銀幕の愉楽

劇場で観た映画のことを中心に、適当に無責任に書いています。

【映画】永遠の門 ゴッホの見た未来

劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’19-58
『永遠の門 ゴッホの見た未来』(2018年 イギリス,フランス,アメリカ)
 

うんちく

潜水服は蝶の夢を見る』などのジュリアン・シュナーベル監督が、美術史上最も重要かつ人気の高い画家の一人、フィンセント・ファン・ゴッホの人生を映像化した伝記ドラマ。第75回ヴェネチア国際映画祭でワールドプレミアを飾り、ゴッホ役のウィレム・デフォーが男優賞を受賞、アカデミー賞主演男優賞にもノミネートされた。『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』などのオスカー・アイザックのほか、『偽りなき者』などのマッツ・ミケルセン、『潜水服は蝶の夢を見る』でもシュナーベルとタッグを組んだマチュー・アマルリックらが共演する。脚本は、『存在の耐えられない軽さ』のジャン=クロード・カリエール。
 

あらすじ

画家としてパリでは全く評価されていないフィンセント・ファン・ゴッホ。出会ったばかりの画家ゴーギャンの「南へ行け」というひと言によって南フランスのアルルにやってくるが、地元の人々とのあいだでトラブルを起こし、病院に強制入院させられてしまう。やがて弟テオの手引きもあり、待ち望んでいたゴーギャンがアルルを訪れ、唯一才能を認め合った彼との共同生活が始まる。ゴーギャンに心酔し、ますます創作にのめり込むゴッホだったが、その日々も長くは続かず...
 

かんそう

あまりにも有名な画家である。誰もがその名を知り、独特のタッチで描かれた作品について見覚えがあるだろう。日本で最も人気のある画家の一人と言っても過言ではない。今でこそゴッホの作品には億単位の値がつくが、生きているあいだは評価されず、生前に売れた絵はたった一枚だった孤高の天才。そんな彼の唯一理解者であり、支援者であった弟テオとの関係とエピソードが好きな私は、なんとなく劇場に足を運んだ。ゆらゆら揺れる手持ちカメラの映像に酔って気分が悪くなる。ゴッホ自身の視界を表現したと思われるが、無駄に半分ぼやけた映像も虫の居所を悪くさせる。撮影も構図も雑。総じて絵面が雑。とにかく雑なんじゃー。ゴッホが自分だけに見えている美しさを人々に伝えようとした、その世界を体感させようとしているようだが、絶望的に美しくない。どちらかと言えば端正な映像を好む私には、なかなかしんどい2時間だった。さて、ゴッホの波乱に満ちたスキャンダラスな人生もまた、人々が知るところである。ゴッホの最期は、拳銃自殺だったとするのが一般的だが、自殺とするには不自然な点があり他殺説もある。本作は後者を採用しているが、とにかくストーリーに引き込まれないので、その意図が分からない。ゴッホの人生なんて今更みんな知ってるよね!と言わんばかりの端折りっぷり。その代わり、ゴッホがキャンバスと向き合う姿を延々と映し出し、他者との対話を通して「なぜ絵を書き続けるのか」という画家としての使命をつらつらと語らせているが、どうにも冗長で説明くさい。なんにせよ全体的に断片的すぎて、何を描きたいのか分からない。ウィレム・デフォーマッツ・ミケルセンの無駄遣い。マチューおじさんはジュリアン・シュナーベル監督と仲良しだからいいや。ただ、ゴッホの作品を落とし込んだような風景から、よく見知っている作品の数々が生まれるさまは興味深かった。亡くなる少し前、弟テオへの手紙に「それらは不穏な空の下の果てしない麦畑の広がりで、僕は気兼ねせず極度の悲しみと孤独を表現しようと努めた」と綴った、フィンセントの限りない絶望に想いを馳せたのであった。