銀幕の愉楽

劇場で観た映画のことを中心に、適当に無責任に書いています。

【映画】アマンダと僕

劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’19-38
『アマンダと僕』(2018年 フランス)
 

うんちく

突然の悲劇で姉を失った青年と、姉が遺した一人娘との絆を描き、第31回東京国際映画祭の東京グランプリと最優秀脚本賞を受賞したドラマ。監督・脚本は、本作が初の日本劇場公開作となるミカエル・アース。主演は『カミーユ、恋はふたたび』『EDEN/エデン』などに出演した注目の若手ヴァンサン・ラコスト、子役は監督が見出した期待の新星イゾール・ミュルトリエ。『グッバイ・ゴダール!』でジャン=リュック・ゴダールのミューズであったアンヌ・ヴィアゼムスキーを演じたステイシー・マーティン、『グッドモーニング・バビロン!』『ザ・プレイヤー』 のグレタ・スカッキなど実力派が脇を固める。
 

あらすじ

パリで便利屋業をしている24歳の青年ダヴィッドは、パリにやってきたレナと出会い、恋に落ちる。穏やかで幸せな日々を送っていたが、思いがけない悲劇で大切な姉のサンドリーヌが帰らぬ人となってしまう。悲しみに暮れるダヴィッドだったが、サンドリーヌには7歳になる娘アマンダがおり、身寄りを失くしひとりぼっちになってしまったアマンダの世話をすることに。まだ若いダヴィッドに7歳の少女の親代わりという役割は荷が重く、一方の幼いアマンダも、母親の死を受け入れられずにいた。それでも必死に生きていこうとする2人の間には、次第に絆が生まれ...
 

かんそう

”Elvis has left the building.”——エルヴィス(プレスリー)はもう帰りました、という比喩が印象的に登場する。このセンテンスは、プレスリーのコンサートが終わっても一向に鳴り止まないアンコールと帰ろうとしない聴衆に向かって、司会者が放ったものだ。転じて、「ショーは終わった」=「楽しいことは終わりました」という意味で使われるようになったという。愛するものを理不尽に奪われ遺された人々が、狂わされた人生に折り合いをつけながら、日々を積み重ねていく物語だ。テロという暴力に晒され、いまなお傷を抱えるパリの社会情勢、パリ市民のいまの暮らしが映し出される。両親の離婚によって寄り添うように生きてきた姉サンドリーヌと弟ダヴィッドの絆、シングルマザーとして一人娘を育てるサンドリーヌと娘アマンダの絆が、いかに優しさと愛に充ちたものであったか丁寧に描かれることによって、突然訪れた悲劇とのコントラスト、奪われてしまった何気ない日常の尊さが強調され、何ともやるせない気持ちにさせる。若くして7歳の子どもの存在に責任を持たなくてはいけなくなったダヴィッドにも自分の人生があり、腹を括れずにいる。一方の幼いアマンダも、母親の死を受け入れることが出来ずにいた。それぞれの哀しみと戸惑いを抱えながら、お互いを必要とし、それを乗り越えていこうとする不器用な2人の姿が胸に迫る。過剰な演出を抑えたその穏やかな描写は、彼らのその後の人生が続いていくことを示唆し、静かな感動を呼ぶ。飾り気のない地味な作品ながら、良作。