netflixが映画化したのが本作だ。ロン・ハワードがメガホンを取り、グレン・クローズエイミー・アダムスら実力派のベテラン俳優が熱演している。麻薬中毒の母に翻弄されるヴァンスの壮絶な生い立ちをドラマチックに描きつつ、エリート白人社会のマナーや社交に戸惑う姿を交錯させ、白人貧困層のメンタリティやマインドセットを映し出している。

 

名匠ロン・ハワードのドラマは、さすがに引き込まれた。グレン・クローズの気迫に圧倒されるし、エイミー・アダムスステレオタイプ感すごい。でもこの作品が、悲痛な怒りを内在させた原作のエネルギーを削ぎ落とし「金持ちの白人が考えるプア・ホワイト」の物語を描いていると酷評されているのも何となく分かる気がする。プア・ホワイトを題材にした作品は近年いくつも公開されており、確かにクリント・イーストウッド監督の作品などはアメリカの光と影を克明に映し出し、そのいびつな構造を目の当たりにさせるものだ。我々は鈍い衝撃と苦々しい感情を噛み締めながら、アメリカ社会が孕む問題を考え続けたりする。原作に比べ、そうした奥行きが乏しくなってしまったことは少々残念ではあるが、アメリカの今を生きる「ある家族」の物語として受け止めると、きちんと心に響くものがあった。Netflixに加入してる人は観てみたらよろし。

 

trailer: 

【映画】エイブのキッチンストーリー

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映画日誌’20-44:エイブのキッチンストーリー
 

introduction:

異なる文化を背景にもつ両親のもとに生まれた少年が、何かと衝突する家族の絆を料理でつなぎ直そうと奮闘する姿を描いたドラマ。映画監督であり、YouTuberであり、新聞や雑誌の記者でもあるブラジル人のフェルナンド・グロスタイン・アンドラーデが、自身の半生をベースに独自の視点で物語を紡ぐ。ドラマシリーズ「ストレンジャー・シングス 未知の世界」などのノア・シュナップ、『シティ・オブ・ゴッド』などのセウ・ジョルジが出演する。(2019年 アメリカ,ブラジル)
 

story:

ニューヨーク・ブルックリンで生まれ育ち、イスラエル系の母とパレスチナ系の父を持つ12歳の少年エイブ。文化や宗教の違いから何かと対立する父方と母方の家族に悩まされる中、彼にとって料理をすることが唯一の心の拠りどころだった。そんなある日、世界各国の味を掛け合わせた「フュージョン料理」をつくるチコというブラジル人シェフと出会う。フュージョン料理を自身の複雑な背景と重ね合わせたエイブは、自分にしか作れない料理でバラバラになった家族をひとつにしようと決意するが...
 

review:

食べ物と料理が大好きな12歳のエイブ、イマドキの子どもらしく、作った料理をインスタにアップしたりする。そんなに料理が好きならとサマーキャンプの料理教室に放り込まれるが、レベルの低い内容にウンザリして抜け出し、前から気になってたフュージョン料理人チコのところに押し掛け入門しちゃう。でもエイブはパレスチナ系とイスラエル系のハーフっていうブルックリンでも稀に見る超レアキャラで、双方の家族が集まるともうたいへん。ざっくり言うとそういうプロットなんだけど、この作品を撮ったフェルナンド・グロスタイン・アンドラーデ監督はユダヤ人とカトリック系ブラジル移民の三世で、自身の体験をベースに物語を構築したそうだ。が、イスラエルパレスチナって、重みが・・・
 
イスラエル/パレスチナはアジア、ヨーロッパ、北アフリカを結ぶ重要な場所であり、ユダヤ教キリスト教イスラム教の聖地であるエルサレムをめぐる争いには長い長い歴史があり、さまざまな国や民族、宗教に支配が移り変わってきた。1947年、アラブ人の住むパレスチナユダヤ人国家イスラエルが建国されると紛争が勃発。現在のパレスチナは、東をヨルダンに接する「ヨルダン川西岸地区」、西を地中海、南をエジプトに接する「ガザ地区」に分かれており、ガザには、「自治区」とは名ばかりのイスラエルの占領地に180万人のパレスチナ人が収容されている。四方を海と壁、フェンスで囲われ、イスラエル軍に完全に包囲された“空の見える監獄”だ。イスラエル軍の激しい爆撃を受けて多くの市民が犠牲になっており、世界で最も1平方メートルあたりの流血量が多いと言われている地域である。
 
という背景からして、孫がフュージョン料理を作ったくらいで仲直りとか無理よね・・・。そんなに簡単じゃないから、孫が一生懸命料理してる隣で紛争始まっちゃって止まらないのはある意味リアリティがあるが、パレスチナ系、イスラエル系のみなさんはこの映画をどう観るのかが気になる。何ならそれだけが気になる。テーマそのものはとても興味深いけれど、いまいち奥行きがなくて納得感がない。「少年が料理を通じてアイデンティティーを探し出す」と謳っているが、あんまり心に残らなかったなぁ。ただ、ノア・シュナップかわいい。どこまでもかわいい。眼福なので、みんな観たらいいよ。ブラジル人料理人のチコは『シティ・オブ・ゴッド』に出ていたそうで、『シティ・オブ・ゴッド』はいい映画だったよなぁ。
 

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【映画】シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい!

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 映画日誌’20-43:シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい!
 

introduction:

19世紀末のパリを舞台に、ベル・エポック時代を象徴する戯曲「シラノ・ド・ベルジュラック」誕生秘話を描いた伝記ドラマ。劇作家エドモン・ロスタンが、3週間で舞台を作り上げていくさまをユーモラスに描く。監督・原案・脚本は、2016年に上演された本作の舞台版でモリエール賞5部門を受賞したアレクシス・ミシャリク。『最強のふたり』の新鋭トマ・ソリヴェレスが主演を務め、『婚約者の友人』などのアリス・ドゥ・ランクザン、『息子のまなざし』などのオリヴィエ・グルメ、『戦場のブラックボード』などのマティルド・セニエ、『プロヴァンスの休日』などのトム・レーブらが脇を固める。(2018年 フランス)
 

story:

1897年、パリ。無名の劇作家にして詩人のエドモン・ロスタンは、2年前に1週間で舞台を打ち切られて以来、スランプに陥っていた。そんなある日、彼を気に入っていた大女優サラ・ベルナールの口利きで、名優コンスタン・コクランの主演舞台を手掛けるチャンスが舞い込んでくる。その場の思いつきで、実在した剣術家にして作家のシラノ・ド・ベルジュラックを主人公にした「醜男だが行いは華麗な人物」という設定の英雄喜劇を書くことになるが、一向に執筆は進まずにいた。プレッシャーと闘うエドモンだったが、親友で俳優のレオになり変わって衣装係のジャンヌへ愛の言葉を綴るうちに、アイディアと創作意欲が湧き出し...
 

review:

恥ずかしながら「シラノ・ド・ベルジュラック」を知らなかったのだけど、世界中で最も愛されている舞台劇の一つなんだそうだ。19世紀末、ベルエポック時代のフランスで大成功を収めた大人の純愛物語で、当時パリを沸かせた熱狂は今も全く衰えることなく、アメリカではブロードウェイで幾度も上演され、ハリウッドで映画化もされた。日本でも、文学座劇団四季、宝塚など数多くの一流劇団が名舞台を演劇史に刻んでいる。って公式サイトに書いてあったんだけど、ちょっと調べてみたら、幕末から明治にかけての日本を舞台にした「白野弁十郎」なる舞台もあったそうで。シラノ・ベンジュウロウ・・・。
 
演劇史に残る傑作「シラノ・ド・ベルジュラック」が生まれるまでの舞台裏が描かれている。どこまでが史実なのかはちょっと分からなかったが、とりあえず走りながら考える、いわゆるアジャイル開発環境のスタートアップみたいに熱量だけで舞台を創り上げちゃうストーリーである。コミカルでテンポのよい展開、よく練られた脚本と演出で楽しんで観ることができた。愉快で痛快なだけではなく、舞台への愛とリスペクトが感じられる、素敵な作品だったのは間違いない。なんだかドタバタしてて面白かったなぁ・・・ベル・エポック時代のパリは華やかで美しいなぁ・・・という朧げな記憶の糸を辿っているが、何しろ時間が経ちすぎており、もうどこにも辿り着けない・・・。鉄は熱いうちに打て。レビューはすぐ書け。来年からがんばる。
 

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