銀幕の愉楽

劇場で観た映画のことを中心に、適当に無責任に書いています。

【映画】戦場のメリークリスマス

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映画日誌’21-18:戦場のメリークリスマス
 

introduction:

第2次世界大戦中のジャワの日本軍捕虜収容所を舞台に、日本軍人と英国人俘虜との複雑な関係を描いた異色の人間ドラマ。『愛のコリーダ』の大島渚監督が、デヴィッド・ボウイ坂本龍一ビートたけし内田裕也など俳優業を本業としない国内外のスターをキャスティングし、南アフリカの作家ローレンス・ヴァン・デル・ポストの短編集『影の獄にて』をもとに映像化した。初の本格的な日英合作となった本作は、第36回カンヌ国際映画祭に出品され話題となったが、グランプリ最有力と言われながら受賞を逃した。2021年4月「4K修復版」でリバイバル公開されたが、2023年に大島渚作品が国立機関に収蔵される予定のため、今回が最後の大規模ロードショーとなる。(1983年 日本,イギリス)
 

story:

1942年、ジャワ島の日本軍俘虜収容所。日本語が流暢な英国軍中佐ロレンスは、粗暴な日本軍軍曹ハラに叩き起こされる。朝鮮人軍属が白人俘虜を犯すという破廉恥な事件が起き、その処分の立会人になるよう求められたのだ。そのことをきっかけに、交流を深めていく二人。一方、ハラ軍曹の上官で、収容所所長で陸軍大尉のヨノイは、ジャカルタの軍事裁判で裁かれていた美しい英国軍少佐セリアズに心を奪われてしまう。ヨノイの計らいによってセリアズは銃殺刑を免れ、収容所に移送されるが...
 

review:

大島渚は、野坂昭如に右フックをお見舞いされてマイクでどつき返した人であり、和製ヌーヴェルヴァーグの旗手として挑戦的な作品を次々と世に送り出し、ゴダールやスコセッシ、北野武など国内外の映画人に多大な影響を与えた巨匠である。その大島監督の代表作『愛のコリーダ』『戦場のメリークリスマス』の4K修復版がこの春、リバイバル公開された。しかも、今回が最後の大規模ロードショーになると聞いては、劇場で観るしかあるまい。実は初めて、きちんとこの作品を観た。
 
この『戦場のメリークリスマス』は、1983年5月に「男たち、美しく」というキャッチコピーで公開されるや、熱狂を巻き起こし大成功を収め、たくさんの「線メリ少女」を生み出した。配給収入は10億円を記録し、大島渚にとって最大のヒット作となる。坂本龍一が手掛けたテーマ曲「Merry Christmas Mr.Lawrence」は映画音楽史上屈指の名曲として、その美しい旋律が今も人々に愛されている。
 
グラムロックのスーパースター デヴィッド・ボウイ、音楽ファンの熱狂的支持を集めていたYMO坂本龍一、 人気絶頂のお笑いタレント ビートたけし。全体未聞の刺激的なキャスティングで、収容所で繰り広げられる男たちの愛憎劇、日本と西洋の文化、価値観、精神の対立と融合が描かれる。職業俳優ではない彼らのぎこちない演技は、却って作品に独特の味わいをもたらした。たけし演じるハラの、粗暴さと同居する聡明で美しい瞳が印象的だ。どこまでも美しくエモーショナルで、そこはかとなく滑稽な映画である。
 
出会った瞬間ボウイに胸キュンする教授はおいといて、菊の御紋が入った煙草をうやうやしく扱う仕草、茶番のような軍法会議、伝統や権威を重んじ異端を排除する不条理、それを正当化するための暴力、狂気、殺気・・・何もかもが、どこか滑稽なのだ。大島渚監督はおそらく、先の大戦が恥ずべき戦争であったことを日本人に突きつけているのかもしれない。戦闘シーンが一切登場しない異色の戦争映画であるが、こんな風に日本軍を描いた日本人の映画監督って他にいるのだろうか。
 
日本特有の全体主義と不寛容——個人は善良だが、「あるべき姿」以外を許容せず、何かとすぐに激昂し、暴力でしか解決できない日本軍の姿が容赦無く描かれる。生き恥をさらすくらいなら腹を切って潔く死ねと言う。生きて勝つと言っている人たちに勝てる訳がない。荒ぶるヨノイを抱きしめて黙らせ、キスで卒倒させるセリアズの圧倒的な力。そりゃ、日本軍は敗けるよな、と。この名場面は、無意識下でセリアズに惹かれていたヨノイの一瞬の動揺と陶酔、絶望までを映し出しており、ベルナルド・ベルトルッチ監督が「映画史上最高に美しいキスシーン」と感嘆したのも頷ける。
 
物語は南アフリカの作家ローレンス・ヴァン・デル・ポストの短編集『影の獄にて』収録の「影さす牢格子」と「種子と蒔く者」に基づいているが、この作品で一貫して描かれているのは、断罪と贖罪だ。弟への罪の意識に苛まれていたセリアズは自らの命によって、二・二六事件で死に遅れた呵責を背負うヨノイの中に種を蒔いた。この作品を観た一人一人の中にもきっと、なんらかの種が蒔かれているのだろう。あまりにも有名なラストシーン、敗戦で戦犯となったハラがローレンスに見せた、あの無邪気で無垢な瞳に戸惑う、私の中にも。

trailer: 

【映画】SNS 少女たちの10日間

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映画日誌’21-17:SNS 少女たちの10日間
 

introduction:

幼い顔立ちをした3名の成人女性が12歳の設定でSNSに登録し、“友達募集”をしたら何が起こるかを徹底検証したドキュメンタリー。児童に対する性的搾取、現代の子どもたちが直面する危険を映し出したリアリティショーは、SNSと常に接しているジェネレーションZ世代やその親たちに恐怖と共に迎えられ、本国チェコで異例の大ヒットを記録した。監督はチェコで活躍するドキュメンタリー作家のバルボラ・ハルポヴァーとヴィート・クルサーク。(2020年 チェコ)
 

story:

巨大な撮影スタジオに作られた3つの子ども部屋に、幼い顔立ちをした3名の成人女優が集められた。彼女たちは偽のSNSアカウントで12歳のふりをし、自分からは連絡しない、12歳であることを明確に告げる、誘惑や挑発はしないといったいくつかのルールのもと友達募集をする。精神科医、性科学者、弁護士や警備員など専門家の万全なバックアップやアフターケアを用意しながら撮影を続けること10日間。なんと2,458名もの成人男性が彼女たちにコンタクトを取り、卑猥な誘いを仕掛けてきたのである。彼らの未成年に対する容赦ない欲望の行動は徐々にエスカレートし...。
 

review:

12歳の少女がSNSで友人を募集するとどうなるか、という実験的なドキュメンタリーである。コンタクトを取ってきた男性の数は2,458人、未成年に下心と欲情を剥き出しにするおっさんのニヤケ顔とだらしない裸体が延々と映し出される。目元と口元が見える絶妙なモザイクで本当に気持ち悪いのである。じいさんが12歳に向かって「ちょっと年上すぎるかな」じゃねぇ〜よ〜。脱力。会話中の咀嚼音を強調したり生理的に気持ち悪い演出も相まって、嫌悪感だけが募っていく。
 
好奇心で見知らぬ大人とチャットし始めた子どもを、どんな風に言いくるめて心の隙間につけこんでいくのか、言葉巧みに追い詰めていく手口をもう少し掘り下げてほしかったのが正直なところ。ただ監督がインタビューで答えている通り、想像していたよりずっと、大部分の男性が本能的で直情的で攻撃的だったのかもしれない。
 
このプロジェクトは多くの余白ある実験から生まれています。どんな行動が撮影されるか、一体どこまで行けるのか、撮影前は分かりませんでした。企画書の段階では、これらの男性を犯罪者として扱うのではなく、何よりもまず彼らが子どもたちを巧みに操ろうとするその手法や技術を明らかにし、社会的な議論へと発展させたいという目的でした。しかし、実際にカメラに映ったのは、恐喝と脅迫でした。数名の男性たちは幼児性愛や獣姦もののポルノ等を送り付けてきました。そこで、これは私たちのプロジェクトだけで済まされる問題ではないと判断しました。映像を確認した警察側は完全なプロでした。本作が性的搾取者に向けての強力な抑止力になるであろうと歓迎してくれました。——ヴィート・クルサーク監督
 
しかし、「12歳の少女」は役者が演じていると明らかにされているが、それ以外の登場人物はどこまでリアルなのか怪しいし、どこまでがフェイクなのか分からない。1人だけまともな青年が出てきて、少女を演じている役者も観客もホッとするシーンがあるのだが、ちょっとわざとらしいのだ。学校で配られるプリントに書いてありそうな紋切り型のセリフに、創作を感じる。下心はないんだとしても、見知らぬ12歳とおしゃべりしたがる時点で違和感しかない。
 
このドキュメンタリーに出てくるような、チャットし始めてすぐ自分の持ち物を晒したりする危険人物だらけなら、いくら幼い少女であろうと危険を察知するであろうし、身の守りようもあるだろう。一番恐ろしいのは、いい人のフリをして近づいてくる人物に絡めとられること。どうせ創作を入れるなら、「いい人もいますよ!」なんて中途半端なフォローじゃなくて、そういう人物であっても油断してはならないという警鐘を鳴らすべきだったんじゃないか。
 
とは言え、本能的で直情的で攻撃的などうしようもない大人がゴマンといるってことを知らしめるには、意義のあるドキュメンタリーであると、かつて少女だった私は思う。少女だった頃、気持ち悪い大人がいっぱいいた。ニヤニヤしながら声をかけてきたり、自分の持ち物を見せてきたり、後をつけてきたり。あんなにたくさんいたのに、どうして大人になるとそれを忘れてしまうのだろう。そしてインターネットが普及した現代は、もっとずっと接点が多いのだ。このおぞましい現実の目撃者になる価値はあるだろう。おすすめはしないけど・・・。
 

trailer: 

【映画】パーム・スプリングス

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映画日誌’21-16:パーム・スプリングス
 

introduction:

カリフォルニアのリゾート地パーム・スプリングスを舞台に、タイムループに巻き込まれて何度も同じ日を繰り返す男女のラブコメディ。監督は本作が長編監督デビューとなるマックス・バーバコウ、『俺たちポップスター』などのアンディ・サムバーグが主演を務め、製作も手掛けている。『ウルフ・オブ・ウォールストリート』などのクリスティン・ミリオティ、『セッション』などのJ・K・シモンズ、『蒼い記憶』などのピーター・ギャラガーらが共演する。(2019年 アメリカ)
 

story:

砂漠のリゾート地パーム・スプリングス。妹の結婚式に介添人として出席したサラは、そこで出会った青年ナイルズに興味を抱きロマンチックなムードになるが、ナイルズが謎の老人に突然弓矢で襲撃されてしまう。負傷したナイルズは近くの奇妙な洞窟に逃げ込み、後を追ってきたサラは彼とともに強い光に吸い込まれてしまい、目覚めると結婚式当日の朝に戻っていた。状況を飲み込めないサラがナイルズを問いただすと、タイムループに閉じ込められてしまったことが判明し...
 

review:

イムループものと言えば昨年ヒットした『TENET テネット』が記憶に新しいが、あんなに複雑怪奇なものではない。舞台は、LAから車で2時間のリゾート地パームスプリングス。かつてはシナトラやプレスリーも別荘を構えた砂漠のオアシスリゾートで、謎のタイムループにはまり同じ一日を繰り返しているだけの男とちょっとした量子力学が登場するB級SFだ。
 
ありとあらゆる手を尽くしたが、タイムループから抜け出せないと諦めたナイルズは、来る日も来る日も他人の結婚式に出続けている。それだけでも気が狂いそうだが、彼はそれなりに「全てが無意味な世界」を楽しんでいるように見える。そしてある時、花嫁の姉サラがナイルズの道連れとなり同じタイムループに巻き込まれてしまう。
 
「11月10日」をループする人間は全部で3人。ナイルズ、サラ、そしてナイルズによってこのタイムループに引き込まれたロイだ。同じ境遇にある彼らだったが、運命との向き合い方が三者三様で興味深い。ナイルズへの復讐に燃えていたが、平穏な毎日に安らぎを覚えるロイ。道連れとなったサラと一緒に過ごすうちに愛を覚え、永遠の一日を甘んじて受け入れるナイルズ。ナイルズに愛を感じながらも、後悔のループから脱出し有意義な時間を取り戻すことを決心するサラ。
 
同じ一日の繰り返しの中で、あの時の表情の理由や、あの時の振る舞いの背景が少しずつ解き明かされていくのが面白い。サラとナイルズにとっても、それは同じ。ループを繰り返すことで、お互い、そして周囲の人々の秘密が明かされていく。綿密に張り巡らされた伏線を回収していく脚本が見事だ。ただのB級SFじゃないぞ!
 
