銀幕の愉楽

劇場で観た映画のことを中心に、適当に無責任に書いています。

【映画】ステージ・マザー

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映画日誌’21-11:ステージ・マザー
 

introduction:

急逝した息子が遺したゲイバーを相続することになった普通の主婦が、経営再建に奮闘する姿を描いた人間ドラマ。
キッズ・オールライト』やNetflix映画『シカゴ7裁判』を製作したJ・トッド・ハリスがプロデューサーを務め、『ハンギング・ガーデン』などのカナダ人映画監督トム・フィッツジェラルドがメガホンを取った。主演は『世界にひとつのプレイブック』などで知られる大御所ジャッキー・ウィーヴァーが務め、『チャーリーズ・エンジェル』シリーズなどのルーシー・リュー、『プラダを着た悪魔』などのエイドリアン・グレニアー、『タンジェリン』などのマイア・テイラーらが共演する。(2019年 カナダ)
 

story:

保守的なテキサスの田舎町に暮らす主婦メイベリンは、長い間疎遠だった息子リッキーの訃報を受け、リッキーの葬儀に出席するため夫の反対を押し切りサンフランシスコに向かう。そこで彼女は、リッキーのパートナーで協同経営者のネイサンから、息子がドラァグクイーンとしてゲイバーを経営していたことを知らされる。そしてバーの経営権は母親である自分が相続することになっていること、しかも経営危機にあることが発覚。メイベリンは困惑しながらも、ドラァグクイーンたちと一緒に息子が遺した店を再建するために立ち上がるが...
 

review:

サンフランシスコにある世界有数のLGBTQ+ コミュニティの拠点カストロ・ストリートを舞台に、息子の遺したゲイバーを立て直そうと奮闘する女性と、彼女を取り巻く人間ドラマが描かれる。テキサスの田舎町から出てきた母メイベリンを演じたジャッキー・ウィーヴァー、声や喋り方がチャーミングでとてもキュートである。『チャーリーズ・エンジェル』ことルーシー・リューが放つドスの効いた存在感と対照的だ。
 
ドラァグクイーンを題材にした映画はこれまでも制作されてきたが、本作はキャストとスタッフのほとんどがクィアドラァグクイーンであり、描写の正確性という点では突き抜けているだろう。セクシャルマイノリティやシングルマザーなど、社会的弱者の葛藤や苦悩、生きづらさが映し出されるものの、ただ悲壮感だけを漂わせるようなものではなく、そこには友情と希望があって救われる。
 
中身はありがちなストーリーで、大きく奇を衒うような展開はない。シンプルでわかりやすいが安直といえば安直、映画のつくりも脇が甘い。だけど、素直に感動してしまった。母は息子を愛し、息子もまた、母を深く愛していたのだと。それが痛いほど伝わってくるクライマックスのシークエンスは、ぐっと心をつかまれる。そして何より、音楽やパフォーマンスが素敵なので退屈しない。観終わったあと、清々しい気持ちになる。そういう映画はきっと、いい映画なのだと思う。
 

trailer: 

【映画】カポネ

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映画日誌’21-10:カポネ
 

introduction:

マッドマックス 怒りのデス・ロード』などのトム・ハーディが、“暗黒街の顔役”と恐れられた伝説のギャング、アル・カポネの晩年を演じた伝記ドラマ。『クロニクル』などのジョシュ・トランクが脚本・監督を務め、『パルプ・フィクション』『イングロリアス・バスターズ』のローレンス・ベンダーが製作陣に名を連ねる。『ハウス・ジャック・ビルト』などのマット・ディロンTVシリーズツイン・ピークス」のカイル・マクラクラン、『ダンケルク』などのジャック・ロウデンらが共演する。(2020年 アメリカ,カナダ)
 

story:

1940年代半ばのフロリダ。長い服役生活を終えたアル・カポネは、大邸宅で家族や友人たちに囲まれひっそりと暮らしている。かつて“暗黒街の顔役”と恐れられたカリスマ性は失われ、梅毒の影響による認知症が進行していた。一方、FBIのクロフォード捜査官は今も彼を危険視して仮病を使っていると疑い、隠し財産1000万ドルのありかを探るべく執拗な監視活動を続けていた。やがて症状が悪化したカポネは現実と悪夢の狭間で奇行を繰り返して周囲を困惑させ、妻のメエでさえも彼の真意をつかめなくなっていくが...
 

