銀幕の愉楽

劇場で観た映画のことを中心に、適当に無責任に書いています。

【映画】パラサイト 半地下の家族

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映画日誌’20-04:パラサイト 半地下の家族
 

introduction:

殺人の追憶』『グエムル 漢江の怪物』などの監督ポン・ジュノと主演のソン・ガンホが再びタッグを組んだ人間ドラマ。裕福な家庭に寄生する極貧家族の顛末を、格差社会への痛烈な批判を内包しつつ描く。『最後まで行く』のイ・ソンギュン、『後宮の秘密』のチョ・ヨジョン、『新感染 ファイナル・エクスプレス』のチェ・ウシクらが共演。第72回カンヌ国際映画祭では韓国映画初となる最高賞パルムドールを受賞し、第77回ゴールデン・グローブ外国語映画賞に輝いたほか、第92回アカデミー賞の各賞にノミネートされている。(2019年 韓国)
 

story:

半地下住宅で暮らすキム一家は、全員失業中で日々の暮らしに困窮していた。そんなある日、大学受験に失敗し続けている長男ギウに、IT企業の社長パク氏の豪邸で家庭教師を務める話が舞い込んでくる。パク一家の心を掴むことに成功したギウは、続いて、美大を目指すが上手くいかない妹のギジョンを美術の家庭教師として紹介する。子どもたちが思いがけず高給の仕事にありついたキム家は、徐々にパク家にパラサイトしていくが…。
 

review:

うーむ。目測を見誤り、着地する場所を間違ってしまった。これはブラックコメディだったのか。ポン・ジュノ作品童貞だったぼくちん、勝手にキム・ギドク的社会派ドラマ風味のシリアスなサスペンスを想像していたせいで、軽い肩透かしをくらってしまった。つい最近、人は自分のなかのフレームに沿った情報じゃないと受け取れないという話を聞き、この人はこういう性癖ですよって知ってないと、え?って混乱するでしょ?って、何故か下ネタで例え話されて妙に納得したんだが、まさにそれだ。アキ・カウリスマキが小津テイストで名もなき市井の人々を描いてるだけじゃないって知らないで『レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ』観たら困惑するし、ペドロ・アルモドバルが変態だって知らないまま(以下略)というわけで、芝居染みたコミカルな台詞回し、少々リアリティに欠けるクズしか出てこない展開に、思ってたんと違う!ドリフかよ!!って心で小さく叫んだが、しかし、プロットは巧い。前半で笑わせ、後半は空気を変え、格差甚だしい韓国社会の闇をごった煮にする。その”臭い”がスクリーンから漂ってくるようだ。『ジョーカー』でも印象的に描かれた階段が、本作でも格差社会の象徴として扱われている。高台の家のリビングから優雅に眺めていた雨は、階段を伝って下へ下へと流れ落ち、何層にも重なり錯綜するそれぞれの思惑ごと、半地下の家族を飲み込んでいく。ブラックコメディはいつしかサスペンススリラーの様相を帯びていくが、最終的になぜか”郷愁のような”境地に辿り着くのだ。なるほど前評判の通り、とんでもないところに連れてこられたなぁ、と肩を竦める。そういう意味では、実に面白い作品であった。

trailer:

【映画】リチャード・ジュエル

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映画日誌’20-03:リチャード・ジュエル
 

introduction:

1996年のアトランタ爆破テロ事件を題材にしたサスペンスドラマ。巨匠クリント・イーストウッドが、雑誌『ヴァニティ・フェア』に寄稿された記事『American Nightmare: The Ballad of Richard Jewell(アメリカの悪夢:リチャード・ジュエルのバラード)』を原作に、実在する警備員リチャード・ジュエルの受難を描く。『スリー・ビルボード』などのサム・ロックウェル、『アバウト・シュミット』などのキャシー・ベイツ、『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』などのポール・ウォルター・ハウザーらが出演。(2019年 アメリカ)
 

story:

1996年7月27日、オリンピック開催中のアトランタで、警備員のリチャード・ジュエルが公園で爆発物を発見する。マニュアルに従ったジュエルの行動によって多くの命を救うことができたものの、それでも2人の死者と100人以上の負傷者を出す大惨事となった。一時はメディアによって英雄視されたジュエルだったが、FBIは爆発物の第一発見者である彼を容疑者として捜査を開始。地元紙がそれを報じたことでジュエルを取り巻く状況は一転、マスメディアは彼を糾弾し始め、その報道は日に日に加熱していくことに。ジュエルは旧知の弁護士ワトソン・ブライアントに助けを求めるが...
 

review:

罪無き市民が、報道によって犯人に仕立て上げられる。松本サリン事件を思い出す人もいるだろう。国家権力とメディアによる”リンチ”の犠牲となったリチャード・ジュエルの伝記映画が製作されるにあたって、当初はレオナルド・ディカプリオジョナ・ヒルが主演と製作を兼任する予定だったらしい。なるほどジョナ・ヒル。しかし彼らが降板したことによってイーストウッドに白羽の矢が立ち、結果、出演がサム・ロックウェルとポール・ウォルター・ハウザーになって良かったと思う。言わずもがな、イーストウッド作品にハズレなし。ここ数年は実録「アメリカの英雄」シリーズが続き、そろそろオリジナルのドラマを観たくはあるが、89歳にしてこの切れ味はさすがである。そして主演俳優の2人も素晴らしい。『スリー・ビルボード』で小物感溢れる警察官だったサム・ロックウェルが、本作では頼れる弁護士になりきり、とても同一人物とは思えない演技力。何より、ポール・ウォルター・ハウザーがリチャード・ジュエルに激似。『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』でニートで童貞の「ショーン・エッカート」を演じていたハウザーを観たイーストウッドが、ジュエル役こいつしかおらんやんけってキャスティングしたらしい。オタク気質で、独善と紙一重の正義感の持ち主、周囲の人を鬱陶しくさせるほど細かいことにこだわる低所得者層の白人(肥満)という、ジュエルのキャラクターを体現したハウザーの繊細な演技も見事だったし、犯人かもしれない、あるいは犯人に仕立て上げられても不思議じゃない、その人物像を絶妙な塩梅で描いたイーストウッドが流石である。筆舌に尽くしがたい理不尽と闘う彼らの姿を、観客の不安を煽りながらスリリングに映し出した演出と構成が秀逸で、流石としか言いようがないのだ。つまり面白かったのであるが、一点、遺憾に思うのは、女性記者キャシー・スクラッグスの描かれ方だ。すでに世間で叩かれている通り、あまりにも偏見に満ちた”ステレオタイプ”だ。このエピソードが完全なフィクションならまだしも、この記者が実在の、しかも存命ではない人物であることに閉口した。ただただ残念である。
 

trailer:

 

【映画】ヘヴィ・トリップ/俺たち崖っぷち北欧メタル!

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映画日誌’20-02:ヘヴィ・トリップ/俺たち崖っぷち北欧メタル!
 

introduction:

北欧のメタル大国フィンランドを舞台に、フィンランドで最も知られていないヘヴィメタルバンドが巨大フェスを目指して奮闘するコメディ。2018年のSXSWで上映され一躍話題となった。監督は本作品が長編デビューとなるユーソ・ラーティオ、ユッカ・ヴィドゥグレン。フィンランドを代表するヘヴィ・メタルバンド、ストラトヴァリウスでも活躍するラウリ・ポラーが音楽を手掛けた。『アンノウン・ソルジャー 英雄なき戦場』などのヨハンネス・ホロパイネン、『サマー・フレンズ』などのミンカ・クーストネンらが出演。(2018年 フィンランド,ノルウェー)
 

story:

フィンランド北部、何もない田舎の村。退屈な毎日を送る25歳のトゥロは、“終末シンフォニック・トナカイ粉砕・反キリスト・戦争推進メタル”というジャンルの4人組ヘヴィ・メタルバンドのボーカルを務める。しかし彼らは結成から12年、一度もステージに立ったことがないコピーバンドだった。ある日、遂に自分たちのオリジナル曲を作る決意をした彼らは、試行錯誤の末にとんでもないキラーチューンを完成させてしまう。そんな折、ひょんなことからノルウェーの巨大メタルフェスの主催者と知り合い、バンドに千載一遇のチャンスが舞い降りるが...
 

review:

いやもう、お願いだから観て。久し振りに劇場で声出して笑ってしもうたやないか。え?メタルを聴かない?大丈夫だ、私も一切聴かない。メタルの知識はもちろん、免疫も耐性も要らない。北欧の美しい森、雄大フィヨルドに響き渡る“終末シンフォニック・トナカイ粉砕・反キリスト・戦争推進メタル”は、あなたの心を鷲掴みにするはずだ。いろんな意味で。IKEAの国、フィンランドは人口10万人あたり53.2のメタルバンドが存在し、人口比率で世界で最も多くのメタルバンドがいるメタル超大国である。そんなフィンランドでコメディ映画史上最大規模の巨費が投入された本作。監督のインタビューによると、この映画を撮りたいと思った2つ目の理由が「フィンランドに腹を抱えて笑える映画がほとんどなかったから」だそうで、思惑通り腹を抱えて笑ったよ・・・。全体に漂う間抜け感と哀愁、その隙間にこれでもかと詰め込まれたバカバカしい笑いのバランスが絶妙。バンドメンバーひとりひとりの背景と個性が強烈で、イケメンなのに童貞臭を漂わせ、サラサラの長髪を不器用に書き上げる仕草すら笑える。バンド初のオリジナル曲が完成する経緯は動物愛護団体が激怒しそうな光景だし、バンド名は“インペイルド・レクタム"(※直訳すると直腸陥没)、アー写はハイウェイの自動速度取締機で撮影。ノルウェー国境で彼らの前に立ちはだかる“デルタ部隊”、まさかのバイキング登場。こんなん、笑いますやん・・・。しかし何より、この破天荒な作品の素敵なところは、極度のあがり症で自分に自信が持てなかったトゥロの成長譚としてストーリーが成立している点。そして、ヘヴィ・メタルを少々自虐的に扱いながらも、音楽への敬意を忘れず、観客を最高のステージに連れていってくれるところが素晴らしいのである。あーおかわりしたい。
 

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【映画】フィッシャーマンズ・ソング コーンウォールから愛をこめて

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映画日誌’20-01『フィッシャーマンズ・ソング コーンウォールから愛をこめて』

introduction:

イギリス南西部コーンウォール地方の小さな港町ポート・アイザックに実在する漁師バンド“フィッシャーマンズ・フレンズ”と、彼らを発掘した敏腕マネージャー、イアン・ブラウンのサクセスストーリーをモデルにしたヒューマンドラマ。『輝ける人生』のプロデューサーカップルのメグ・レナードとニック・モアクロフトが制作・脚本を担当し、『キッズ・イン・ラブ』の新鋭クリス・フォギンが監督を務めた。『ローグ・ワン / スター・ウォーズ・ストーリー』などのダニエル・メイズが主演を務め、『ダウントン・アビー』などのタペンス・ミドルトン、『ROMA/ローマ』などのジェームズ・ピュアフォイ、『輝ける人生』などのジェイムズ・ヘイマン、『私は、ダニエル・ブレイク』などのデイヴ・ジョーンズら、実力派俳優が顔を揃える。イギリスでは公開直後から観客動員数100万人を超えるヒットを記録し、1O億円を稼ぎ出した。(2019年 イギリス)
 

story:

イギリス南西部コーンウォール地方にある小さな港町ポート・アイザック。この地を旅行で訪れていた音楽マネージャーのダニーは、漁師バンド「フィッシャーマンズ・フレンズ」のライブを偶然見かける。上司から彼らと契約を結ぶよう指示されたダニーは、この小さな港町に居残ることに。バンドの中心的メンバー・ジムの娘で、B&Bを経営しているシングルマザーのオーウェンは、ダニーの失礼な態度に敵意をむき出しにしていたが、ダニーが見せた音楽への情熱に心を動かされる。やがて、無事に「フィッシャーマンズ・フレンズ」と契約を交わしたダニーだったが……。
 

review:

物語の舞台となったポート・アイザックは、コーンウォール地方の小さな港町だ。コーンウォール地方の位置を確認してみた。まさにランズ・エンド、地の果てと呼ぶにふさわしい、イングランド島の最西部である。太平洋を見渡す丘陵地帯の絶景を求める人々が、数多く訪れる観光地だ。6つのケルト民族地域のうちの1つで、独自の文化や言語、帰属意識を持った地域であり、自分のことをブリテン人イングランド人ではなくコーンウォール人だと考えている人も少なからずいる。彼らがイングランドに対して強い独立心を持っていることを事前に知っておくと、この物語がいっそう興味深いものになるだろう。薄暗い夜明け前、漁師たちの朝が始まる。一緒に漁に行きたいとせがむ孫娘、御守りの妖精を必死で探す老漁師。そのシークエンスは美しく、愛おしさに満ちて、伝統と仲間を重んじ、身を賭して家族を守る彼らの生き様をよく表している。彼らがジンクスにこだわるさまは、常に死が隣り合わせであることを感じさせる。命を懸けて海に生きる男たちの歌は正に本物であり、コーンウォールの壮大な自然を背景に響き渡るその歌声は、心を震わす。2010年にメジャーレーベルのアイランド・レコードと100万ポンド相当の契約を交わし、1stアルバム「Port Isaac's Fisherman's Friends」が全英チャートでトップ10入りを果たした「フィッシャーマンズ・フレンズ」は、実在する漁師バンドだ。慈善事業の資金集めを目的に1995年に結成され、敏腕音楽マネージャー、イアン・ブラウンとの出会いによってメジャーデビューを果たす。本作では”ダニー”というキャラクターになっているが、都会からやってくる観光客=他所者に警戒する住民たちが彼に心を許し、音楽を通して絆を深めていく様子が微笑ましく、素直に感動してしまった。冒頭、ダニーが所属している音楽マネジメント会社のチャラいアホどもの掛け合いが、昔の安っぽいトレンディドラマみたいなワザとらしさで鼻につく。脚本大丈夫か!?と不安になったが、物語がどんどん面白くなったのでいつの間にか忘れてた。実直な漁村の暮らしとコントラストを演出していたんだと思うことにする。ちなみにバンド名の「フィッシャーマンズ・フレンズ」は、イギリス人なら誰でも知っているミント系トローチの名前とのこと。お茶目。
 

trailer:  

【映画】だれもが愛しいチャンピオン

劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’19-63
『だれもが愛しいチャンピオン』(2018年 スペイン)
 

うんちく

プロバスケットボールの元コーチと、ハンディキャップを持つ選手たちのバスケットボールチームの出会いを絆を描き、スペインのアカデミー賞たるゴヤ賞で作品賞を含む三部門を制したドラマ。脚本・監督は『モルタデロとフィレモン』などのハビエル・フェセル。『オリーブの樹は呼んでいる』などのハビエル・グティエレスが主演を務め、実際に障がいを持つ600人の中からオーディションで選ばれた10名が共演した。
 

あらすじ

プロバスケットボールチームでコーチを務めるマルコは、負けん気が強い性格が災いして問題を起こし、解雇されてしまう。その上、飲酒運転事故を起こし、判事から社会奉仕活動として、知的障がい者たちのバスケットボール・チーム“アミーゴス”を指導するよう命じられてしまう。選手たちの自由奔放な言動に翻弄され、困惑するマルコだったが、彼らの純粋さや情熱、豊かなユーモアに触れて一念発起するが…
 