退屈な毎日の繰り返しでも、2人でいれば楽しい。終わらないパーティーを繰り返す2人の無限の今日は最高に楽しい。でも、明日は永遠に来ないのである。「全てが無意味な世界」が、本当に大切なものを気付かせていく。もう2度と取り返せないからこそ、今日この一日が、かけがえなく愛おしいものになる。大切な誰かと迎える明日が、希望に満ちたものになるのだ。楽しい映画だった。
 

trailer:

【映画】旅立つ息子へ

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映画日誌’21-15:旅立つ息子へ
 

introduction:

『ブロークン・ウィング』『僕の心の奥の文法』で東京国際映画祭グランプリを2度受賞したイスラエルの俊才ニル・ベルグマンが、自閉症スペクトラムの息子と父親の絆を描いた人間ドラマ。脚本家ダナ・イディシスの父と弟の実話をもとに、息子のために人生を捧げる父親の姿を映し出す。主演はイスラエルのベテラン俳優のシャイ・アヴィヴィと、無名の新人ノアム・インベル。第73回カンヌ国際映画祭オフィシャルセレクション「カンヌ2020」に選出された。(2020年 イスラエル,イタリア)
 

story:

一流グラフィックデザイナーというキャリアを捨て、自閉症スペクトラムの息子ウリのために人生を捧げてきた父アハロンは、田舎町で2人だけの世界を楽しみながらのんびりと暮らしている。しかし別居中の妻タマラは息子の将来を案じ、全寮制の特別支援施設への入所を決めてしまう。定収入がないアハロンは養育不適合と判断され、裁判所の決定に従うしかなかった。ところが入所当日、大好きな父との別れにパニックを起こすウリ。その姿を見たアハロンは息子を守ることを決意し、2人の逃避行が始まるが...
 

review:

息子のために全てを捨ててきた父親が、いつの間にか成長していた息子から子離れする物語だ。自閉症スペクトラムの子どもが親離れする話ではない。子育てのゴールってどこだろう。子育てしたことがないので分からないが、きっと、独り立ちしたときだろう。子育てしたことはないけれど子育てされたことはあるので分かるが、過保護であることは往々にして親の自己満足だ。子どもを信じて見守り、独り立ちを促すこと。それができない愛情は、およそ自己愛のようなものだろう。
 
私の姉は、高齢出産を乗り越えて授かった待望の長男を、生後4ヶ月で保育園に預けて社会復帰した。たくさんの大人の手で愛情深く育てられた甥っ子は、感受性が豊かで意思表示がはっきりしており、よく笑いよく喋る。そして物心つく前に一人寝の習慣がついていた彼は自立心が旺盛で、5歳になると1人で我が家に泊まりに来るようになった。姉の子育ての全てを肯定するわけではないが、子どもを1人の人間として尊重し、その存在に依存しない姿勢には感心する。お互いに不完全な部分を受け入れ、そこには親子関係とともに人間関係があるように見える。
 
そういう意味で、アハロンはウリに依存してしまっている。父と子、2人の世界で生きている様子は微笑ましくもあるが、どこか、出口のない閉塞感が漂う。ベルグマン監督が
 
「息子を守ろうという父の思いは、国境や文化を越えて共感を呼ぶものだと思います。危険な世界から愛しい誰かを守るというテーマは、身近なものですからね。私は劇中にある“ねじれ”がとても気に入っています。父親は息子のためにキャリアを捨てたのではなく、自分の繊細かつもろい性格ゆえに、子育てという盾を手にして現実逃避したのです。実は息子を利用しているのです。アハロンを苦しめる葛藤は、人生に悩む人々の共感も得られると思います」
 
と語っている通りだ。観る側も引き離される父子に胸を締め付けられるが、物語が進むにつれ、過保護なアハロンに反対する妻タマラの思いが理解できるようになっていく。そのあたりのさりげない描写も見事だし、俳優陣の素晴らしい演技や美しいロケーション、父と子の絆と成長を映し出した完璧なラストシーンが、心の奥のほうに余韻を残す。いい映画だった。
 

trailer: 

【映画】サンドラの小さな家

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映画日誌’21-14:サンドラの小さな家
 

introduction:

アイルランド・ダブリンに暮らすシングルマザーが、周囲の人々と助け合いながら自分の手で家を建てようと奔走するヒューマンドラマ。舞台を中心に活躍する女優クレア・ダンが、親友が家を失ったことをきっかけに脚本を書き、『マンマ・ミーア!』『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』などのフィリダ・ロイド監督が映像化した。主演はクレア・ダン自身が務め、『つぐない』などのハリエット・ウォルター、ドラマシリーズ「ゲーム・オブ・スローンズ」などのコンリース・ヒルらが共演している。(2020年 アイルランド,イギリス)
 

story:

夫の暴力から逃れるため、2人の幼い娘と家を出たサンドラ。しかし公営住宅は長い順番待ちがあり、ホテルでの仮住まいから抜け出せずにいた。そんなある日、サンドラは娘との会話から小さな家を自分で建てることを思いつく。最初は土地や資金など足りないものだらけで途方に暮れていた彼女だったが、雇い主のペギーや偶然知り合った建設業者エイド、仕事仲間や友人たちの協力を得てマイホーム建設に取り掛かる。ところが執念深い元夫の妨害が始まり...
 

review:

アイルランド・ダブリンを舞台に、シングルマザーの貧困や家庭内暴力、不十分な公的支援の問題に鋭く切り込みながら、希望の光となりうる共助の力にスポットを当てる作品だ。本作で主演を務めている女優のクレア・ダンが、三人の子どもを抱えながらホームレスになってしまった親友の状況に怒りを覚え、脚本を書き上げたという。
 
シングルマザーの貧困は、我が国でも深刻な問題だ。と思ってググってみたら、日本は一人親貧困率ワースト1位とのこと。シングルマザーの就業率が世界一にもかかわらずだ。世界一働いているが世界一貧困率が高い人たちを生み出す、日本社会の構造的な問題に直面してしまった。女性の貧困問題については多少読んだり聞いたりしてきたが、自業自得としか言えないパターンはさておき、自己責任という言葉では到底片付けられない根深いものがある。
 
本作に登場するサンドラも、支配的な夫のDVとモラハラからやっとの思いで抜け出してきたけれど、社会に受け皿がなく行き場を失ってしまう。公営住宅には果てしない順番待ちがあり、制度を使い一時的に暮らすことになったホテルでも、ホテルマンからロビーやエレベーターを使うことを断られ自尊心を傷つけられる。夫の暴力によって負傷した左手の痛み、PTSDに悩まされる日々のなか、娘のエマから「聖ブリジット」の物語を聞いたサンドラは、自分の家を自分の手で建てることを閃くのだ。
 
格安で家を建築できる方法をネットで検索して手探りで動き出したサンドラに、雇い主のペギーが支援を申し出る。そのことをきっかけに1人で抱え込まなくていいのだと気付いた彼女が、周囲の人々を巻き込んでいく様子が描かれる。ホームセンターで偶然知り合った土木建設業者のエイド、彼のダウン症の息子フランシス、唯一のママ友ローザ、パブの同僚エイミーとその同居人たち。多様な出自と社会的背景を持つ人々が集まって無償で自分の時間を差し出し、力を合わせていく。
 
夫からの虐待で、社会から孤立していたサンドラがコミュニティを取り戻していく物語であり、みんなで建てた彼女の小さな家は、共助の力によって立て直される彼女自身「herself(原題)」のメタファーである。お互いに助け合うことで、誰もが「誰かに信頼されることの喜び」を取り戻す。アイルランドに昔から伝わる「メハル(みんなが集まって助け合うことで、自分自身も助けられる)」の精神だ。人生は耐え難く、世の中は世知辛い。でも、人と人のあいだに生まれる希望はある。サンドラを支える周囲の人々の人物描写がもう少しあれば作品に奥行きが出たような気がするし、手持ちカメラの映像に酔いそうだったけど、いい映画だった。
 

trailer: 

