銀幕の愉楽

劇場で観た映画のことを中心に、適当に無責任に書いています。

【映画】カメラを止めるな!

劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’18-52
カメラを止めるな!』(2018年 日本)
 

うんちく

監督・俳優養成の専門学校「ENBUゼミナール」のシネマプロジェクト第7弾作品。短編映画で活躍していた上田慎一郎監督の長編デビュー作となる。脚本は、数か月に渡るリハーサルを経て、オーディションで選ばれた無名の俳優たちに当て書きされた。ゾンビ映画を撮っていたクルーが本物のゾンビに襲われる様子を、37分に渡るワンカットのサバイバルシーンを盛り込み活写する。6日間限定の先行上映でたちまち口コミが広がり、都内2館で公開されると観客が押し掛け、その後上映館は全国で累計150館に広がった。
 

あらすじ

人里離れた山奥の廃墟で、とある自主映画の撮影クルーがゾンビ映画を撮影していた。リアリティを求める監督はなかなかOKを出さず、テイク数は42となっていた。監督のエスカレートする要求に現場は疲弊し始めていたが、そんな中、彼らに本物のゾンビが襲いかかってくる。本物の恐怖に慄き、叫び声を上げながら逃げ惑う役者たち。大喜びでカメラを回し続ける監督だったが、撮影クルーは次々とゾンビ化していき…。
 

かんそう

やっと観た。エンドロールが終わった瞬間、拍手したくなった。映画は単なるエンターテイメントでなく、ひとつの体験であると巨匠ホドロフスキーが言う通りである。実に面白い体験をした。予想の斜め上をいく展開で様々な感情を抱かされるが、後になって監督の手のひらの上で転がされているだけだったと気付かされる。映像でしかできない表現で、映画という舞台を使った壮大な遊びに、すっかり翻弄されてしまうのだ。正直なところ、映画の質としては粗いが、それもこの作品のテイストとして重要なファクターとなっている。緻密に練られたであろう脚本から程よく引き算されており、何もかも計算づくで気持ち良い。愛に溢れていて愛おしい。監督・俳優養成の専門学校のワークショップで制作された低予算作品が社会現象となり、たった2館だった上映館があっという間に100館に増えるなんて、日本の映画界でそんなことが起きるなんて、それだけで素敵じゃないか。商業主義にスポイルされた脳みそじゃ、こんな作品絶対に創れない。奇跡のような映画である。すべての先入観を捨てて観て欲しい。そして、エンドロールが終わるまで、絶対に席を立ってはいけないよ・・・。
 

【映画】ウインド・リバー

劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’18-51
 

うんちく

脚本家として『ボーダーライン』『最後の追跡』など現代アメリカの辺境を探求する作品を世に送り出し、高い評価を得ているテイラー・シェリダン。その最終章として、シュリダン自らメガホンを取り、ネイティブアメリカンの保留地を舞台にしたクライム・サスペンスを完成させた。『アベンジャーズ』シリーズや『メッセージ』などのジェレミー・レナー、『マーサ、あるいはマーシー・メイ』などのエリザベス・オルセンらが出演。第70回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門にて監督賞を受賞している。わずか全米4館の限定公開だったが、評判がSNSや口コミで広まり公開4週目には2095館へと拡大。興収チャート3位にまで昇りつめ、6週連続トップテン入りのロングラン・ヒットを記録した。
 

あらすじ

アメリカ中西部・ワイオミング州にあるネイティブアメリカンの保留地ウインド・リバー。その深い雪に閉ざされた山岳地帯で、ネイティブアメリカンの少女ナタリーの死体が発見される。第一発見者となった野生生物局のベテランハンター、コリー・ランバートは、部族警察長ベンとともににFBIの到着を待つことに。しかし、猛吹雪に見舞われ予定より大幅に遅れてやってきたのは、新米の女性捜査官ジェーン・バナーただひとりであった。遺体発見現場に案内されたジェーンは、あまりにも不可解な状況に驚く。現場から5キロ圏内には民家がひとつもなく、ナタリーはなぜか薄着で裸足だった。検視の結果、レイプされた痕跡はあるものの、直接の死因はマイナス30度の冷気を吸い込みながら走ったことによる肺出血と断定される。殺人事件としてFBIの専門チームを呼ぶことができなくなったジェーンは、保留地の地形や事情に精通したコリーに捜査の協力を求めるが...
 

かんそう

激しく心を揺さぶられたこの作品を出来るだけたくさんの人に観て欲しいと思っているが、その前に、ネイティブアメリカンの保留地"ウインド・リバー"について知っておく必要がある。アメリカ中西部ワイオミング州にある厳寒の山岳地帯だ。1790年から1834年にかけて可決された「インターコース法」によって、東部の豊かな土地を所有していた先住民部族の多くが、西部の土地へ強制移住させられ、不毛の荒野で農業に従事させられた。そのうえ彼らが受け取るはずの年金や食糧は保留地監督官らに横領されていたため、彼らは常に飢餓状態だったという。現在もほとんどの保留地は産業を持てず、人々は貧困にあえいでいる。条約規定に基づいた僅かな年金が支給されるため、それに頼って自立できない人も多く、ウインド・リバーの失業率は80%と高い。後にも先にも希望などない状況で、ドラッグやアルコールへの依存症率も高く、平均寿命は49才、10代の自殺率は全米平均の2倍以上。そして先住民居留地として部族自治権が与えられているため、連邦政府の管理が及ばない。部族警察とよばれる独自の警察組織があるが、鹿児島県ほどの広さがあるにも関わらず警察官はたった6人しかおらず、犯罪が横行する無法地帯となっている。本作は、この”見捨てられた土地”で起きた殺人事件を通して、入植してきた白人社会による搾取、ネイティブアメリカンの伝統文化の否定と強制的な同化、色濃く残る人種差別や性差別など、これまで誰も直視しなかったアメリカ社会の闇と対峙する。「この作品は成功しようが失敗しようが、作らなければならない映画だった。そして、苦しみを背負ったネイティブアメリカンの友人たちに対する敬意という点から、何を語り、どう語るべきか、僕が完全な責任を負わなければならない映画だった。」とシェリダンが自ら監督を務めた理由を語っている。クライム・サスペンスとしても非常に見応えあるものとなっており、ミステリー仕立てのスリリングな展開からひとときも目が離せない。また、心に傷を抱えた孤高のハンターを演じたジェレミー・レナーを筆頭に、俳優陣の演技も素晴らしい。150年間、この厳寒の土地に閉じ込められてきたネイティブアメリカンの静かな怒りが、娘を奪われた父親と母親の慟哭となって胸に迫ってくる。いつまでも心に痛みが残る、とても辛い映画体験だった。
 

【映画】ヒトラーを欺いた黄色い星

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劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’18-50
ヒトラーを欺いた黄色い星』(2017年 ドイツ)
 

うんちく

第2次世界大戦時、ナチス政権下のベルリンで終戦まで生き延びたユダヤ人たちの実話を、生還者の証言を交えながら映画化。彼らがどのようにして身分を隠し、ゲシュタポや密告者の目をすり抜けながら生き延びたのかを描き出す。テレビ向けの長編ドキュメンタリーなどを制作してきたクラウス・レーフレが監督・製作・脚本を手がけ、巨匠テレンス・マリックとのコラボレーションで知られるイェルク・ヴィトマが撮影監督を務めた。『愛を読むひと』『ブリッジ・オブ・スパイ』などのマックス・マウフ、『あの日 あの時 愛の記憶』などのアリス・ドワイヤーらが出演。
 

あらすじ

第二次世界大戦時、ナチス政権下ドイツの首都ベルリン。ユダヤ人への迫害は日に日に激しくなっていた。咄嗟についた嘘で運良く収容所行きを免れ、大胆にも出征を控えるドイツ人兵士に成りすましてベルリン市内の空室を転々としていたツィオマは、器用な手先を生かしてユダヤ人の命を救うための身分証偽造を行っていた。友人のエレンとともに戦争未亡人を装って外出していたルートは、隠れ家を失い路頭を彷徨っていたが、ドイツ国防軍のヴェーレン大佐の邸宅でメイドの仕事を得る。母親の再婚相手がドイツ人だったため家族の中で唯一、ユダヤ人と識別するための黄色い星をつけなくてはいけなかった16歳の少年オイゲンは、活動家の家に引き取られ、ヒトラー青少年団の制服を着て身元を偽り、反ナチスのビラ作りに協力。両親を亡くし、知り合いのユダヤ人一家と同居していた17歳の孤児のハンニは、髪をブロンドに染めて別人になり、映画館で知り合った男性の母親の家に匿われていた。戦争の終わりが近づくなか、ベルリンに侵攻したソ連兵が彼らの前に現れ...
 

かんそう

第二次世界大戦下、ナチスに虐殺されたヨーロッパのユダヤ人は約600万人と言われている。1943年6月、ナチスの宣伝相ゲッベルスは首都ベルリンからユダヤ人を一掃したと正式に宣言した。しかし実際には7000人ものユダヤ人がベルリン市内に潜伏し、1500人が終戦まで生き延びている。彼らに関する緻密な調査を行ったクラウス・レーフレ監督は、そこから最も興味深い4つのストーリーを選び出し、この驚くべき歴史の事実を解き明かすドラマを編み出した。テレビのドキュメンタリーと同様の手法で、役者によって再現されたドラマに当事者のインタビューや実際の映像が挿し込まれる。映画としては珍しい構成かもしれないが、リアリティと臨場感が増し、本物だけが持つ説得力と重みが生まれている。生々しく伝わってくる息遣いに強く心を揺さぶられながら、興味深く観た。この数年はナチスホロコーストに関する映画が盛んに制作されている。理由のひとつは2007年に強制労働の被害者に対する補償が完了し、ドイツにおいてナチスがようやく「歴史」として認識されるようにになったことだと言われている。また、欧州のほとんどの国でナチズムの廃止・排除が法令化されているにも関わらず、現実にはネオナチの動きが世界的な拡がりを見せており、この不穏な世界情勢に対する漠然とした不安が、たくさんの作品を生む背景になっているのかもしれない。それらは様々な角度と切り口でナチズムとその時代が語られるが、本作では、ナチス政権下の市井におけるユダヤ人とドイツ人の交流が非常に印象深く描かれている。戦争が人間を狂気へと駆り立てる一方、どんな悲惨な状況にあっても、人間性を保ち続けることは出来るのだと訴える。戦争という愚かしい歴史の裏と表を知る意味でも、観ておきたい作品のひとつ。
 

【映画】ゴースト・ストーリーズ 英国幽霊奇談

劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’18-49
 

うんちく

オカルト否定派の心理学者が“絶対にトリックを暴けない”3つの超常現象の解明に挑むホラー。原作は2010年にジェレミー・ダイソンアンディ・ナイマンが発表し、本国イギリスでロングラン上演したほか、世界ツアーで100万人を動員した同名の舞台。原作者のダイソンとナイマンが監督を務めており、ナイマンは教授役で出演している。『SHERLOCK/シャーロック』『ホビット』シリーズのマーティン・フリーマン、『僕と世界の方程式』などのアレックス・ロウザーらが共演。
 

あらすじ

イギリス各地でニセ超能力者やニセ霊能者の嘘を暴いてきた心理学者のフィリップ・グッドマン教授。ある日彼は、長らく行方不明になっていた憧れのベテラン学者・キャメロン博士から「自分ではどうしても見破れない」という3つの超常現象を調査するよう依頼を受ける。初老の夜間警備員、家族関係に問題を抱える青年、妻が出産を控えた地方の名士。3人の超常現象体験者に話を聞くため旅に出たグッドマンを待っていたのは、想像を絶する恐怖だった...
 

かんそう

こんにちは、オカルト大好きノストラダム子です。ノストラダム子はホラー映画が大好物です。さて、原作は舞台とのことだが、きっと舞台であれば面白くなるプロットだろう。かと言って映像向きでないかと言うとそんなことはなく、「人は自分の見たいものを見る」というテーマは興味を唆るし、演出次第でいくらでも骨太なホラーになっただろうに残念である。舞台と映像は手法が異なるはずなので、映像は映像の監督に任せるべきだ。いずれのエピソードもインパクトに欠け、恐怖を煽る演出も使い古されたものばかりで、伏線の回収も中途半端で何とも消化不良。マーティン・フリーマンの無駄遣いだから、ジェームズ・ワンに撮らせろ。こちとら、見せ場で大きな音出す頭悪そうな演出で怖がるほどウブじゃねぇんだよ。そんな訳でノストラダム子はホラー映画が大好物であるが、今年は不作である。と思って、今年観たホラーを数えてみたらまだ2本目だった。それにしても今年は不作である。この猛暑、誰か私を震え上がらせてくれないだろうか。ちなみにノストラダム子的おすすめ鉄板ホラーはジェームズ・ワンの『死霊館』シリーズである。って、ただのジェームズ・ワン好きやん・・・。
 

【映画】グッバイ・ゴダール!

劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’18-48
グッバイ・ゴダール!』(2017年 フランス)
 

うんちく

女優・作家であり、ゴダールの2人目の妻でもあったアンヌ・ヴィアゼムスキーによる自伝的小説を映画化。世界中から注目される気鋭の映画監督ゴダールのミューズとして過ごした刺激的な日々が、五月革命に揺れるパリを舞台に綴られる。監督は『アーティスト』でアカデミー賞5部門に輝いたミシェル・アザナヴィシウス。『ニンフォマニアック』でセンセーショナルなスクリーンデビューを飾ったステイシー・マーティンがアンヌを演じ、映画監督フィリップ・ガレルの息子で『サンローラン』『愛を綴る女』などのルイ・ガレルゴダールに扮する。
 

あらすじ

1960年台後半、パリ。大学で哲学を学ぶ19歳のアンヌ・ヴィアゼムスキーは、映画監督ジャン=リュック・ゴダールと恋に落ち、彼の新作『中国女』で主演を務めることになる。新しい仲間たちと映画を作る刺激的な日々、そしてゴダールからのプロポーズ。ノーベル文学賞受賞作家フランソワ・モーリアックを祖父に持つアンヌと、ヌーヴェルヴァーグを代表する監督の一人であるゴダールの結婚は世間から注目される。一方、街では革命の気運が日に日に激しくなり、ゴダールは次第に政治活動へと傾倒していく。やがて、商業映画と決別したゴダールカンヌ映画祭を中止に追い込んだり、“ゴダール”の名前を捨て“ジガ・ヴェルトフ集団”を結成し、新しい映画を撮ると宣言したりするが...
 

かんそう

ジャン=リュック・ゴダールといえば、映画の世界において唯一無二の伝説的存在である。『勝手にしやがれ』『気狂いピエロ』などで見せた同時録音、即興演出、自然光を生かすためのロケーション中心の撮影など、前時代の手法を否定した映画作り、大胆な編集術による斬新な作風が世界に衝撃を与えた、”ヌーヴェルヴァーグの旗手”だ。そして今なお後続の才能たちに、多大な影響を与え続けている。本作は、ゴダールに捧げるオマージュだ。初期ゴダール作品の色彩や音楽、カメラワークやフレーミング、実験的手法などをつなぎ合わせたコラージュのような構成で、ミシェル・アザナヴィシ監督の素晴らしい仕事が際立つ。と言っても、ゴダール本人はまだ存命で現役。80歳を超えてもなお新しいことに挑戦し続ける彼にとって、過去の自分を扱った映画など愚の骨頂だったらしく、「愚かな、実に愚かなアイディアだ」と吐き捨てたそうだ。実にゴダールらしいエピソードであるが、人間ゴダールの魅力や可笑しみ、天才が持つ複雑かつ面倒な思考性と人間性、そして彼に振り回される人々の困惑をコミカルに描いた、チャーミングな作品である。フランスに大きな社会不安をもたらした五月革命当時のパリの熱気や興奮、商業映画と決別し政治闘争に傾倒していくゴダールの焦燥、その実まだまだ保守的だった文化世相が余すところなく描かれており、非常に興味深い。さらにはゴダールの盟友ベルトルッチトリュフォーなど、名だたる巨匠たちが次々に登場して映画ファンの心を鷲掴みだ。そして、2人の仲睦まじい姿が微笑ましかった蜜月を過ぎ、自分が愛したゴダールゴダールでなくなっていくにつれ笑顔を失い、自我に目覚め女性として成長するアンヌと、その姿に戸惑い嫉妬するゴダールの悲哀は、普遍的なラブロマンスとしても充分見応えがある。アンヌを演じたステイシー・マーティンが圧倒的にキュート。それにしても歴代妻の名前がアンナ、アンヌ、アンヌってどういうことよ。名前フェチ・・・?
 

【映画】エヴァ

劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’18-47
エヴァ』(2018年 フランス)
 

うんちく

マリー・アントワネットに別れをつげて』などのブノワ・ジャコー監督が、かつてジャンヌ・モロー主演で『エヴァの匂い』として映画化されたハドリー・チェイスの傑作小説「悪女イヴ」を再映像化。高級娼婦に魅了された若き作家が、破滅の道をたどる姿を描く。『エル ELLE』でアカデミー賞主演女優賞にノミネートされ、巨匠ミヒャエル・ハネなど名だたる監督とキャリアを築いてきたイザベル・ユペールが高級娼婦を演じる。『たかが世界の終わり』などのギャスパー・ウリエル、『シャトーブリアンからの手紙』などのマルク・バルベ、『ルビー&カンタン』などのリシャール・ベリらが出演。
 

あらすじ

他人の戯曲を盗作して作家デビューし、成功を手にした美しい男ベルトラン。周囲から2作目を期待されるが筆は進まず、出資者による催促から逃れるようにアヌシーの別荘に向かう。到着すると、吹雪で立ち往生した男女が別荘の窓ガラスを割り侵入し、部屋の中でくつろいでいた。腹を立てたベルトランは男を追い出し、入浴中の娼婦エヴァに詰め寄るが、一瞬で彼女に心を奪われてしまう。その後も。次作の題材にするためという理由でエヴァに近づくが、冷たくあしらわれたベルトランは苛立ちを募らせ...
 

かんそう

映画の情報を仕入れようとして「エヴァ 映画」でググると『EVA』とか『エヴァの告白』とか『エヴァの恋人』とか『エヴァンゲリオン』とか過去の映画作品がたくさん引っかかって目的に辿り着けない。というくらい、”エヴァ”は象徴的な名前だ。旧約聖書の創世記に登場する人類最初の女性イヴに由来し、語源はヘブライ語で「命」または「生きるもの」を意味するそうだ。”エヴァ”という名前を持つ高級娼婦をフランスを代表する女優イザベル・ユペールが演じる。『エル ELLE』で60代と思えぬ色気と官能を見せつけた彼女とあって、とても楽しみにしていた。が、イザベル・ユペールの魅力を持ってしてもこの映画の面白さがさっぱり理解できず、しばらくのあいだ4つの胃袋を持つ牛のように反芻していたのだが、はたと気付いた。元凶は顔が綺麗なだけが取り柄のギャスパー・ウリエルだ。完全にギャスパー・ウリエルの技量不足で、すべてが台無しなのである。まず、イザベル・ユペール演じる悪女エヴァの虜になった瞬間すら表現できてない。そのため観客のミスリードを引き起こし、ストーリーが展開していくにつれ理解の辻褄が合わなくなっていくのだ。そして悪女に騙される男の滑稽や悲哀、官能というものが全く抜け落ちている。演技に奥行きがなく表情が乏しいため、ずる賢いのか馬鹿なのか分からない。ぼくちん悪女に翻弄されてるなう、って、言葉にできないなら態度で示せ!と詰め寄り、膝を突き合わせて小一時間説教したい気分だ。でも実物を目の前にしたら見惚れるんだろうな(ミイラ取り)。
 

【映画】バトル・オブ・ザ・セクシーズ

劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’18-46
 

うんちく

1970年代、絶対王者として女子テニス界に君臨し、男性優位の不平等と闘い続けたビリー・ジーン・キングを描いたドラマ。アカデミー賞4部門にノミネートされた『リトル・ミス・サンシャイン』のヴァレリー・ファリス&ジョナサン・デイトンが監督を努め、『スラムドッグ$ミリオネア』でアカデミー賞を受賞したダニー・ボイルサイモン・ボーフォイが再び手を組み、それぞれ製作と脚本を手掛ける。『ラ・ラ・ランド』などのエマ・ストーン、『フォックスキャッチャー』などのスティーヴ・カレル、『インデペンデンス・デイ』シリーズなどのビル・プルマンらが出演。
 

あらすじ

1973年、全米女子テニスチャンピオンのビリー・ジーン・キングは、女子選手の優勝賞金が男子選手の8分の1であることなど男性優位主義に抗議。男女平等を求めて仲間とともにテニス協会を脱退し、女子選手の地位向上を掲げた女子テニス協会を立ち上げる。著名なジャーナリストで友人のグラディス・ヘルドマンがスポンサーを見つけ出し、女子だけの選手権の開催が決まると自分たちでチケットを売り、宣伝活動に励んでいた。そんなビリー・ジーンに、かつての世界王者ボビー・リッグスが男性優位主義代表として挑戦状を叩きつけてくるが...
 

かんそう

リトル・ミス・サンシャイン』などのジョナサン・デイトンヴァレリー・ファリス夫妻が監督、ダニー・ボイルが製作と聞けば観に行くほかあるまい。『ラ・ラ・ランド』を評価せず、同作におけるエマ・ストーンの魅力が理解できない私であるが、しかしエマ・ストーンは作品を選べば非常に優れた俳優であるし、チャーミングな女性である。本作のエマ・ストーンは見事なハマり役で素晴らしかった。そんなエマが演じたビリー・ジーン・キングとは、圧倒的な強さを誇ったテニスプレイヤーで、タイム社による「20世紀における最も重要なアメリカ人100人」に名を連ねる人物である。ビリー・ジーン・キング・イニシアティブの創設者で、ワールド・チーム・テニスの共同創設者。長きにわたり、社会変革と平等を求めて戦っている。行政の援助が行き届かない人々への支援を生涯の使命とし、HIV感染者へのプログラムと財政的支援を、エルトン・ジョンエイズ基金と共に行っているそうだ。私生活では、恋愛結婚した理解ある夫ラリーがいたが、その後レズビアンであることを公表している。作中では、最初の女性の恋人であるマリリンにどうしようもなく惹かれ、揺れ動く様子をエマ・ストーンが繊細に演じているほか、対戦相手であるボビー・リッグスの複雑な背景も丁寧に描き出されており、作品に奥行きを出している。程よくユーモアを散りばめつつ所々に哀愁を漂わせる演出、1970年代の衣装や調度品に彩られた映像がスタイリッシュで素敵だ。全体を通してテンポの良い描写が続き、テニス対決シーンもあっさり描かれるのでそこを楽しみに観た人には期待はずれのようだが、ビリー・ジーンにとってボビーとの対決は、人生をかけた長い闘いの序章に過ぎないのである。それにしても、スティーヴ・カレルが実際のボビー・リッグスが生き写し。エンドロールで確認しよう。