かんそう

大人になりきれない、短気で少々身勝手な性格が災いして無職・免停・別居中という、こじらせ中年が主人公だ。いわゆるステレオタイプのキャラクターだが、こういう子供おじさんは万国共通なんだなと妙に感心する。彼の名はマルコ。初めて接する知的障がい者たちに戸惑う姿は、普通(という思い込み)と異なる個性を持った人に対して身構える、いつかの私だ。マルコが”アミーゴス”のメンバーに育まれ、人間として成長していく姿が微笑ましい。程よくユーモアが散りばめれれた脚本は、オーディションで選ばれた10人に合わせ、既に完成していた台本を当て書きして全面改稿されたものとのこと。それは一人一人の個性を魅力的に映し出しており、ややもすればヒューマニズムに偏り感動ポルノと揶揄されそうな題材とストーリーを、誰もがメッセージを享受できる普遍的な物語に昇華させている。人生が愛おしくなる、清々しいラストも秀逸。ちなみに本作が2019年最後の映画となった。本当は社会派の巨匠ケン・ローチの新作を観るつもりだったけど、一年の締めくくりにするにはちょっと重すぎるんだよなぁ。と、何となくチョイスした作品だったが、期待値より素敵な作品だったのでご満悦。素敵な映画納めであった。2019年は例年より少なかったから、2020年はたくさん映画観たい。もっと観たい。
 

【映画】シュヴァルの理想宮 ある郵便配達員の夢

劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’19-62
シュヴァルの理想宮 ある郵便配達員の』(2018年 フランス)
 

うんちく

フランスの片田舎オートリーヴに実在する建築物「シュバルの理想宮」の実話をベースに、たった一人で宮殿を完成させた郵便局員の50年を描いたヒューマドラマ監督は『エトワール』などのドキュメンタリー映画で知られるニルス・タヴェルニエ。『レセ・パセ自由への通行許可証』でベルリン国際映画祭最優秀男優賞を受賞し、『グレート デイズ! -夢に挑んだ父と子-』でもタヴェルニエ監督とタッグ組んだ名優ジャック・ガンブランが主演を務める。モデルとしても活躍する、『ゲンズブールと女たち』『パリの恋人たち』などのレティシア・カスタが共演。
 

あらすじ

19世紀末、フランス南東部の村オートリ―ヴ。村から村へと手紙を配り歩く郵便配達員シュヴァルは、妻を病気で亡くし、子どもの養育ができないと判断した親類によって一人息子を里子に出されてしまう。やがて未亡人フィロメーヌと運命の出会いを果たし、結婚したふたりにの間には娘アリスが誕生するが、寡黙で人付き合いが苦手な彼は娘にどう接したらいいのか戸惑っていた。そんなある日、配達の途中で変わった形の石につまづいたことをきっかけに、石を積み上げて宮殿を建てることを決意する。それは彼なりの、アリスへの愛情表現だった。シュヴァルは来る日も来る日も黙々と石を運んでは積み上ていく。村人たちからは変人扱いされながらも、家族3人で慎ましかやに幸せな毎日を送るシュヴァルだったが、彼には過酷な運命が待ち受けていた...
 

かんそう

実在するこの”シュヴァルの理想宮”は、たった一人の郵便配達員が、33年の歳月をかけて築き上げたものである。ある日、配達中につまづいた奇妙な形の石に魅せられた男は、新聞や雑誌や絵葉書で見た遠い異国の景色をつなぎ合わせ、拾い集めた石を積み上げること9万3000時間、東西26メートル、北14メートル、南12メートル、高さ10メートルに及ぶ、壮大で奇想な建造物を完成させた。制作当時は周囲の人々に白い目で見られていたシュヴァルだったが、シュールレアリスムの詩人アンドレ・ブルトンによって称賛され、 ピカソやニキなどフランスを代表する画家にも多大な影響を与えることになる。世界中のナイーブ・アート、あるいはアウトサイダー・アート(正式な美術教育・訓練を受けていない作家による芸術)建築において最も特異な例として知られ、近年は年間数万人がこの場所を訪れる。現在、フランス政府により国の重要建造物に指定され、修復も行われているそうだ。シュヴァルの半生を描いたこの映画を観るにあたり、理想宮の存在を初めて知ったのであるが、すっかりこの驚くべき実話の虜になってしまった。理想宮の壁面には、「この岩を造ることによって、私は意思が何を為しうるかを示そうと思った」と刻まれている。ひたすら頑固に信念を貫き、偏執狂と揶揄されながらも自分が思い描いた”理想”をかたちにしたシュヴァル、そして彼を見守り支えた妻フィロメーヌの、愛と知性を垣間見ることができる。ドローム県の美しい自然を背景に、静謐なタッチで淡々と描かれる、ささやかな幸せ、激しい慟哭、深い悲しみ。画集を一枚ずつめくり、その度に感嘆のため息を漏らしてしまうような美しさがそこにはあった。
 