【映画】ノマドランド

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映画日誌’21-13:ノマドランド
 

introduction:

気鋭のジャーナリスト、ジェシカ・ブルーダーのノンフィクション「ノマド 漂流する高齢労働者たち」を原作に、「ノマド(遊牧民)」と呼ばれるアメリカ西部の車上生活者の姿を描いたロードムービー。前作の『ザ・ライダー』でも映画賞43ノミネート24受賞という栄誉に輝いたクロエ・ジャオが監督を務める。主演は『ファーゴ』と『スリー・ビルボード』で2度のアカデミー賞主演女優賞に輝いたフランシス・マクドーマンド、『グッドナイト&グッドラック』などのデヴィッド・ストラザーンが共演するほか、実際のノマドたちが本人役で出演する。第77回ベネチア国際映画祭で最高賞にあたる金獅子賞、第45回トロント国際映画祭でも最高賞の観客賞、第78回ゴールデングローブ賞でも作品賞や監督賞を受賞。第93回アカデミー賞で作品、監督、主演女優など6部門でノミネートされている。(2020年 アメリカ)
 

story:

アメリカ・ネバダ州に暮らす60代の女性ファーンは、リーマンショックによる企業の倒産で長年住み慣れた家を失ってしまう。キャンピングカーに亡き夫との思い出を積み込み、現代のノマド遊牧民)として車上生活を送りながら、過酷な季節労働の現場を渡り歩くことに。その日その日を懸命に乗り越え、行く先々で出会うノマドたちと心の交流を重ねながら、誇りを持って自由を生きるファーンは広大な西部の大地をさすらう。
 

review:

物凄い映画だった。劇場の大スクリーンで観て、アメリカ西部の広大で美しい自然を映し出した映像美に吸い込まれたほうがいいし、その自然と一体化していくファーンの姿に憧れのような気持ちを抱きつつ、名優フランシス・マクドーマンドの演技に圧倒されるべきだし、エンドロールで作中に登場したノマドたちが本物だったと分かって呆気にとられたらいいし、現代アメリカの現実と明日の我が身を交錯させて打ちのめされるがいいよね。
 
アメリカには、「ノマド」「ワーキャンパー」と呼ばれる車上生活者がいる。さまざまな理由で家を失い、キャンプ場やアマゾンの配送センターなどで季節労働者として仕事をしながら、バンやキャンピングカーで各地を転々とする人たちだ。2008年の金融危機リーマン・ショック」は多くの失業者を生み、中間層の人々が低所得者に転落するケースが増え、産業に依存した町が工場の閉鎖に伴いゴーストタウン化していった。さらにはサブプライムローンの破綻によって、何万人もの人が住居を失った。
 
本作に登場するファーンも、そうした一人だ。必要最低限の家財道具と夫の思い出をキャンピングカーに詰め込んで、彼女は旅に出る。車上生活者として放浪するノマドたちの多くは60代、70代の高齢者だが、彼らの青春時代にはヒッピー文化があった。家を飛び出し、アメリカ中を旅することに憧れた世代だ。そしてノマドとしての彼らの生き方には、新天地を求めて西部開拓時代に入植した移民たちのスピリットにも近いものがある。
 
ファーンは、かつての教え子に「先生はホームレスになったの」と聞かれて「ハウスレスだ」と答える。ホームレスは家族、友人の絆が切れた人々のことを指し、ハウスレスは経済的、物理的困窮を意味するそうだ。そこには彼女の、自ら生き方を選んでいるのだという意志が垣間見える。ノマドたちは自分たちの命と尊厳を守るため、知恵をスキルを共有して時に助け合い、新しい文化と潮流を生み出している。フロンティア精神を持ち、場所やしがらみに縛られない自律的で自由な存在である、という彼らの誇りが映し出されており、そこに悲壮感はない。
 
