銀幕の愉楽

劇場で観た映画のことを中心に、適当に無責任に書いています。

【映画】ドッグマン

劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’19-47
『ドッグマン』(2018年 イタリア,フランス)

 

うんちく

カンヌ国際映画祭の審査員特別グランプリに輝いた『ゴモラ』『リアリティー』などで知られるイタリアの鬼才マッテオ・ガローネ監督が、1980年代のイタリアで起きた殺人事件をモチーフに描いたドラマ。ガローネ監督に見出された無名の俳優マルチェロ・フォンテが主演を務め、『神様の思し召し』のエドアルド・ペッシェ、ドラマシリーズ「SUBURRA -暗黒街-」などのアダモ・ディオニージらが出演している。イタリアのアカデミー賞にあたるダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞で、作品賞・監督賞を始めとする最多9部門を制し、主演のマルチェロ・フォンテが第71回カンヌ国際映画祭で主演男優賞を獲得した。
 

あらすじ

イタリアのさびれた海辺の町で、犬のトリミングサロン「ドッグマン」を営むマルチェロ。大好きな犬の世話をしながら、愛する娘との時間を大切にし、地元の仲間たちと食事やサッカーを楽しみ、ささやかながら幸せな生活を送っていた。だがその一方で、暴力的な友人シモーネに利用され、支配される関係から抜け出せずにいた。そんなある日、シモーネから持ちかけられた儲け話を断りきれなかったマルチェロは、その代償として仲間たちの信用とサロンの顧客を失い、娘とも会えなくなってしまう。平穏な日々を取り戻そうと考えたマルチェロは、驚くべき計画を立てるが...
 

かんそう

ガローネ監督がカンヌで絶賛された『ゴモラ』は2008年公開。そのころの私は引っ越したばかりの東京で仕事に追われていたため、私生活に関する記憶がすっぽりと抜け落ちており、自分映画史もその時期だけ空白になっている。よってガローネ監督作品を観るのは初めてだし、何なら初めて知った。さびれた街の、荒涼とした風景のなかを”ならず者”が傍若無人に振る舞うさまは、まるで西部劇のよう。この作品の舞台となった場所は、1960年代に栄えたのちゴーストタウン化した海辺の避暑地なんだそうだ。近未来か異世界を思わせるムード、そこはかとない無常感を漂わせ、独特の世界観を創り出すガローネ監督にふさわしいロケーションだ。知らんけどな。「イワンのばか」を思わせる極めて純朴愚直な男が、他人に自分を差し出しすぎて破滅していく。あまりにも不条理な人生だが、あるいは、共依存の成れの果てだ。この物語は、1988年にローマで起きた、ペットグルーマーが自分のサロンで友人を殺害した実話がベースになっている。加害者のピエトロ・デネグリが、元ボクサーのジャンカルロ・リッチに対して指や舌の切断、去勢や頭蓋骨切断など数時間に渡り拷問をおこなったと主張し、イタリア国内が騒然となった。のちに、実際にはそれほどの拷問はおこなわれていないことが判明しているが、凶行に走らせた動機は何だったのか。ピエトロは麻薬中毒者だったという。マルチェロも、ただ温厚で心優しいだけの男ではなく、同様に麻薬中毒であり、まるで何も考えずに強さに屈しているようでいて、その愚かな行動の端々に人間の浅はかな欲望が透けて見えるのが、この物語の何とも薄ら寒いところだろう。その顛末を眺める犬たちのまなざし。私も何かを目撃したのだと思う。記憶に残る映画体験だった。
 
極端なストーリーを通じて、私たちの誰もが抱いている不安、つまり私たちが生きるために日々行っている選択がどんな結果を招くのか、イエスと言い続けてきたことで最早ノーと言えなくなってしまっていること、自分が考える自分と真の自分との差異といった不安に、向き合わせてくれる映画です。こうした深い問い、一人の男の純真さの喪失へのアプローチにおいて、本作は教訓的ではなく“倫理的”で普遍的な映画だと私は思っています。——マッテオ・ガローネ
 

【映画】ロケットマン

劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’19-46
ロケットマン』(2019年 イギリス)
 

うんちく

「Your Song/ユア・ソング(僕の歌は君の歌)」などで知られ、グラミー賞を5度受賞したイギリス出身の伝説的ミュージシャン、エルトン・ジョンの自伝的映画。輝かしい功績で知られる彼の、成功の軌跡と苦悩に満ちた半生を描く。エルトン自身が製作総指揮を手掛け、『ボヘミアン・ラプソディ』の最終監督を務めたデクスター・フレッチャーが監督を務めた。『キングスマン』シリーズのマシュー・ボーン監督が製作に名を連ねている。主演は『キングスマン』シリーズで知られる英若手俳優タロン・エガ―トン。『リヴァプール、最後の恋』などのジェイミー・ベル、『ジュラシック・ワールド』シリーズなどのブライス・ダラス・ハワードらが脇を固める。
 

あらすじ

イギリス郊外ピナー。けんかの絶えない不仲な両親のもと育った少年レジナルド・ドワイトはいつも孤独だったが、天才的な音楽センスを見出され、国立音楽院に入学する。寂しさを紛らわすようにロックに傾倒した少年は、ミュージシャンになることを夢見て古臭い自分の名前を捨て、エルトン・ジョンという新たな名前で音楽活動を始める。そして、後に生涯の友となる作詞家バーニー・トーピンと運命的な出会いを果たし、二人で作った「Your Song/ユア・ソング(僕の歌は君の歌)」のヒットによって、一気にスターダムを駆け上がっていくが...
 

かんそう

オープニングからフルスロットルで、エルトンおじさん登場の出オチ感すごい。っていうかずるい。実のところ、取り立ててエルトン・ジョンのファンではないし、全盛期をリアルタイムで知らないので、私にとってのエルトン・ジョンは、エリザベス女王からナイトの称号を授与された、ちょっと小太りの派手なおじさん。『キングスマン: ゴールデン・サークル』に登場する楽しいおじさん。そういえば『ラブ・アクチュアリー』で再起したミュージシャンのビリーがエルトンのパーティーにお呼ばれしていたなぁ、とか。しかし実際のところ、グラミー賞に5回輝き、シングルとアルバムの総売り上げは3億枚を超え、ミュージシャンの歴代セールスランキングでは、ビートルズエルヴィス・プレスリーマイケル・ジャクソン、マドンナに次いで5位に名を連ねているエルトンおじさん、音楽史に名を残す偉大なミュージシャンなのである。そんなエルトンの半生を描いた本作を観るにあたって、エルトンのことを知らなくても全く問題ない。観終わる頃には、エルトンおじさんのことを大好きになっているからだ。愛を求め、だれかに抱きしめられたかった孤独な少年レジーが、自分自身を抱きしめられるようになるまで。輝かしい功績の光と陰を余すところなく描き出し、エルトンを演じたタロン・エガートンが吹き替えなしで美声を披露しているところも見どころ。ちなみに、映画『ボヘミアン・ラプソディ』で、フレディにロールスロイスのなかで解雇されたクイーンの初代マネージャー、ジョン・リードが重要な人物として登場する。エルトンの元恋人、そして彼を長年にわたってサポートしたマネージャーでもあったからだ。作中ではビジネスに徹する冷酷な人物として描かれているが、ジョン・リードとの恋愛をはじめ、望むような愛を得られず、頂点を極めた者の宿命との闘いのなかでさまざまな依存症に陥り、追い詰められていくエルトンの姿に胸が痛くなる。ただ、エルトンの人生にバーニー・トーピンがいたことに心が救われる。エルトンと作詞家バーニーは今世紀を代表する名ソングライター・コンビであり、まるで兄弟のように信頼し合う一番の親友でもあった。彼なくしてエルトンの成功はなかったであろうし、二人の友情と絆の物語としても見応えがある。繰り返しになるが、例えエルトンを知らなくても、充分に楽しめる良作であった。
 

【映画】永遠に僕のもの

 劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’19-45
『永遠に僕のもの』(2018年 アルゼンチン,スペイン)
 

うんちく

1971年、ブエノスアイレスで連続殺人と強盗の罪で逮捕され、その美しい容姿から"死の天使" "黒の天使”と呼ばれた少年をモデルにしたクライムムービー。『トーク・トゥ・ハー』『オール・アバウト・マイ・マザー』などで知られるスペインの巨匠ペドロ・アルモドバルとその弟のアグスティン・アルモドバルらがプロデューサーに名を連ね、世界各国の映画祭で様々な賞を受賞してきたアルゼンチンのルイス・オルテガが監督を務めた。主演は本作が映画デビューとなるロレンソ・フェロ、『オール・アバウト・マイ・マザー』のセシリア・ロスらが共演している。第71回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門に正式出品され、アルゼンチンでは2018年のNo.1ヒットを記録した。
 

あらすじ

1971年のアルゼンチン・ブエノスアイレス。17歳の美しい少年カルリートスは、幼い頃から他人のものを無性に手に入れたがる性分で、呼吸をするように窃盗を繰り返す毎日を送っていた。真面目で善良な両親は、カルリートスの悪事に気付いていながら、やり直せることを信じて息子を転校させる。新しい学校で出会ったラモンという青年に魅了されたカルリートスは、彼に対して挑発的な態度を取り、気を引こうとする。やがて意気投合した二人は、新しい遊びに熱狂するようにさまざまな犯罪に手を染め、次第に蛮行をエスカレートさせていくが...
 

かんそう

「みんなどうかしてる。もっと自由に生きられるのに」とつぶやきながら、踊るように盗み、息をするように殺す。欲しいものは何でも手に入れるカルリートスにはモデルがいて、アルゼンチンでは知らない人はいないと言われている連続殺人犯カルロス・ロブレド・プッチだ。11件の殺人、1件の殺人未遂、17件の強盗、1件のレイプ、1件のレイプ未遂、1件の性的虐待、2件の誘拐および2件の窃盗の罪で終身刑を言い渡され、「黒い天使」と呼ばれた実際のプッチの顔写真を見て、あまりの美しさに驚いた。ロンブローゾが提唱した生来性犯罪者説(犯罪者は犯罪者となることを先天的に宿命付けられた存在であり、その身体上にはある種の特徴が見られるとする)を覆した人物で、その若さと美貌に人々は熱狂し、当時事件に関わった警官にすら「まるでマリリン・モンローのような美しさだった」と言わしめたという。プッチは中流階級の出身で、比較的良い家庭環境で育っている。にも関わらず、このような蛮行に彼を掻き立てたものは何だったのか。作中でその本質に触れられることはないので想像するしかないが、まったく理解できない。しかし彼は確かに実在しているのだから、観るものは戦慄するのだ。冒頭から、エッジの効いた映像と音楽、目眩く展開に目を奪われる。全体を覆う官能的なムード、鮮烈な印象を残すカットのひとつひとつ、さすがスペイン代表を代表する変態紳士ペドロ・アルモドバル大先生のお仕事、やだ大好物!と思っていたんだが、後半が冗長。あそこで終わっておけばよかったのに。終盤は「ニュー・シネマ・パラダイス」のディレクターズカット版で描かれる後日談くらい蛇足。去り際が潔くない、喋りすぎる男はモテないぞ(関係ない)。
 

【映画】マイ・エンジェル

劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’19-44
『マイ・エンジェル』(2018年 フランス)
 

うんちく

我が子の愛し方が分からないシングルマザーと8歳の娘が織り成す、崩壊と再生の人間ドラマ。写真家として活躍してきたヴァネッサ・フィロが監督および脚本を手掛け、これが長編監督デビューとなる。『アーティスト』でアカデミー賞撮影賞にノミネートされたギヨーム・シフマンが撮影監督を務めた。主演は、『エディット・ピアフ愛の讃歌~』でアカデミー賞主演女優賞を獲得し、最近ではグザヴィエ・ドラン監督の『たかが世界の終わり』などに出演したマリオン・コティヤール。フィロ監督がキャスティングに何ヵ月も費やして発掘した逸材エイリーヌ・アクソイ=エタックス、『ゴール・オブ・ザ・デッド』などのアルバン・ルノワールらが共演している。
 

あらすじ

南フランスのリゾート地、コート・ダジュールの海辺で暮らすシングルマザーのマルレーヌは、8歳の娘エリーを“エンジェル・フェイス”という愛称で慈しみ、貧しいながら気ままな生活を楽しんでいた。しかし酒癖の悪さが祟り、再婚相手との関係が破綻してしまったことで、厳しい現実から目を背けるように家に戻らなくなってしまう。一人取り残され、学校にも家にも居場所を失くしたエリーは、危うげに街を彷徨うようになる。やがて、海辺のトレーラーハウスに住む孤独な青年フリオと知り合い...
 

かんそう

10月に閉館する有楽町スバル座、最後の洋画作品だそうだ。主演マリオン・コティヤール、カンヌ出品作品にも関わらず、国内での扱いが小さいなと思ったら、なるほど広い共感を得がたい作品だった。依存症や育児放棄というテーマを取り上げるとき、その背景を如何ほど映し出すか、という匙加減は難しい。本作において、それは最小限に留められており、機能不全に陥る家庭が抱える困難や負の連鎖について思いを巡らすことができなければ、この母娘の物語に心を寄せることは難しいだろう。美しさと知性を持ち合わせ、作品に安定感をもたらす実力派のマリオン・コティヤール。今作ではラメのアイメイクにスパンコールのミニドレスを身に纏い、差し詰め人間ミラーボールといった様相のパーティーガールを演じている。ものすごく下品だ。絵に描いたようなアバズレだ。ここまで変貌できるマリオン姐さん流石であるが、そんな母親マルレーヌは、学歴も定職もなく、男に依存しながらその日暮らしをしている。彼女は一見、思慮の浅いゲスな振る舞いをしているように見えるが、適切に育てられた経験、つまり愛された記憶を持たず、自分に価値がないと思い込んでいる女性の典型だ。前途の通り具体的に語られることはないが、彼女自身の生い立ちに問題があったことを物語っている。娘を「エンジェル・フェイス」と呼び大切に思いながら、愛し方が分からないでいる。そして精神的にも経済的にも不安定な母親に振り回された揚げ句、ネグレストされる8歳のエリー。それでも母親を慕い続け、やがで絶望し、拒絶するまで、複雑に揺れ動く心の機微を体現した子役エイリーヌ・アクソイ=エテックスの演技が素晴らしい。お互いを大切に思いながら、幸せの在り処はおろか自分たちの居場所すら見つけることができず、迷子ように彷徨う母と娘。南仏コートダジュールの海辺の風景、きらきらと眩い夜の遊園地。リアリズムと夢幻性が入り混じる、どこかシュールな映像が実に美しい。やや凡庸なストーリー展開ながら、その映像世界に引き込まれた。本作が長編初監督作品であるヴァネッサ・フィロは、クシシュトフ・キェシロフスキジョン・カサヴェテスに影響を受けて映画を撮るようになったのだそうだ。いずれも私が敬愛する映画監督で、得体の知れないシンパシーの正体が分かったような気がした。
 

【映画】世界の涯ての鼓動

劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’19-43
『世界の涯ての鼓動』(2017年 イギリス)
 

うんちく

パリ、テキサス』『ベルリン・天使の詩』がカンヌで高く評価され、『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』や『Pina/ピナ・バウシュ 躍り続けるいのち』などのドキュメンタリーが世界的に絶賛されるなど、映画史に残る傑作を生み出し続けるヴィム・ヴェンダース監督。世界中から敬愛されてきた名匠が、運命的に出会った男女が再会を胸にそれぞれの役割を全うしようと苦心するさまを描く。『つぐない』『X-MEN』シリーズなどのジェームズ・マカヴォイ、『リリーのすべて』『光をくれた人』などのアリシア・ヴィキャンデルが出演。
 

あらすじ

フランス・ノルマンディーの海辺にあるホテルで出会い、わずか5日間で恋におちたダニーとジェームズ。互いが生涯の相手であることに気付くが、生物数学者のダニーはグリーンランドの深海に潜り地球上の生命の起源を解明する調査を控え、そしてMI-6の諜報員であるジェームズは東ソマリアに潜入しテロを阻止する危険な任務が待っていた。互いに務めを果たすため別れた2人だったが、ジェームズはソマリア入国後ジハード戦士に拘束されてしまい、ダニーは潜水艇が海底で操縦不能に陥ってしまい、それぞれが極限の死地に立たされてしまう。
 

かんそう

ノルマンディーの美しい浜辺、グリーンランドの広大な海、砂埃が舞い上がる南ソマリアの風景。地球の果て、人間の心の涯てまでを捉えるヴィム・ヴェンダースの圧倒的な映像美で描かれる、壮大な抒情詩。ノルマンディーのホテルで運命的に出会った男女のラブストーリーを軸に物語が展開していくが、彼らはいずれも危険を伴う任務を控えており、それは人類が抱えている課題と深く結びついて、我々に思慮深くあることを求める。ジェームスがダニーに対して「そこにある問題について知り、解決法を探すことができるはずなに、それをしない君は愚かだ」と声を荒げるシーンがある。この作品が持つメッセージのひとつだろう。「愛こそが世界で語られる唯一の言語、かつ唯一の解決法で、いろんな手助けになるものだと私は思っている。」とヴェンダースがインタビューで答えているが、愛の物語を核にすることによって、彼なりの方法で環境問題やイスラム過激派の状況と対峙している。きっと私は、ヴェンダースがこの映画を通して伝えようとしていることの半分も理解していない。あまりにも奥深く、複雑に絡まり合い、幾層にも重なり合ったテーマやメッセージが、空中で散り散りになり、一度観ただけでは、うまく言葉にまとめることができない。それでも心を鷲掴みにされるほど素晴らしく、ヴェンダース作品のなかでも傑作と言えるだろう。ヴィム・ヴェンダースは裏切らない。主演を務めたジェームズ・マカヴォイアリシア・ヴィキャンデルも見事だった。
 
「人間は空や宇宙の惑星に取りつかれているが、地球上の水、大海原は、生命の源。深海には、環境問題を解決するものが多く眠っているかもしれない。なのに、よくわかっていない。その一方で宇宙開発にお金を費やしているが、それはすべて、ばかげた投資に思える」——ヴィム・ヴェンダース
 
イスラム過激派への政治の取り組みは、対話ではなく戦争だった。私たちは人間として、対話で解決する多大な可能性を秘めていると思うが、西側諸国は対話や理解への努力が十分でない。9.11の米同時多発テロ以来、『テロとの戦い』を続け、それによってさらにテロリストを生んできた」——ヴィム・ヴェンダース
 
「私たちはお金を使うほど地球をダメにし、多くの人たちが置き去りにされ、成長の恩恵を受けない。そうした人たちが反乱を起こし、過激化する。(イスラム過激派の)若者の多くは基本的に、他に選択肢がないままジハードに従ったりして、悪い方向へと導かれている。西側諸国がイラク戦争に費やしたお金がもしインフラ構築に使われていたら、イスラム過激派もついえていたのではないか。仕事も作り出せただろうし、病院や学校などを作ることもできただろう」——ヴィム・ヴェンダース
 

【映画】マーウェン

劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’19-42
『マーウェン』(2018年 アメリカ)
 

うんちく

バック・トゥ・ザ・フューチャー』『フォレスト・ガンプ/一期一会』のロバート・ゼメキス監督が、ジェフ・マルムバーグ監督のドキュメンタリー『マーウェンコル』をフィクションとして映画化したヒューマンドラマ。イラストレーターだったマーク・ホーガンキャンプが、ヘイトクライムの被害に遭って全てを失いながらも、独自の世界観でカメラマンとして活躍する姿を描く。主演は、『バイス』『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』『ビューティフル・ボーイ』などのスティーヴ・カレルレスリー・マンダイアン・クルーガー、メリット・ウェヴァーらが共演している。
 

あらすじ

イラストレーターのマーク・ホーガンキャンプは、バーで絡まれた5人の男に暴行され、瀕死の重傷を負う。9日間の昏睡状態から目覚めた彼は、事件はおろか成人後の記憶をほとんど失い、歩くことや食べることもままらない状態だった。脳に障害を抱え、PTSDに苦しむマークはまともな治療も受けられず、セラピー代わりにフィギュアの撮影を始める。自宅の庭に作った空想の世界“マーウェン”では、第2次世界大戦を時代背景にG.Iジョーのホーギー大尉と5人のバービー人形が、迫り来るナチス親衛隊と日々戦いを繰り広げていた。その様子を撮影したマークの写真は次第に評価されるようになり、やがて個展が開かれることになるが...
 

かんそう

2000年4月8日、38歳のマーク・ホーガンキャンプは、ニューヨーク州郊外のバーで出会った若者から暴行を受け、瀕死で放置されているところを発見された。9日後、意識を取り戻した時には事件はおろか、成人後の記憶がほぼなく、食べる、歩く、文字を書くなど基本的なことすらできなかったという。公的な補助が打ち切られてしまい、まともな治療を受けられなくなったホーガンキャンプは、脳に障害を抱え酷い後遺症(PDSD)に苦しみながらも、自分や周囲の人たちを模した6/1フィギュアの写真を撮り始めた。という実話を、ジェフ・マルムバーグ監督がドキュメンタリー映画『マーウェンコル』として公開。それをロバート・ゼメキス監督が映画化したのが本作である。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』『フォレスト・ガンプ/一期一会』などで知られる巨匠、ゼメキス監督の新作として期待されながらも、本国アメリカでは大コケ。初週に1190館で公開され興行収入は2400万ドル。製作費が3900万ドルで、マーケティングや配給にかかったコストを考慮すると4500~5000万ドルの損失が予想されるとのこと。なんということでしょう。そのせいあってか、国内の公開劇場の少なさよ。しかしバック・トゥ・ザ・フューチャー世代はゼメキス監督を無視できないので、とりあえず観た。フィギュアが躍動する”マーウェン”世界のシーンは、人形らしさをしっかりと残しつつも迫力があり、次第に現実世界との線引きが曖昧になり混乱していくさまは、時にスリリングでもあった。バック・トゥ・ザ・フューチャーのファンなら垂涎のシーンもあり、視覚効果も含めてさすがロバート・ゼメキス監督のおしごと。作品を彩る音楽のチョイスが絶妙で、何と言ってもアラン・シルベストリのスコアが見事。にも関わらず、なぜ面白くないのか。おそらく、物語としていまひとつ、全体的にだらだらと締まりが無い。そして身も蓋もないこと言うと、ミスキャストである。フォックス・キャッチャー、バトル・オブ・ザ・セクシーズ、ビューティフル・ボーイ、バイスなどの良作で印象を残してきたスティーブ・カレルは言わずもがな名優だけれども、マークを演じるにはどこか不自然さ、違和感があった。バック・トゥ・ザ・フューチャーでマーティはやっぱマイケル・J・フォックスがいいってエリック・ストルツを降板させたゼメキス監督にしては、残念な判断だったと個人的に思う。果たして観る価値がないかと問われると、これまた微妙なのである。なんとも悩ましい作品であった。
 

【映画】ワイルドライフ

劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’19-41

 

うんちく

ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』『スイス・アーミーマン』などで知られる演技派俳優ポール・ダノが監督を務め、ピューリッァー賞作家リチャード・フォードが1990年に発表した「WILDLIFE」を映画化。『ルビー・スパークス』で共演したパートナーのゾーイ・カザンと共同で脚本・製作も手がけ、幸せな家庭が崩壊していくさまを、14歳の息子の視点を通して描く。ブロークバック・マウンテン』『ナイトクローラー』などのジェイク・ギレンホール、『わたしを離さないで』『ドライヴ』などのキャリー・マリガン、『ヴィジット』などのエド・オクセンボールドが出演。
 

あらすじ

1960年代、カナダとの国境にほど近いモンタナ州の田舎町。14歳のジョーは、ゴルフ場で働く父ジェリーと、家庭を守る母ジャネットのもとで幸せに暮らしていた。ところがある日、突然ゴルフ場の仕事を解雇されてしまったジュリーが、家族を養うため、山火事を食い止める危険な出稼ぎ仕事に旅立ってしまう。残された2人もそれぞれ働くことを余儀なくされ、ジャネットはスイミングプール、ジョーは写真館でのアルバイトを見つける。しかし生活が安定するはずもなく、やがて優しかった母が不安と孤独に苛まれ、生きるために形振り構わなくなっていく姿を目の当たりにしたジョーは...
 

かんそう

ポール・ダノとの最初の接点は、珠玉の名作『リトル・ミス・サンシャイン』だ。テストパイロットになるためにアメリカ空軍士官学校に入るという夢を実現させるまでに「沈黙の誓い」を立てている不幸な15歳を演じ、クセの強い独特の存在感で強烈な印象を残した。その後も『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』『プリズナーズ』『スイス・アーミーマン』など、ポール・トーマス・アンダーソンドゥニ・ヴィルヌーヴら鬼才とのコラボレーションを重ねてきた個性派俳優である。彼が出演しているだけで、何となくその作品を観てみようかなと思うくらいには注目している。そんなポール・ダノジェイク・ギレンホールキャリー・マリガンをキャスティングして映画を撮ると言われれば、観るしかないだろう。それにしても初監督作品にしてこのクオリティとは流石である。「いつの日か映画を作る時は、きっと、家族についての映画を撮るだろうと思っていた」と語るダノの、研ぎ澄まされた感性、この世界を優しく、深く見つめる眼差しで丁寧に紡がれる、父と母、息子の変わりゆく家族のかたち。切ない余韻を残すラストシーンは、実に彼らしくもあり、見事である。ちなみにダノが製作・主演を務めた『ルビー・スパークス』で共演、本作では脚本を共同執筆し、プラベートのパートナーでもあるゾーイ・カザンは、名匠エリア・カザン監督の孫。今後も2人のコラボレーションで生み出されるものに注目していきたい。
 
——『ワイルドライフ』は、両親が変化し、夫婦が崩壊していく姿を見つめる息子の目を通して描かれていきます。両親の関係性は崩れていきますが、彼は成長しなくてはならない。母親、父親、そして息子。この3人全員が大人になっていく物語です。苦悩し、傷つき、幻滅するけれど、愛に導かれた映画でもあります。(ポール・ダノ