劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’19-31
うんちく
ジャズピアニストのビル・エヴァンス生誕90周年を記念したドキュメンタリー。関係者の証言や、ビル本人の肉声や映像・写真をもとに、数々の名盤を残し、後世のジャズにも大きく影響を与え続けるエヴァンスの51年の生涯を綴る。監督はブルース・スピーゲル。ジャック・ディジョネット、ジョン・ヘンドリックス、トニー・ベネットら当時の共演者、本編の制作中に亡くなったポール・モチアン、ジム・ホール、ボブ・ブルックマイヤー、ビリー・テイラーらも登場するほか、ジャズ史に燦然と輝くそのタイトル曲『ワルツ・フォー・デビイ』のモデルとなった姪のデビイら親族も登場し、貴重なプライベート・ショットの数々が映し出される。世界各国の13もの映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を獲得。なお、これが世界初劇場公開となる。
あらすじ
圧倒的な影響と人気を誇るジャズ・ピアニスト、ビル・エヴァンス。数々の名演、名盤を残した彼の51年の生涯は苦悩に満ちたものであった。1958年にマイルス・デイビスのバンドに加入し「カインド・オブ・ブルー」を制作した当時の様子や、ドラマーのポール・モチアンとベーシストのスコット・ラファロをメンバーに迎えた歴史的名盤「ワルツ・フォー・デビイ」の制作経緯、そしてラファエロの死。彼を苦しめた薬物依存、恋人と兄の自死、死の間際の様子が、親族や近しい関係者の口から語られるなど、これまで未公開だった数々の証言、エバンスの演奏シーンなど貴重なアーカイブで構成されている。
かんそう
いつからジャズを聴き始めたのか、もう忘れてしまった。ジャズに目覚めた頃から、キース・ジャレットの「Melody At Night With You」とビル・エヴァンスの「Waltz for Debby」そしてマイルス・デイヴィスの「Kind of Blue」を飽きるほど聴いた。飽きるほど聴いたのに、聴けば聴くほどに愛が募る。今回、このドキュメンタリーを通して、その理由が分かった気がした。「Waltz for Debby」が愛に満ちた作品であったことを知り、「Kind of Blue」がとてつもないマスター・ピースであることを再認識する。マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーンと並び、ハードバップ以降のモダンジャズの進化に欠かせないピアニストであったビル・エヴァンス。彼が奏でる至上の音楽はどこまでも美しく、大胆で、優しく、端正で、儚い。その詩的で深い音は、心を震わす。その背景に「時間をかけた自殺」と言われる破滅的な人生があったことを目の当たりにする。信頼を寄せていたスコット・ラファロの事故死、長年連れ添った恋人エレインの死、誰よりも敬愛していた兄ハリーの死が、ビルの人生に暗い影を落としていく。死の直前、トニー・ベネットに伝えた「美と真実を追求し、他のことは忘れろ」という言葉。繊細なる彼の内部にある葛藤と矛盾、深い闇から逃れるように、音楽に耽溺したのだろうか。音楽の喜び、その対極にある深い哀しみが、あまりにも切ない。マイルスやコルトレーンだけでなく、ナット・キング・コール、ホレス・シルヴァー、セロニアス・モンク、パド・パウエル、アート・ブレイキー、ソニー・クラーク、キャノンボール・アダレイなど時代を駆け抜けた才能たちの名前が登場し、ビルが遺した珠玉のナンバーが55曲も使われている。ジャズを愛する人間にとっては、大いなるギフトとも言える、素晴らしいドキュメンタリーであった。