そして何と言っても、この作品の大きな特徴は、フランシス・マクドーマンドとデビッド・ストラザーン以外は本物のノマドたちが出演しているということだ。マクドーマンド自身の生き方や考え方のすべてを投影して創り上げられた「ファーン」が、実在のノマドたちのなかに身を投じる。ファーンと深い絆を結ぶボブ、リンダ、スワンキーらも本人であり、彼らのリアルな胸中が物語と調和する。ひとつの作品のなかでドキュメンタリーとドラマの境界を融解させ、ポエティックで美しいものに昇華させる。映画に全く新しい表現を提示したクロエ・ジャオ、素晴らしい映画体験だった。
 

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【映画】ビバリウム

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映画日誌’21-12:ビバリウム 
 

introduction:

新居を探す若いカップルが、不動産屋に紹介された奇妙な住宅地から抜け出せなくなるサスペンススリラー。新鋭ホラー監督ロルカン・フィネガンがメガホンを取る。『ソーシャル・ネットワーク』などのジェシー・アイゼンバーグと、『グリーンルーム』『マイ・ファニー・レディー』などのイモージェン・プーツが出演。謎の住宅地に閉じ込められ、誰の子か分からない赤ん坊を育てることになってしまったカップルの、精神が崩壊していくさまを見事に演じたプーツは、第52回シッチェス・カタロニア国際映画祭で最優秀女優賞を受賞。(2019年 ベルギー,デンマーク,アイルランド)
 

story:

新居を探すトムとジェマのカップルは、ふと足を踏み入れた不動産屋から、全く同じ家が建ち並ぶ住宅地<Yonder(ヨンダー)>を紹介される。内見を終え帰ろうとすると、ついさっきまで一緒にいた不動産業者の姿が見当たらない。二人は奇妙に思いながらも帰路に着こうと車を走らせるが、どこまで走っても周囲の景色は一向に変わらない。誰もいない住宅地から抜け出せなくなり困惑する彼らのもとに、段ボール箱が届く。そこには誰の子かわからない生まれたばかりの赤ん坊が入っており、二人は仕方なく世話をすることになるが...
 

review:

冒頭、カッコウの托卵の様子が描かれる。カッコウのヒナによって蹴落とされ息絶えたヒナを土に埋めながら、自然の摂理だから仕方がないと話す若いカップル。彼らは新居を探しており、何気なく足を踏み入れた不動産屋でとある住宅地を紹介され、軽い気持ちで見学する。すると案内していたはずの不動産屋が姿を消し、彼らも帰ろうとするがどうやってもその住宅地から出られない。そして彼らのもとに「この子を育てれば開放する」と書かれた箱が届き、中には赤ん坊が入っていた。彼らも托卵されてしまうのだ。
 
彼らが育てることになった子どもは「子どもらしさ」から「かわいらしさ」を排除したような存在で、彼らを苛立たせる。親をじっとりと観察し、執拗に言動を真似て、気に入らないことがあればヒステリックに金切り声をあげる。それでも黙々と家事と子育てをこなし、次第に環境に適応してくかのように見えるジェマ。対して、子育てを放棄し、わずかな希望を求めて庭の穴を掘り続け、その穴で夜を明かすようになるトム。生物学的な性差による行動の違い、旧態依然としたジェンダーの価値観を映し出しているのだろう。
 
そして彼らが暮らす羽目になった「Yonder」の街並みは、どこまでも均質で無機質。マグリットの絵画を彷彿とさせるが、実に不気味だ。「Yonder」から抜け出す術を奪われたトムとジェマは、そこで毎日を繰り返すしかない。生命を維持するだけの糧は与えられるが、「生きる」以外の選択肢がない、出口のない拷問。希望が持てない状況で人間の精神が崩壊していくさまを、シュールに描いている。
 
彼らは謎の生命体によって選択肢を奪われたように見えるが、いき過ぎた資本主義のもとで暮らす私たちは、本当に自分の意志で人生を生きているだろうか?思考停止したまま、資本家から作為的に与えられたものを消費するだけの存在になっていないだろうか。資本主義の歯車として労働力を搾取され使い捨てられる存在なのだとしたら、ビバリウムに閉じ込められ、そのサイクルに組み込まれたトムとジェマは私たちのことなのではないか。ふと、人生の目的って何だろうと考えさせられる。不条理で不快な物語だったが、その映画体験は実に興味深いものだった。
 

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