【映画】テッド・バンディ

 
劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’19-61
『テッド・バンディ』(2019年 アメリカ)
 

うんちく

1970年代のアメリカを震撼させた実在の殺人鬼テッド・バンディの半生を描いた伝記ドラマ。記録映像やインタビューなどを通してバンディに迫ったNetflixオリジナル作品「殺人鬼との対談:テッド・バンディの場合」を手がけたジョー・バリンジャーが監督を務める。主演は『グレイテスト・ショーマン』のザック・エフロン、『白雪姫と鏡の女王』『あと1センチの恋』などのリリー・コリンズ、『ザ・シークレット・サービス』などの名優ジョン・マルコヴィッチらが共演する。
 

あらすじ

1969年、ワシントン州シアトル。シングルマザーののリズは、とあるバーでテッド・バンディと出会い、恋に落ちる。リズの幼い娘モリーとともに3人で幸福な家庭生活を送っていたが、ある日、テッドが信号無視で警官に止められたことで運命が一変してしまう。車の後部座席に積んであった道具袋を疑われ、マレーで起きた誘拐未遂事件の容疑で逮捕されてしまったのだ。突然の出来事に戸惑うリズだったが、前年にも女性の誘拐事件が起きており、目撃された犯人らしき男はテッドの愛車と同じフォルクワーゲンに乗り、その似顔絵はテッドに酷似していた...
 

かんそう

原題の”Extremely Wicked, Shockingly Evil and Vile(極めて邪悪、衝撃的に凶悪で卑劣)”とは、実際の裁判で判事がテッド・バンディに投げかけた言葉である。IQ160の頭脳と美しい容姿で世間を翻弄し、”シリアルキラー”の語源になった稀代の殺人鬼テッド・バンディ。30人以上の女性を殺した罪で死刑に処されているが、その余罪の全てはあきらかになっておらず、本当の被害者の数は誰にも分からない。この作品は、テッド・バンディの恋人だったエリザベス・クレプファーが彼との日々を綴った著書「The Phantom Prince:My Life with Ted Bundy」をベースにしており、彼を愛してしまった女性の目線で描かれている。したがって観ている側も、まるでテッドが悪人に思えず、冤罪で裁かれているような感覚に陥ってしまうのだ。後々はっと我に返りゾッとするのだが、それこそがこの作品の真髄である。当時、テッドの邪悪な魅力に翻弄された人々がいたという事実。見た目が良く話が巧みな点に価値を置く米国社会において、「感じがよくて魅力的な白人男性だからといって信用してはならないのだと若い世代に警告したかった」と語るバリンジャー監督の思惑通りだ。下級階級の私生児として生まれたバンディは、大学の頃に出会い交際したステファニー・ブルックスに失恋したことで、深い挫折を味わった。やがてその屈辱は「上流中産階級の女」を完全支配するという欲求に変わり、彼を強姦殺人へと駆り立てたのである。のちにバンディの弟は「兄をおかしくしたのは、ステファニー・ブルックスに出会ってからだ。あの女にさえ会わなければ、兄は殺人鬼にならなかったかもしれない。」と語っている。テッドが標的にした女性には共通の特徴があり、犠牲者のほとんとがストレートの髪を真ん中で分けていた。それはブルックスの髪型だったという。その凶行を調べれば調べるほど、スクリーン越しにテッド・バンディという怪物にかつがれそうになったことを薄ら寒く思うのだ。
 
僕は人間の生と死を支配したかった。
地球上から人間一人が減ったからといて、どうだというんだい?——テッド・バンディ