銀幕の愉楽

劇場で観た映画のことを中心に、適当に無責任に書いています。

【映画】バグダッド・カフェ 4Kレストア

映画日誌’24-55:バグダッド・カフェ 4Kレストア

introduction:

アメリカ西部の砂漠に佇む寂れたモーテル「バグダッド・カフェ」に集う人々と、そこに現れたドイツ人旅行者の女性の交流を描いたヒューマンドラマ。監督は『シュガー・ベイビー』などで知られるドイツのパーシー・アドロン。ジェヴェッタ・スティールが歌うテーマ曲「コーリング・ユー」は第61回アカデミー賞歌曲賞にノミネートされたほか、これまでに世界中で100以上のカバー・バージョンを生んでいる。日本では1989年に東京・渋谷のミニシアター「シネマライズ」で初公開され、同館では数か月にわたりロングランヒットし、日本におけるミニシアターブームの象徴となった。1994年には17分の未公開シーンを追加した「完全版」、2008年にはパーシー・アドロン監督がオリジナル版を再編集した「ニュー・ディレクターズ・カット版」が公開されている。そして今年3月に亡くなったアドロン監督監修のもと、4K修復された。(1987年 西ドイツ)

story:

ドイツから夫と共にアメリカ旅行に来たヤスミンは、夫婦喧嘩の末に自分の荷物を持って車を降り、モハーベ砂漠にあるダイナー兼ガソリンスタンド兼モーテル「バグダッド・カフェ」に辿り着く。家庭も仕事もうまくいかずいつも不機嫌なオーナーのブレンダは、得体の知れない訪問者に怪訝な態度を見せる。カフェには、近くのトレーラーハウスに住む老画家ルディ、アンニュイなタトゥーイストのデビー、モーテルの隣にテントを張って住み着いているエリックなど個性的な面々が集い、気怠いムードが漂っていた。しかし朗らかなヤスミンは彼らと打ち解け、次第にブレンダも心を開き、やがて二人はかけがえのない友情で結ばれていく。閑古鳥が鳴いていた店にも活気が戻っていくが…

review:

きっと、世界で一番好きな映画なのだろうと思う。日本で最初に公開された1989年はまだ子どもだったから、おそらく初めて観たのはレンタルビデオ。それからずっと、好きな映画を聞かれたら『バグダッド・カフェ』と答える人生だったけれど、当たり前にそこにありすぎて深く考えたことがなかった。それが今年、パーシー・アドロン監督監修のもと4K修復され、日本のスクリーンに戻ってくるという。夢のようだと思いながら、改めて作品について調べてみれば、権利の関係で日本国内の配信が終了しているではないか。私は慌てて、2019年に発売された4K修復版のDVDを注文した。ずっと当たり前にそこにあると思っていたけれど、今手にしておかなければ、二度と会えないかもしれないのだ。

そして12月になり、劇場での公開が始まった。私はすぐに劇場に駆け込みたかったけれど、最も愛している古い友人を夫に紹介したくて、次の週末まで待った。世界で一番好きな映画は、一生に一度、一番好きな人と分かち合ったほうがいい。しかし私が世界で一番好きな映画は、変わらずにいてくれるだろうか。私自身が変わってしまっていて、期待外れになったらどうしよう、と思いながら暗闇で息を潜める。すわ、私が世界で一番好きな映画は、30年前のインパクトもそのままに、より色鮮やかに輝きを放ち、心を鷲掴みにしてくれた。私はどうしようもない愛おしさと郷愁で、胸がいっぱいになった。

いろんな感情でぐちゃぐちゃになったまま、30年越しにパンフレットを購入し、プロダクション・ノートをじっくり読んだ。別の映画の製作のためにロサンゼルスに滞在していた、西ドイツからの旅行者だったアドロン監督夫妻が、砂漠でマリアンネ・ゼーゲブレヒトとウーピー・コールドバーグのアイデアを思いついたこと。世界中で歌い継がれる珠玉の名曲「コーリング・ユー」の誕生も含めて、それはまるで奇跡のような、魔法のような映画だったのだ。結果としてウーピーではなくCCH・パウンダーがキャスティングされたけれど、色がついていない彼女が演じたからこそ、ブレンダは私たちの心の中に鮮烈な印象を残す。

そして30年越しにこの映画と出会い直して、どうしてあんなに胸が震えたのか分かった気がした。行き詰まったアフロ・アメリカンの家族、ネイティブ・アメリカンのコック、流れ着いてきた世捨て人のような白人たち、修理が必要なコーヒーマシン、単調に繰り返されるバッハの旋律。アメリカ社会の掃き溜めのようなモハーヴェ砂漠の寂れたカフェで、ドイツからやってきた中流階級の太った白人女性が、生活に追われていつも苛立っている黒人女性とかけがえのない友情を育み、殺伐とした人々の孤独を癒していく。まるでおとぎ話だ。しかしそこには本当の温もりがあり、どこまでも「人間らしい」のだ。もう、ずっとこの魔法にかかっていたい。私は生涯、この映画を慈しむだろう。

trailer: