
映画日誌’25-52:落下の王国
introduction:
長編デビュー作『ザ・セル』で鮮烈なビジュアル世界を築き、世界に衝撃を与えたターセム監督が、2006年に製作した長編第2作。ターセムが私財を投じ、構想26年、撮影期間4年をかけ、13の世界遺産と24ヵ国以上のロケーションを巡り完成させた幻の名作が、4Kデジタルリマスターで蘇る。デビッド・フィンチャーとスパイク・ジョーンズが製作をサポートし、フランシス・F・コッポラ監督作『ドラキュラ』でアカデミー賞衣装デザイン賞を受賞した故・石岡瑛子がコスチュームデザインを手掛けた。(2006年 アメリカ)
story:
時は1915年。映画の撮影中に橋から落ちて大怪我を負ったスタントマンのロイは、病室のベッドで絶望し、自暴自棄になっていた。そんな彼の前に、木から落ちて腕を骨折し入院していた5歳の無垢な少女アレクサンドリアが現れる。ロイは動けない自分に代わって、アレクサンドリアに自殺するための薬を薬剤室から盗んで来させようと考え、彼女の気を引くため思いつきの冒険物語を語り始める。それは、愛する者や誇りを失い、深い闇に落ちていた6人の勇者たちが、力を合わせて悪に立ち向かう、愛と復讐の叙事詩だった。
review:
“映像の魔術師”ターセム監督が、構想26年、撮影期間4年の歳月をかけて完成させた、世にも美しいファンタジーである。CGをほぼ使わず、13の世界遺産、24ヵ国以上のロケーションを巡って実景撮影されたというから驚きだ。「私はこの作品に24年間取り憑かれていた」と語るターセム。彼の執念が創り出した唯一無二の世界は、息を呑むような、目も眩むような映像体験をもたらす。
公開された当時は批評家の評価が低く、賛否両論だったらしい。商業的に厳しいと判断され、トロント映画祭の出品後もなかなか公開先が決まらず苦戦したという逸話すらある。2008年の日本公開以来、配信されることなくソフトも廃盤になり“幻の作品”となるも、映像技術やロケーションのスケール、観る者を圧倒する映像美が映画ファンの間で語り継がれ、再評価され、カルト的な支持を集めてきた。
この幻の傑作が、約20年の時を経て、4Kデジタルリマスター版としてスクリーンに蘇るという。映画ファンはそわそわしながら公開を待ち侘びたことだろう。私もシネコンの週末のチケット争奪戦を制し、スクリーンが大きなシアターのベストポジションを確保した。公開当日は別のミニシアターで違う作品を観ていたが、なんとなく胸騒ぎがして、本作品の上映もされていたその劇場でパンフレットを購入した。今思えばTシャツも買うべきだった。
チケットを確保している日曜日まで、そのパンフレットをしげしげと眺めて過ごす。世界中の遺跡、砂漠、寺院、洞窟、島。カットの一つ一つが絶望するほど美しく、日本が誇る世界的クリエーター・石岡瑛子が手がけた衣装の数々も実に麗しい。この世界を映像で堪能できるのだと思うとゾワゾワする。当日が来る。劇場に行く。パンフレットは完売。そうでしょうよ、イヤな予感的中だよ。前の座席の男性の座高が高い。おいコラ頭起こすんじゃねぇー
そしてようやく、ターセムの世にも美しい映像世界の幕が開ける。ターセムが見出したカティンカ・ウンタルーのかわいらしさよ。なんとターセム監督はアレクサンドリア役のカティンカには一切脚本を渡さなかったらしく、ロイとアレクサンドリアのやりとりは偶発的に生み出された「生の会話」だという。ロイ役のリー・ペイスは撮影中、本当に怪我人として振る舞い続け、カティンカの反応を見ながらその場でセリフを変えていたそうだ。
ロイが語る物語が、アレクサンドリアの想像力によってビジュアル化されていく。ロイの絶望や思惑が物語に暗い影を落とすが、アレクサンドリアの視点を通すことで彼女の無邪気さや感情が物語を揺らし、彼の思うようにならない。語り手が紡いだ言葉が、聞き手の想像力によって「物語」になるという、読書体験の本質を映像で体現しているのだ。ただただ、驚異的である。
映画という芸術の力を極限まで使い切り、CGを使わずして観客をファンタジーの世界に誘い、その果ての果てまで連れていく。そして繰り返し描かれる、落下(The Fall)という美しいメタファー。この映画がこの世に存在していることが魔法であり、奇跡である。物語の力を信じている人は、きっと今すぐ劇場に行ったほうがいいだろう。次はいつ会えるか、分からないのだから。