銀幕の愉楽

劇場で観た映画のことを中心に、適当に無責任に書いています。

【映画】イングランド・イズ・マイン モリッシー、はじまりの物語

劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’19-36
イングランド・イズ・マイン モリッシー、はじまりの物語』(2017年 イギリス)
 

うんちく

痛烈な言葉と独特の音楽性で、1980年代のイギリスの音楽シーンを圧巻した伝説のバンド「ザ・スミス」のフロントマン、スティーヴン・モリッシーの青春時代を描いたドラマ。1976年にマンチェスターで学校をドロップアウトした彼が、苦悩と挫折を乗り越えてミュージシャンとしてのアイデンティティを確立させた「ザ・スミス」結成前夜までを描く。『ダンケルク』のジャック・若き日のモリッシーを演じるのは『ダンケルク』のジャック・ロウデン。ドラマ「ダウントン・アビー」シリーズのジェシカ・ブラウン・フィンドレイらが共演。本作で長編デビューとなるマーク・ギルが監督を務めた。2017年エジンバラ国際映画祭クロージングほか、世界各国の映画祭に出品され高い評価を受けた。
 

あらすじ

1976年、マンチェスター。高校を中退したスティーブン・モリッシーは、ライブに通い詰めてはバンド批評を音楽誌に投稿する毎日を送っていた。家計を助けるために就職しても職場に馴染めず、仕事をサボって詩を書くことで気持ちを慰めていた。そんなある日、美大生のリンダーと出会ったスティーブンは、彼女の勧めでバンドを結成することに。初ライブを成功させ、ミュージシャンになるべく仕事を辞めてしまったスティーブンだったが、彼を待ち受けていたのは挫折や別れだった。そして1982年、あきらめずに音楽を続ける彼の元に、ひとりのギタリストが訪ねてきて...
 

かんそう

もちろん、ザ・スミスをリアルタイムで聴いていたわけではない。気が付いたらモリッシーの音楽が傍らにあった。モリッシーの撫でるようなヴォーカルが心地好く、そのメッセージについて深く考えることなく、その音だけに耳を傾けていたと思う。何となく聴いていただけなので、モリッシーのリリックに孤独や絶望、断絶が綴られていたことなど知らなかった。にも関わらず、強烈な劣等感と疎外感を抱え、生きづらい10代を過ごしていた私に、無意識にもモリッシーのヴォーカルが心に響いていたということは興味深い。オアシスのノエル・ギャラガーとコキ下ろし合っていたことなんかは知っていたけど、大変な毒舌家で皮肉屋、盛大にこじらせたおっさんだということは後々知った。そんなモリッシーの青春を描いたと言われれば多少の興味が湧くもので、生きづらい10代に寄り添ってくれたモリッシーの10代を確認しに行った。確かにタイトルに「はじまりの物語」って書いてあるけど、本当にザ・スミス結成の前日譚に終始している。当然、ザ・スミスの音楽はほぼ流れない。スティーヴンの部屋を訪ねてきたジョニー・マーが爪弾いた美しいフレーズがザ・スミスの始まりを予感させるくらいだ。監督がザ・スミスのコアなファンならば分かるような小ネタをたくさん仕込んでいるらしいのだけど、知らんしなー。ニューヨーク・ドールズロキシーミュージック、セックス・ピストルズモット・ザ・フープルなど、1970年代を代表するアーティストの楽曲で彩られているが、知らんしなー。席に腰を下ろした瞬間、なぜ一人でこの映画を・・・?と不思議に思った隣席のうら若きお嬢さんが静かに寝息を立てておられたが、そりゃそうだ。これは唯一無二のアーティストのことではなく、何者にもなれない人生に悲観したスティーヴン・パトリック・モリッシーという厭世的な若者の、実に鬱屈した青春の物語だ。自分が特別な存在だと自認しながら、自分から動こうとすることはなく、辛辣なライブ評や嘆きの詩を書き殴って自分を受け入れない世界を糾弾することで、プライドを保っている。ああーいらいらするうーと思っているうちに、物語は終わりを迎える。「モリッシー」ではなく「スティーブン」を描くことに徹しているという点は確かにユニークだが、やっぱり正直、カタルシス欲しかった。結論、ザ・スミスのコアなファンじゃないと退屈する。それなのにシンパシーを感じてしまうのは、同じように「スティーブン」だった、ある日の自分を重ねて見るからだろう。