review:

トム・ハーディがカポネ!カポネがトム・ハーディ!ってことで勇み足で劇場に向かったが、いささか勇み足が過ぎた。連日4時間のメイクアップを施して「スカーフェイス」になりきり、病魔に蝕まれ狂気に落ちていくカポネを生々しく演じたトム・ハーディーの怪演は確かに凄みがあったが、糞尿を垂れ流して徘徊する姿はなかなかショッキング。世界中のトム・ハーディーファンの落胆が見えるようだ。
 
それでも、映画が面白ければ受け入れられるものだと思うが、ひたすら陰鬱なだけで何も心に響いてこない。絶妙に間延びしたテンポ、抑揚があるんだか無いんだか、妄想なのか現実なのか分からない展開に睡魔が襲ってくるほどだった。暗黒街の顔役と言われた悪名高いギャングの哀れな末路を描いているが、これ、映画にする必要があった・・・?という疑問符しか残らない。何が言いたいのかよく分からないのである。
 
ちなみにこれを映画にしちゃった脚本家で監督のジョシュ・トランクは、かねてよりカポネの偉業に魅せられていたが、彼の最晩年が人々に忘れられ、勝利という観点からしか語られないことが気にかかっていたそうだ。いやだからって、という気持ちになるが、思わずアル・カポネの生涯をWikipediaで読んでしまったよ。
 
それで何が一番びっくりしたかって、彼の享年が48歳だったことである。ということは、本作でトムが演じていた「老」カポネは47、8歳だったということだ。深い業を背負い、生き急ぐ人間というのは、あのような形相になるのだろうか。それをなりふり構わず体現したトム・ハーディの仕事は素晴らしかったと言うべきだろう。
 

trailer:

【映画】世界で一番しあわせな食堂

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映画日誌’21-09:世界で一番しあわせな食堂
 

introduction:

アキ・カウリスマキの実兄で『GO!GO!L.A.』などで知られるミカ・カウリスマキ監督による人間ドラマ。フィンランドの小さな村にある食堂を舞台に、異国から来た料理人と地元の人々の出会いと心の交流を描く。主演はフィンランドの女優アンナ=マイヤ・トゥオッコと香港出身の俳優チュー・パック・ホング。フィンランドを代表する俳優ヴェサ=マッティ・ロイリ、カウリスマキ監督作『ヘルシンキナポリ/オールナイトロング』などのカリ・ヴァーナネンらが脇を固める。(2019年 フィンランド,イギリス,中国)
 

story:

フィンランド北部の小さな村に、中国・上海から料理人チェンとその息子がやってきた。彼らは恩人を探しに来たと言うが、その人を知る人は誰もいない。村で食堂を営むシルカは、チェンが食堂を手伝うことと引き換えに恩人探しに協力することに。恩人探しが思うように進まない一方で、チェンが作る中国料理は評判となり、食堂は大盛況。料理を通してシルカや常連客たちと次第に親しくなっていくチェンだったが、観光ビザの期限が迫り、帰国の日が近付いていた。
 

review:

ムーミン谷のフィンランド。世界幸福度第1位の国なのに、料理はイギリスより不味いと言われているらしい。知ってた?フィンランドには一度行ってみたいけど、イギリスに勝る味盲の国には住めないなぁ・・・。イギリス知らんけど。ちなみに「フィンランド料理」でググってみたら、お世辞にも美味しそうとは言えない画像とともにラップランドの食材盛り合わせ、トナカイ肉のソテー(とマッシュポテト)、バルチックニシンのフライ(とマッシュポテト)、ミートボール(とマッシュポテト)などが紹介されておった。
 
と言うわけなので、プロ料理人のチェンが作る美味しくて見た目も美しい、“医食同源”の中華料理はフィンランド人の心を鷲掴み。料理は国境を超えて喜びをもたらし、フィンランドの美しい自然を背景に、異なる文化を持つ人々が心を通わせていく。そりゃ、面白くないことはないけどもな。分断に揺れる現代社会に対する監督の強いメッセージはこれでもかと伝わってくるが、いかんせん、ストーリーが凡庸すぎて。描き方が浅くて登場人物に共感しないし、心が動かされるような抑揚が何もないのである。おじいちゃん二人組がいい味出してる。そこは良かった。
 
