銀幕の愉楽

劇場で観た映画のことを中心に、適当に無責任に書いています。

【映画】心と体と

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劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’18-28
『心と体と』(2017年 ハンガリー)
 

うんちく

長編デビュー作『私の20世紀』がカンヌでカメラドール<最優秀新人賞>を受賞した、ハンガリーの鬼才イルディコー・エニェディが18年ぶりに発表した長編映画。同じ夢を見ていた男女の、心の交流を描いたラブストーリー。主に舞台で活躍する新星アレクサンドラ・ボルベーイが主演を務め、本作でヨーロッパ映画賞最優秀女優賞を受賞。相手役を演じたゲーザ・モルチャーニは俳優ではなく、ハンガリーの劇場で11年に渡りドラマトゥルクとして活躍したのち、著名な出版社で20年に渡って編集発行人を務めているベテラン編集者。演技未経験であり、本作が映画初出演となる。第67回ベルリン国際映画祭金熊賞など4冠に輝き、第90回アカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされた。
 

あらすじ

ハンガリーブダペスト郊外の食肉処理場。代理職員としてやってきたマーリアはコミュニケーションに難があり、同僚たちになじめず職場で浮いていた。片手が不自由な上司のエンドレは彼女を気遣うが、お互いに不器用でうまく噛み合わない。そんなある日、牛用の交尾薬が盗まれる事件が発生し、犯人を割り出すため、従業員全員が精神分析医のカウンセリングを受ける事態に。すると、2人が同じ夢を見ていたことが明らかになる。2人は夢のなかで”鹿”として出会い、交流していたのだ。奇妙な出来事に驚いた2人は、をれをきっかけに急接近するが……
 

かんそう

稀に見る素晴らしい作品だった。至上の美しさにただ圧倒された。心と体が不完全な男女が織り成す静謐な愛の物語は、セリフのひとつひとつ、印象的なショットが連なるシークエンスがあまりにも美しくて、見ている間じゅう、涙が止まらなかった。時折そういう映画との出会いがあるから、私は劇場通いが止められないのだろう。片手が不自由なエンドレと、言動の数々からアスペルガー症候群であることが見て取れるマーリア。それぞれ、不自由な心と体を持ち、現実の世界では生きづらさと孤独を抱えながら生きている男女が、夢の中で雌雄の鹿となって出会う。イルディコー・エニェディ監督によると、ハンガリーにおいて鹿は、マジャールの民をアジアから導いた神獣なのだそうだ。夢の中では言葉など持たずとも自由に心を通わせているというのに、夢から醒めてしまえば、言葉を持ったばかりに心がすれ違い、何ひとつうまく伝わらない。2人が鹿となって自由に駆ける野山の幻想的な美しさと対照的に挿入される、屠殺場で解体される牛の鮮血は、現実世界の厳しさをまざまざと見せつけられているようで胸が痛む。彼らの生きづらさは、そのまま私たちの生きづらさなのだ。エンドレに強く惹かれながらも、そのアプローチにうまく応えることができずに苦悩するマーリアが、それでもなお、エンドレのためにその困難を克服せんとする姿が微笑ましい。人形のようだった彼女に少しずつ感情が湧き上がり、瞳や口元に輝きが宿る瞬間、世界に触れた喜びを溢れさせたその表情に、心を揺さぶられる。アレクサンドラ・ボルベーイ、ゲーザ・モルチャーニの演技もさることながら、物語を彩る登場人物のそれぞれが魅力的で素晴らしい。深い余韻が胸の奥に残る、忘れがたい傑作。