映画日誌’23-35:インスペクション ここで生きる
introduction:
本作が長編デビューとなるエレガンス・ブラットン監督が自身の半生をもとに描いたヒューマンドラマ。A24製作。ゲイであることで母に捨てられ、生きるために海兵隊に志願した青年が自らのアイデンティティを貫こうとする姿を映し出す。歌手としても活動する俳優ジェレミー・ポープが主演を務め、第80回ゴールデングローブ賞の最優秀主演男優賞(ドラマ部門)にノミネートされた。(2022年 アメリカ)
story:
イラク戦争が長期化していた2005年のアメリカ。ゲイであることで母に捨てられ、16歳から10年間ホームレス生活を送っていた青年・フレンチは、自身の存在意義を求めて海兵隊に志願入隊する。だが、訓練初日から教官の過酷なしごきに遭い、さらにゲイであることが周囲に知れ渡ると激しい差別にさらされてしまう。理不尽な日々に幾度も心が折れそうになりながらも、毅然と暴力と憎悪に立ち向かうフレンチ。孤立を恐れず、同時に決して他者を見限らない彼の信念は、次第に周囲の意識を変えていく。
review:
米軍における同性愛者の扱いについて、今回初めて知ることになった。現在米軍には1万5千人もの性的マイノリティが所属しており、最大の雇用先と言われている。生きるために志願した青年フレンチのように、他の選択肢がないという社会的構造がある。しかし、米軍において性的マイノリティへの対処が始まったのは1990年代から。
同性愛者の服務禁止規定の撤廃を大統領選の公約に掲げたビル・クリントンが軍の幹部や保守勢力から反対に遭い、妥協策として「DADT:Don’t Ask, Don’t Tell」が連邦法に規定された。同性愛者かどうかを公にしなければ容認するというものであり、本作でもこのDADTがカギになっている。なおその後、オバマ大統領が2011年にDADTを、2016年には同性愛者の服務禁止規定も撤廃した。
ゲイであるがゆえに母親から見放され、16歳から10年にわたるホームレス生活を経て海兵隊に入隊したのち、強い信念で差別や暴力に打ち勝った黒人男性の実話である。モデルになったのは監督・脚本のエレガンス・ブラットン自身。「叩き潰すことで鍛え上げる」海兵隊ブートキャンプでの壮絶なしごき、仲間からのリンチやいじめなど、監督の実体験をもとにありのまま描かれる。
多少荒削りではあるものの、すべてのショットが印象的。ブラットンの映像へのこだわりが垣間見える。そして研ぎ澄まされ、決して饒舌ではない脚本の言葉のひとつひとつがずしりと心に刺さる。登場人物がそれぞれに個性を際立たせ、その心情も余すところなく映し出し、ひとりひとりの背景にまで想いを馳せることができる。コンパクトながら奥行きがあり、心に余韻を残す良作だった。
ブラットンは海兵隊在籍中に映像記録係として映画の制作を開始した。男女ともに鍛え上げられた兵士たちの肉体を「美しい」と感じていた彼は、兵士たちの美しさを引き出すよう撮影していたそうで、それが軍の外部でも話題になり、映像作家として仕事の依頼が来るようになったそうだ。エレガンス・ブラットンという新しい才能との出会いが、今回の一番の収穫かもしれない。次回作を楽しみに待ちたいと思う。