ミカ・カウリスマキ監督の実弟で、フィンランドを代表する巨匠アキ・カウリスマキの監督作品をこよなく愛する私であるが、兄弟だからって期待しすぎたのだろうか。アキ・カウリスマキの厳密なる配色の構図、端正な脚本、無駄のない寡黙な演出、そういうものを期待しすぎたのだろうか。勝手に期待してごめんよ・・・。アキのお兄ちゃんだから観とくか、という動機で観るつもりのカウリスマキ信者のみなさん、そういうつもりで観るのはおすすめしないっす・・・。
 

trailer:

【映画】ある人質 生還までの398日

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映画日誌’21-08:ある人質 生還までの398日
 

introduction:

2013年、シリアで過激派組織ISの人質となり398日ものあいだ拘束されるも、奇跡的に生還したデンマーク人写真家ダニエル・リューの救出劇を映画化。原作は、ジャーナリストのプク・ダムスゴーがダニエル・リューと関係者に取材して書き上げた「ISの人質 13カ月の拘束、そして生還」。『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』で世界的に知られるデンマーク出身のニールス・アルデン・オプレヴと、本作に出演している俳優アナス・W・ベアテルセンが共同で監督を務めた。『幸せな男、ペア』などに出演するデンマークの俳優エスベン・スメドが主演を務め、『ファンタスティック・フォー』のトビー・ケベルほか、デンマークを代表するキャストが共演。(2019年 デンマーク,スウェーデン,ノルウェー)
 

story:

24歳のダニエルはデンマークの代表チームに選ばれたエリート体操選手だったが、怪我でその道を断念し、ずっと夢だった写真家に転身する。彼は戦時下の日常を世界に伝えるため内戦中のシリアを訪れるが、非戦闘地域で過激派組織ISに拘束されてしまう。折しもシリアでは情勢が刻々と変化し、イスラム過激派の新興勢力が手を組んで資金調達のための誘拐ビジネスが活発化していたのだ。ダニエルの家族は巨額の身代金を要求されるが、デンマーク政府はテロリストと交渉しない方針を取り、家族は人質救出の専門家に協力を依頼する。家族が身代金の調達に苦慮しているあいだ、ダニエルは拷問と飢え、恐怖と不安に直面していた...
 

review:

シリアで内戦勃発の要因となった大規模な反政府デモが起きてから、10年が経つそうだ。21世紀最大の人道危機と言われているシリア内戦は、アサド政権と反体制派、クルド人勢力やトルコ支援勢力といった内戦当事者に加え、イスラム国(ISIS)の介入、それぞれを支援するアメリカとロシアの代理戦争など、宗教的、政治的思惑が複雑に絡み合い、終結の見通しは立っていない。シリアの内情は混乱を極め、40万人以上が命を落とし、国民の半数にあたる1000万人が家を失い、600万を超える人々が国外に逃れている。
 
シリアの現状を知ろうと開いてみた外務省のサイトによると、「シリア国内では、イスラム過激派(「イラク・レバントのイスラム国」(ISIL)や「シャーム解放機構」(HTS)等)、反政府武装勢力クルド勢力及びシリア軍・治安当局等の勢力が入り乱れて衝突しており、全土で多数の死傷者が発生しています。首都ダマスカスやアレッポ、ラッカを含むシリア全域で日本人渡航者・滞在者に深刻な危険が及ぶ可能性が極めて高い状況が継続しています。(中略)また、イスラム過激派組織や犯罪集団等による誘拐・強盗等の凶悪犯罪が多発しており、極めて危険な状況です。」とのこと。
 
過激派組織による誘拐は、日本にいる我々にとっても他人事ではない。2012年、アレッポで日本人ジャーナリスト山本美香さんが取材中に銃撃を受け死亡。2015年、シリアでISILに拘束されていた後藤健二さん、湯川遥菜さんの映像がインターネット上に公開され、その後死亡したとされている。2015年にシリアで拉致され、2018年10月に解放されるまで3年以上にわたり拘束されていた日本人ジャーナリスト安田純平さんの解放は記憶に新しい。そうしたニュースが駆け巡るたび日本では自己責任論が巻き起こるが、現地で起こっている真実を世界中の人々に伝える使命感を背負って危険な紛争地域に赴くジャーナリストや写真家がいなければ、私たちは知る術もない。
 
と言うわけで、いま世界で何が起きているのかを知るべく観に行った。398日間にわたってシリアで過激派組織ISに拘束され、地獄の日々を過ごしたダニエルの過酷な体験と、頑なにテロリストと交渉しない方針を貫くデンマーク政府、彼を救出するため奔走する家族の姿がスリリングに描かれる。ダニエルが現地で出会う他の人質たちとの描写も心に残る。が、よくできた再現ドラマの域を出ず。ISを内側から描くのであれば、彼らの怒りや憎悪がどこから来てどこに向けられたものなのか、なぜ人質ビジネスや見せしめの処刑をおこなうのか、そうした側面に触れてもよかったのではないかと思う。しかし、いまだイスラム国が健在であることを思い出し、シリアの人々の現状を認識できたことは有意義だった。

trailer:

【映画】すばらしき世界

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映画日誌’21-07:すばらしき世界
 

introduction:

『ゆれる』『永い言い訳』『ディア・ドクター』などの西川美和が脚本と監督を手掛け、直木賞作家・佐木隆三のノンフィクション小説「身分帳」を現代に置き換え映像化した人間ドラマ。これまでオリジナル脚本に基づく作品を発表してきた西川監督が、初めて原作ものに挑んだ。主演は日本映画界を代表する名優、役所広司。本作で第56回シカゴ国際映画祭インターナショナル コンペティション部門にて最優秀演技賞を受賞した。仲野太賀、長澤まさみ橋爪功梶芽衣子、六角精児、北村有起哉、白竜、キムラ緑子、安田成美らが共演する。(2020年 日本)
 

story:

13年の刑期を終え旭川刑務所をあとにした三上正夫は、身元引受人の弁護士・庄司を頼って上京し、下町のボロアパートで新しい生活を始める。今度こそカタギになると誓い自立を目指すが、目まぐるしく変化する社会に取り残された彼の職探しはままならない。その頃、作家を目指してテレビの制作会社を辞めたばかりの津乃田のもとに、やり手のプロデューサー吉澤から仕事の依頼が入る。前科者の三上が心を入れ替えて社会に復帰し、生き別れた母親と再会する筋書きで感動のドキュメンタリーに仕立て上げようというものだ。生活が苦しい津乃田はその依頼を請け、三上に近付くが...
 

review:

日本映画界には大変申し訳ないことに邦画をあまり観ないのだが、西川美和の作品は観るようにしている。西川美和は、綺麗ごとを描かない。観る者の胸の奥を鷲掴みにして、えげつないほど揺さぶってくる。彼女の作品からは、ある種の覚悟のようなものを感じるのだ。なので、心のなかで正座して観た。西川美和の覚悟とともに、役所広司という役者の凄みを見た。
 
ふと見せる人懐っこい笑顔で、津乃田のみならず観ている我々の心も油断させてしまう。かと思えば、怒りの感情をコントロール出来ず、激昂して声を荒げながら凄むさま、内側に秘めた凶暴性にギョッとさせられる。役所広司、すげぇ。という一言に作品の全てが集約されてしまいそうなほど彼の仕事は素晴らしかったのだが、北村有起哉や六角精児は言わずもがな、津乃田を演じた仲野太賀も独特のムードを持ち合わせていてよかった。
 
役所演じる三上は、幼い頃から極道の世界に足を突っ込み、人生の大半を刑務所で過ごしてきた前科10犯だ。中途半端に入っている背中の刺青が、彼の人生を物語っている。優しくてまっすぐな性分だが、生い立ちが禍して暴力しか解決方法を知らず、まっとうに生きる術を持たない。一度ドロップアウトした人間を許容しない社会の閉塞感が、彼の自尊心を覆い尽くしていく。あまりにも世知辛い。
 
社会に折り合いをつけて生きていくことがどういうことなのか、まっとうに生きるとはどういうことなのか。皮肉のような「すばらしき世界」の意味を考えさせられる。三上という不器用なはみ出し者の姿を通して社会の不条理をあぶり出し、それでも、西川美和は人間の愛おしさ、優しさの本質を描く。無駄のない脚本ながら、時にクスリと笑わされるユーモアの塩梅も流石だ。いつもながら丁寧な作品づくりで、映像や演出も素晴らしい。風にゆれるランニングシャツの切なさ、秀逸だった。ただただ、いい映画だった。
 

trailer:

【映画】私は確信する

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映画日誌’21-06:私は確信する
 

introduction:

フランスで実際に起こった未解決の“ヴィギエ事件”をモチーフにした法廷サスペンス。遺体や証拠もないまま妻殺害の容疑をかけられた男の裁判をめぐり、彼の無実を証明すべく奔走する弁護士らの姿を追い、フランス特有の司法制度の問題点をあぶり出す。監督はこれが長編デビューとなるアントワーヌ・ランボー。主演はコメディエンヌとしても人気の高いマリーナ・フォイス、実在の弁護士デュポン=モレッティを『息子のまなざし』などのオリヴィエ・ グルメが演じる。(2018年 フランス,ベルギー)
 

story:

2000年2月、フランス南西部トゥールーズ。ある日、38歳の女性スザンヌ・ヴィギエが3人の子供を残して姿を消した。夫である大学教授のジャックに殺人容疑がかけられ起訴される。明確な動機がなく、決め手となる証拠も見つからなかったジャックは第一審で無罪となるが、検察に控訴され、第二審で再び殺人罪を問う裁判が行われることに。彼の無実を確信するシングルマザーのノラは、敏腕弁護士デュポン=モレッティに弁護を懇願。自らも助手となって250時間の電話記録を調べるうちに、刑事、ベビーシッター、スザンヌの愛人らの証言がそれぞれ食い違っていることに気付き、新たな疑惑が浮かび上がってくるが...
 

review:

当時、“ヒッチコック狂による完全犯罪”とメディアがセンセーショナルに報じ、偏向報道と世間の声が証拠不十分の人物を容疑者に仕立て上げた“ヴィギエ事件”の第二審が舞台だ。2000年2月、妻のスザンヌが3人の幼い子どもを残して忽然と姿を消すが、破綻した夫婦生活や失踪の届出状況から夫ジャックに疑惑の目が向けられる。ちなみに映画の謳い文句にもなってるヒッチコックは映画の内容とほとんど関係ない。
 
フランスの司法では、確たる物証がなくても疑わしい状況証拠があれば殺人罪刑事告訴されることがあり、陪審員の判断によっては有罪判決となる可能性がある、ということに驚かされる。遺体もなく、目撃者も自白もない。ジャックが犯人だという証拠も犯人ではないという証拠が無いにもかかわらず、「疑わしきは罰せず」という推定無罪の原則が無視されてしまうのだ。
 
父ジャックに殺人容疑をかけられたことで人生を狂わされたヴィギエ一家の苦悩、ジャックの無罪を確信し、敏腕弁護士デュポン=モレッティに弁護を懇願し、自らも助手となって事件にのめりこんでいく主人公ノラの姿が映し出される。展開もスリリングだし、物語もそこそこ面白い。でも、どうしてノラが子育てや仕事やパートナーとの関係を犠牲にしてまでジャックの無罪にこだわるのか、さっぱり分からんのじゃ・・・。もっと言えば、証拠もないのに検察がジャックの容疑にこだわる理由も不明なのである。
 
ただ、250時間にも及ぶ通話記録を分析するうちに事件の真相に迫る快感を覚え、自分の「確信」にとらわれてしまったのだろう。客観的に観ている私たちでさえ、ノラが真犯人であると確信した人物に対して疑惑を抱き、彼が司法に吊し上げられるクライマックスを期待して興奮を覚えてしまう。彼が犯人である確固たる証拠もないのに、である。これこそが、この映画の真骨頂だろう。
 
デュポン=モレッティ弁護士は憎しみの感情に囚われ正義感が暴走するノラに、「これはジャックを無罪にする裁判だ」と諭す。真犯人をあぶり出そうと躍起になるノラと、同じくそのエンディングを期待していた我々は、ジャックを容疑者へと仕立て上げたかつてのメディアや大衆と同じなのだ。そして陪審員のひとりひとりに訴えかける、デュポン=モレッティ弁護士の最終弁論へとつながっていく。って気付いたのは暫く後で、観終わってすぐはノラさん何のために...とだけ思っていたのは内緒である。
 

trailer: 

【映画】マーメイド・イン・パリ

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映画日誌’21-05:マーメイド・イン・パリ
 

introduction:

パリの街を舞台に、恋を忘れた男と人魚が織りなす恋物語を描いたファンタジー。監督は、アニメーション映画『ジャック&クロックハート 鳩時計の心臓をもつ少年』などで知られるフランスのアーティスト、マチアス・マルジウ。リーバイスヒューゴ・ボスのモデルとしても活躍し、『ダリダ〜あまい囁き〜』などに出演したニコラ・デュヴォシェルが主演を務め、『青い欲動』などの若手女優マリリン・リマ、ペドロ・アルモドバル監督作品の常連ロッシ・デ・パルマなどが出演している。(2020年 フランス)
 

story:

記録的な雨による大増水で、浸水してしまったパリ。セーヌ川に浮かぶ老舗のバーでパフォーマーを務めるガスパールは、ある夜、傷を負い倒れている人魚ルラを見つけて保護する。美しい歌声で男たちを魅了し、恋に落ちた男性の心臓を破裂させ命を奪っていたルラは、ガスパールにも歌を歌い聞かせるが、過去の失恋で心が壊れてしまっていた彼にはその歌声が全く効かなかった。二人は次第に惹かれ合うが、ルラは2日目の朝日が昇る前に海に帰らねば、命を落としてしまうという。
 

review:

その昔、『スプラッシュ』という映画があった。1984年にドラマの名匠ロン・ハワードダリル・ハンナトム・ハンクスで撮った、ニューヨークの青年と人魚の恋を描くファンタジー・ラブストーリーだ。それはそれは良い映画で、10代でこの作品に出会った私は何度もビデオで観て感動したものだ。いま同じ感想を抱くかは分からないけど、もしかしたら、私が映画好きになったベースのひとつにはなっているかもしれない。なので人魚が題材だと、つい観てしまうのである。ちなみに私が「映画っておもしれー」と初めて理屈抜きで感じたのはおそらく、小学生のときに映画館で観たスピルバーグの『太陽の帝国』である(どうでもいい)。
 
さて、パリの人魚。観ていてつまらないことはないんだけど、どうにも心のどこにも刺さらない。まずストーリーが荒削り。主役のガスパールをはじめ登場人物の背景や人物像の描き方がとっ散らかってて、二人が恋に落ちる必然性も見当たらない。そもそも、みんなが人魚の存在をあっさりと受け入れているのがどうにも不思議な、ファンタジーが過ぎる世界。いや街の中を人魚積んだトゥクトゥクが疾走してたらあっという間に世界中に拡散されてトレンド入りだよ・・・。先日新宿駅東口にピッコロ大魔王と海王様がいたので速攻写真撮って速攻SNSに上げた私が言うのだから間違いない。
 
映像の雰囲気としては奥行きのない『アメリ』、あるいはティム・バートンミシェル・ゴンドリーかウェス・アンダーソンの廉価版。アラフォーのおっさんがオモチャだらけの部屋に住んでいるのはまるで現実味が無いが、ファンタジーと思えばファンタジーだし、そんなおっさんだから子どもみたいに無垢な人魚と恋に落ちることが出来るのかもしれないし、かわいいと言えばかわいいので、そういう雰囲気を楽しみたい人にはいいのかも。でも日本の公式サイトで監督のプロフィール写真観たら、キテレツを装ったおっさんでちょっとイラっとした。良いところを挙げるならば、隣人を演じていたロッシ・デ・パルマは最高。この映画の素晴らしさを数値化したら、半分くらい彼女が持っていくんじゃないかな。
 

trailer: