銀幕の愉楽

劇場で観た映画のことを中心に、適当に無責任に書いています。

【映画】ボディビルダー

映画日誌’25-55:ボディビルダー

introduction:

世界一のボディビルダーを目指す孤独な男の純粋な夢が狂気へと変わっていく姿を描いたヒューマンドラマ。『HOT SUMMER NIGHTS ホット・サマー・ナイツ』のイライジャ・バイナムが監督・脚本を務め、製作には『ナイトクローラー』の監督ダン・ギルロイとプロデューサーのジェニファー・フォックスが名を連ねる。主演は『クリード 過去の逆襲』のジョナサン・メジャース、『ティル』のヘイリー・ベネット、『Zola ゾラ』のテイラー・ペイジらが出演する。IFBB(国際ボディビルディング・フィットネス連盟)プロボディビルダーの山岸秀匡が日本語字幕監修を担当。(2023年 アメリカ)

story:

アメリカの田舎町で、病気の祖父を介護しながら暮らしている青年キリアン・マドックス。低収入で友人も恋人もおらず孤独な毎日を過ごす彼には、“世界一のボディビルダー”になり、雑誌の表紙を飾るという揺るぎない夢があった。キリアンは夢を叶えるために全てを捧げ、過酷なトレーニングと食事制限に打ち込むが、身体は悲鳴をあげ、社会の不条理と孤立が彼の精神を蝕んでいく。

review:

観る者の耐性が求められる、大変しんどい映画である。ボディビルに取り憑かれた男の内面の崩壊、そして社会との断絶を、淡々と執拗に描いていく。有害な男らしさ、肥大した承認欲求、救いようのない孤独という地獄絵図が完全にホラーである。主演のジョナサン・メジャースが極限まで肉体を鍛え上げて挑んだ演技は素晴らしいの一言だが、「強くなれば愛されるはず」という思い込みが痛々しくて見るに耐えない。居心地の悪さにゴリゴリに心が削られるので、衰弱しているときに観てはいけない。

主人公のキリアンは、介護が必要な祖父と二人暮らしをしており、社会的成功も人間関係もほとんどない。自らに過酷なトレーニングと厳密な食事制限を課し、「筋肉」と「雑誌に載ること」だけを信じて生きている男だ。身も心もバケモノで善人ではないし、全く共感できる人物ではない。感情の激しい変動、対人関係の不安定さ、衝動性などを鑑みるに、キリアンが境界性パーソナリティ障害であることは明白だ。自傷行為としてのボディビルディングのように映る。

ボディビルに生活のすべてを賭ける人々の動機は何なのだ、という純粋な疑問が湧いた。ボディビルにのめり込む「専心」が生まれる論理とプロセスを身体経験の変化から明らかにした研究論文を発見したので、chatGPTに要約してもらったところ(読め)、「筋肉は裏切らない」という信仰の成立、身体が「超越的な他者」になる、専心すればするほど人生は「意味づけ」される、というこらしい。つまり「ボディビルは不確実な世界に「確かな意味」を与えるための身体的実践である」らしいのだ。

社会に居場所を持てない怒り、強烈な孤独と狂気を抱えた彼の悲痛な叫びは、誰にも届かない。掴んだと思った瞬間に、彼の手のひらからこぼれ落ちていく。「面白い人ね」「君面白いね」という言葉が、これほどまでに人を否定する力を持つとは。きっと、誰の心の中にも大小のキリアンがいて、我々はキリアンを切り捨てることができない。私の中の小さなキリアンが、深いところでキリアンに共鳴してしまい目が離せない。そういう意味では、多少大仰ではあるものの、この脚本の凄みを感じる。

少々ぼんやりとした曖昧なラストで分かりづらさはあるけれど、ミッドサマーかよ、という演出で彼の心境の変化の予兆が明確に描かれている。娯楽要素は一ミリもないしサクセスストーリーではないし、努力しても認められないし筋肉があっても尊厳は得られないし、世界は冷たい。でも、私の中の小さなキリアンが、彼を応援してしまう。賛否両論ある癖の強い問題作ではあるが、私にとっては強烈なインパクトを残す重要な映画体験だった。

trailer: