銀幕の愉楽

劇場で観た映画のことを中心に、適当に無責任に書いています。

【映画】ブリット=マリーの幸せなひとりだち

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映画日誌’20-27:ブリット=マリーの幸せなひとりだち
 

introduction:

映画版が2016年に公開されて大ヒットした「幸せなひとりぼっち」の 原作者フレドリック・バックマンによる小説 「ブリット=マリーはここにいた」を映画化。笑顔を忘れた主婦業一筋の女性が、新天地で第二の人生を見つけようと奮闘する姿が描かれている。監督は『ボルグ⁄マッケンロー 氷の男と炎の男』 の女優、ツヴァ・ノヴォトニー。『スター・ウォーズ』エピソード1、2でアナキンの母を演じたスウェーデンの国民的女優、 ペルニラ・アウグストが主演を務め、『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』などのペーター・ハーバーらが共演する。(2019年 スウェーデン)
 

story:

スウェーデンに住む専業主婦ブリット=マリーは、結婚して40年。多忙な夫のために毎日食事を作り、 家の中を綺麗に整えておくことが自分の役割だと信じて疑わなかったが、ある日、出張先で夫が倒れたという知らせを受け病院へ駆けつけてみると、夫に付き添っていた長年の愛人と鉢合わせてしまう。これまでの人生を見直すべく、ブリット・マリーはスーツケースひとつで家を出る。しかし働いた経験がほとんどない63歳にまともな職はなく、職業安定所で紹介された仕事は、都会から離れた小さな村ボリのユースセンターの管理人兼、 地域の子供たちの弱小サッカーチームのコーチだった。
 

review:

スウェーデンといえばイケア、ノーベル賞ABBAボルボH&M、リサ・ラーソン・・・北欧の福祉大国。理想国家。みたいなイメージを持っている人もいると思うが、バイキングの国だからな!?
 
バイキングとは西暦800~1000年頃にかけてスカンジナビア半島を拠点に西ヨーロッパ沿岸部の広大な国土を侵略、征服した海賊である。まだキリスト教が伝わっていなかった時代、彼らが信じる神はオーディン。勇敢に戦って死ねばワルキューレという美女の導きでオーディンがいる輝かしい「ヴァルハラ」に行けると信じており、死を恐れるどころか死に急ぐように闘い、殺戮と略奪を繰り返してヨーロッパを恐怖に陥れたという・・・。
 
というわけで、海賊と北欧神話(世界中の中二病男子の憧れ)の国スウェーデンでつくられる映画は個性派揃い。この数年で観た、スウェーデンが舞台の作品を振り返ると『ミッドサマー』『ボーダー 二つの世界』『スイス・アーミーマン』『サーミの血』と、なかなかの強者揃い。押し並べて、北欧の大地に血生臭く土着した生命力みたいなものを、これでもかと見せつけてくる。実にエゲツない。
 
夫に裏切られた主婦が、新天地で再出発。って、型で押したようなプロットだとしても、よくありすぎて食傷気味のテーマだとしても、舞台がスウェーデンなら観てみようかという気になるし、スウェーデンじゃなかったら観に行かなかっただろう。という長い長い前置きで察していただきたいが、ぼ、凡庸〜!!!面白くないとは言わないが、もうちょっと脚本と構成、がんばれたんちゃう・・・?
 
笑顔を失ってしまった女性が、今の夫と結婚した必然性とかさ。登場人物のキャラクターや背景をもう少し際立たせるとかさ。何かが欠けていて、イマイチ共感に欠ける。お涙頂戴のわざとらしいドラマに仕立て上げない分、さすがリアリティを重視するお国柄で好感が持てたものの、ご想像にお任せしますという観客に丸投げのエンディングで、個人的にはもう少しカタルシス欲しかったなぁ。
 
とは言え、消極的な書き方になってしまうが面白くないことはなく、作品全体の雰囲気は素敵だった。また、登場する街の人たちの(いわゆる)人種が多様で、スウェーデンが移民大国であることが分かって興味深い。スウェーデンの人々の暮らしを垣間見ることができるので、興味がある人にはおすすめかもしれない。と、どこまでも消極的。

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【映画】カセットテープ・ダイアリーズ

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映画日誌’20-26:カセットテープ・ダイアリーズ
 

introduction:

1987年のイギリスを舞台に、パキスタン移民の少年がブルース・スプリングスティーンの音楽に影響を受けながら成長していく姿を描いた青春ドラマ。原作はパキスタンに生まれ、現在は英国ガーディアン紙で定評のあるジャーナリストとして活躍するサルフラズ・マンズールの自伝的な回顧録「Greetings from Bury Park: Race, Religion and Rock N’ Roll(原題)」。『ベッカムに恋して』などで知られ、自身もインド系移民であるグリンダ・チャーダが監督を務め、『キャプテン・アメリカ』シリーズのヘイリー・アトウェル、『1917 命をかけた伝令』のディーン=チャールズ・チャップマンらが出演する。
 

story:

1987年、イギリスの小さな田舎町ルートンに暮らす、音楽と詩を書くことが好きなパキスタン系の少年ジャベド。SONYウォークマンペット・ショップ・ボーイズを聴きながら自転車を走らせる彼は、この9月からハイスクールに入学する。幼なじみのマットには恋人ができて日々充実した青春を楽しんでいるが、その一方でジャベドは、古臭い慣習や伝統を重んじる父親との確執、閉鎖的な町の中で受ける人種差別に鬱屈と焦燥を抱えていた。そんなある日、モヤモヤをすべてぶっ飛ばしてくれる、ブルース・スプリングスティーンの音楽と衝撃的に出会い、彼の世界は180度変わり始める。
 

review:

SONYウォークマンから流れてくるのは Pet Shop Boys だし、何と言ってもカセットテープだし、『1917 命をかけた伝令』で蝋人形みたいになってたあの子がシティポップバンドのボーカル風でシンセは未来だぜ!とか言ってるし。なんとも甘酸っぱい1980年代の雰囲気に、いたいけな思い出が蘇って赤面したりしつつ、1987年のビルボード洋楽ヒットチャートを確認してみた。1位は The Bangles の ”Walk Like An Egyptian” だった。週末、MTVの1980年代特集でよく見かけるアレか・・・(遠い目)。
 
その年の18位にランクインしており、作中にも出てくる Tiffany の ”I Think We're Alone Now” を再生してみて、ああ、この曲ね!という発見があったりしたが、とにかく、こういう音が全盛期だった。どういう音かはYouTubeという文明の利器で再生するがいい。まあとにかく Pet Shop Boys はいいよね、時代を超えるよね。ジャベド君なかなかセンスがよろしい。と思っていたら、アメリカを背負う国民的アーティスト、ロック界の「ボス」ことブルース・スプリングスティーンに転向、心酔。シブい。
 
親友のお父さんとボスの件で盛り上がって親友を置いてけぼりにするくらいだから、現代の日本に例えるならおそらく、お父さん世代の長渕剛を聴いてる感じなんだと思われる。あるいは尾崎豊なのかもしれない。ちなみに小生、1枚くらいアルバムを持っていたような気がするものの、ブルース・スプリングスティーンにそれほど興味が無かった。でも、この映画を通して、どこかマッチョな印象を持っていた ”Born in the U.S.A.” の本当の意味を知れたことは良かったと思う。それはイギリスに生まれたパキスタン移民2世のジャベドの叫びでもあっただろう。
 
かつてイギリスの植民地であったインド・パキスタン系移民への差別は、映画『ボヘミアン・ラプソディ』でも描写されていたが、この作品は残酷なほど鮮明にそれが描かれている。作品全体のトーンが明るいので、さほど悲壮感がないのが救いだが、サッチャー時代のイギリスにおいて労働者としても不当な扱いを受け、生きづらい時代だったことがひしひしと伝わってくる。そして、パキスタン人としてムスリムの伝統を頑なに守り、絶対の家長制を強いる父親からの抑圧、親子の確執。鬱屈した毎日のなかで、ブルース・スプリングスティーンの音楽と電撃的に出会い、たくさんの理解者に背中を押されながら、自分の人生を切り開いていくジャベドの姿が頼もしい。青春の疾走感があふれる成長譚と、時代を生き抜く家族の物語に心が温まる作品であった。
 

trailer: 

【映画】パブリック 図書館の奇跡

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映画日誌’20-25:パブリック 図書館の奇跡
 

introduction:

『ヤングガン』シリーズなどで知られる名優で、『ボビー』『星の旅人たち』など映画監督としても活躍するエミリオ・エステベスが製作、監督、脚本、主演を務めたヒューマンドラマ。実際の新聞記事から着想を得て、大寒波の夜に行き場を失ったホームレスたちに占拠された図書館の顛末を描く。『ブルージャスミン』などのアレック・ボールドウィン、『トゥルー・ロマンス』などのクリスチャン・スレイター、『ネオン・デーモン』のジェナ・マローン、『バスキア』などのジェフリー・ライトらが共演。(2018年 アメリカ)
 

story:

オハイオ州シンシナティ公共図書館で、図書館員を務めるスチュアート。ある日、常連の利用者であるホームレスから「今夜は帰らない。ここを占拠する」と告げられる。記録的な大寒波により凍死者が続出していたが、市の緊急シェルターが満杯で彼らの行き場がなくなってしまったのだ。約70人のホームレスの苦境を察したスチュアートは、出入り口を封鎖して3階に立てこもった彼らと行動を共にする。彼らにとっては、代わりの避難場所を求める平和的なデモのつもりだったが、政治的なイメージアップをもくろむ検察官やメディアのセンセーショナルな偏向報道により、スチュアートは心に問題を抱えた”危険人物”に仕立て上げられてしまう。
 

review:

エミリオ・エステベスは『地獄の黙示録』で知られる名優マーティン・シーンの長男で、チャーリー・シーンの兄。ふと、エステベスという姓どこから出てきたのだ?と思ってググったら、マーティン・シーンは芸名なんだそうだ。本名はラモン・ジェラルド・アントニオ・エステベス、父はスペイン人で母はアイルランド人。ハリウッドデビューした1960年当時は人種差別が色濃く、出自が分かりにくい芸名にしたらしい。
 
パパのうんちくは置いといて、息子エミリオ・エステベスは『ヤングガン』シリーズで俳優としても活躍し、映画監督として素敵な作品を世に送り出している。最初の監督作『ボビー』は、ボビーの愛称で親しまれたロバート・F・ケネディが暗殺された日に、事件が起こったアンバサダーホテルに居合わせた人々を描いた群像劇で、『星の旅人たち』は、放浪の旅に出たまま疎遠になっていた1人息子の遺体を引き取りに行った眼科医が、息子が辿るはずだった聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の旅に出る物語だ。実父マーティン・シーンが主演しており、息子への深い愛情と後悔と喪失感を抱きながら直向きに歩き続ける父親の姿に、心を鷲掴みにされたのを覚えている。
 
エミリオ・エステベスは、映画に人生の縮図をぎゅっと閉じ込めてみせる。今作では図書館という公共施設を舞台に、社会の縮図を映し出した。公共とはなにか、という大きな問いとともに。貧富の格差が広がる一方のアメリカにおいて、図書館が行き場を失った人々の生命を守る最後の砦となっており、図書館員はソーシャルワーカーのような役割すら負っている。そのことを知ったエミリオ・エステベスが、10年の歳月をかけてこの作品を完成させたのである。
 
街が大寒波に襲われたある日、行き場を失い図書館に居座ったホームレスたちと行動を共にすることを決意した図書館員のスチュアート。市長選を目前に存在感をアピールしたい検事、行方が知れないホームレスの息子を探している交渉人の刑事、特ダネを掴んで視聴率を取りたいメディア。それぞれの思惑が絡み合い、スチュアートの過去が晒され、「平和なデモ」だったはずの占拠は、危険思想人物がホームレスを人質に立てこもっている事件へと仕立て上げられていく。登場人物の背景を丁寧に描き、ドラマを丹念に作り込むことで、作品に重層的な奥行きを生み出すエミリオ・エステベスの手腕はさすがだ。
 
そしてスチュアートは、スタインベックの「怒りの葡萄」を引用し、社会的弱者の存在を世の中に訴える。1939年に刊行された「怒りの葡萄」は、社会に虐げられ、抑圧される貧しき農民たちの窮状を描き出しているが、その内容から非難され、アメリカの多くの図書館で禁書扱いとなった。それがきっかけとなり、1948年にアメリカ図書館協会が「図書館の権利宣言」を採択。誰もが持つ「知る権利」を保障し、表現の自由を守るために検閲を拒否する、という姿勢を明らかにしたのだ。
 
いわば「怒りの葡萄」は「図書館の公共性」の象徴であり、本と図書館に救われたスチュワートがそれを掲げることの重大さを知れば、館長の「図書館は民主主義の最後の砦だ」という叫びが心に深く突き刺さるだろう。図書館では、出身地や肌の色やジェンダーや宗教や思想が何であろうと、大人も、子どもも、ホームレスも、みんな平等。出自を曖昧にするため「マーティン・シーン」という芸名で活躍した名優を父に持つエミリオ・エステベスが、この映画を撮ったことの意味も考えたりする。いかにも彼らしい、やさしさとユーモアにみちた秀作であった。
 

trailer:

【映画】アングスト/不安

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映画日誌’20-24:アングスト/不安
 

introduction:

実在の殺人鬼ベルナー・クニーセクによる一家惨殺事件を映画化した実録スリラー。監督は本作が唯一の監督作品となるジェラルド・カーグル、撮影、編集は『タンゴ』でアカデミー賞最優秀短編アニメ賞を受賞した世界的映像作家ズビグニェフ・リプチンスキ。冷徹なエレクトロサウンドは元タンジェリン・ドリームアシュ・ラ・テンペルクラウス・シュルツが担当した。『アンダーワールド』などのアーウィンレダーが主演を務める。1983年公開当時、反社会的な内容のため本国では1週間で上映打ち切りになった。(1983年 オーストリア)
 

story:

1980年、オーストリアの刑務所から一人の男が出所する。10年前、理由もなく老女を射殺して10年の禁固刑に服役していたシリアルキラー「K.」だった。幼少期、複雑な家庭環境で虐待を受けてきた彼はサディスト気質を強め、自分の母親をナイフでメッタ刺しにするなどし、自分の周りの人間を死の恐怖に怯えさせることに喜びを覚えるようになっていた。自由の身になった彼は獲物を物色し、人気のない森の中に佇む一軒の豪邸に目を付けるが...
 

review:

1980年に殺人鬼ヴェルナー・クニーセクが起こした一家殺害事件を題材にしている本作は、1983年に『鮮血と絶叫のメロディー/引き裂かれた夜』というタイトルで公開されている。 その反社会的な内容から本国オーストリアでは1週間で上映打ち切りとなり、ヨーロッパ各国で上映禁止となった。イギリスとドイツではビデオの発売も禁止され、アメリカでもXXX指定がついたという。
 
劇場のサイトには、「本作は娯楽を趣旨としたホラー映画ではありません。特殊な撮影手法と奇抜な演出は観る者に取り返しのつかない心的外傷をおよぼす危険性があるため、この手の作品を好まない方、心臓の弱い方はご遠慮下さいますようお願い致します。またご鑑賞の際には自己責任において覚悟して劇場にご来場下さい。」とのアナウンス。
 
よくある残虐表現を求めて肝試し気分で観ると、肩透かしをくらうだろう。その手のサスペンスホラーに比べても、実際の事件と照らし合わせても、拷問や殺害シーンの描写がマイルドなのである。しかしそれで「騙された!」と思うのは少々お門違いだろう。「ホラー映画ではありません。」と書いてある通り、この映画の恐ろしさは、そんなところに潜んではいない。
 
この作品に強い影響を受けたと語る映画監督のギャスパー・ノエは、本作を60回鑑賞したそうだ。多用される長回し、高所からの俯瞰ショットと極端な接写、不自然に揺れを抑えた主観的な映像、ぐるぐると回転する独特のカメラワークやライティングが、観る者を嫌な気持ちにさせる。効果音とどこか噛み合わない、無機質な電子音の音楽が、なんとも言えない気持ち悪さを押し付けてくる。どこまでも冷たく、陰鬱で、シュールだ。そして極め付けは、「K.」を演じたアーウィンレダーの存在感だろう。
 
淡々と、殺人鬼の視点で、犯行の一部始終が描かれていく。被害者の追われる視点ではなく、殺人の恐怖を客観的に追うものでもない。裁判で「女性が私のために恐怖で震えているのが大好きだ。それは中毒のようなもので、絶対に止まらない」「私は単に殺人への欲望から彼らを殺した」と語ったヴェルナー・クニーセクをモデルにした殺人鬼「K.」が、狂気に駆り立てられるようになるまでの過程が、殺人鬼の「主観」によって丹念に描かれる。
 
その暴力性と加害性の裏には、母親からの無関心、親族による様々な虐待があった。その独白を聞かされているうちに、一見、支離滅裂で理解不能な凶行の「合理性」と彼なりの「正当性」を突きつけられる。いつの間にか殺人鬼の主観に同化してしまい、うっかりすると、その人間的な感情の部分に共鳴させられそうになるのだ。この作品の恐ろしさと気持ち悪さについて、ご理解いただけだだろうか。狂気にみちた、映画体験であった・・・。
 

trailer:

【映画】WAVES/ウェイブス

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映画日誌’20-23:WAVES/ウェイブス
 

introduction:

名匠テレンス・マリックの元で腕を磨いてきた、『イット・カムズ・アット・ナイト』などのトレイ・エドワード・シュルツが監督・脚本を務めたドラマ。制作は『ムーンライト』、『レディ・バード』、『ミッドサマー』など、次々と話題作を発表する気鋭の映画スタジオ”A24”。『イット・カムズ・アット・ナイト』に続きシュルツ監督とタッグを組むケルヴィン・ハリソン・Jrが主演を務め、『マンチェスター・バイ・ザ・シー』『ベン・イズ・バック』などのルーカス・ヘッジズNetflix「ロスト・イン・スペース」で注目を集めたテイラー・ラッセルらが共演する。(2019年 アメリカ)
 

story:

フロリダで高校生活を送るタイラーは、成績優秀なレスリング部のエリート選手で、美しい恋人アレクシスもいる。厳格な父親ロナルドとの間に距離を感じながらも、恵まれた家庭に育ち、何不自由ない日々を暮らしていた。そんなある日、肩の負傷により医者から選手生命の危機を告げられる。そして追い討ちをかけるように、恋人の妊娠が判明。人生の歯車が狂い始めた彼は自分を見失い、やがて家族の運命を帰る悲劇が起こってしまう。一年後、心を閉ざして過ごす妹のエミリーの前に、すべての事情を知りつつ好意を寄せるルームが現れ...
 

review:

一言で言うと”A24っぽい”し、なるほど、テレンス・マリックのもとで修行を積んだ人っぽい。悪くないんだけど、嫌いじゃないけど、心が震えるような映画体験ではなかった。場面によって、画面サイズがシネスコ、ビスタ、スタンダードと切り替わる。360度回転したり、独創的なカメラワークだったように思うが、とにかく音楽や映像がガチャガチャしているのだ。
 
「超豪華アーティストによる今の時代を映す名曲の数々。ミュージカルを超えた<プレイリスト・ムービー>の誕生。」との触れ込みで、フランク・オーシャン、ケンドリック・ラマー、H.E.R.、チャンス・ザ・ラッパー、カニエ・ウェスト、SZA、レディオヘッドエイミー・ワインハウスなど、今の音楽シーンを牽引するアーティストたちの31曲が挿入される。シュルツ監督が作成したプレイリストをもとに脚本を着想し、製作されたんだそうだ。
 
ある意味ミュージカルのような、と監督は語っているが、これが不思議なほどに、音楽に陶酔できない映画なのだ。私だけだろうか。演出とは言え、音が割れるほどの大音量では楽曲を楽しめるわけもなく。H.E.R.の”Focus”も、あの美しい旋律が台無しだったし、音楽と映像の美しさを楽しもうと期待していた分、いささか残念であった。
 
兄、妹のパートに切り分けられた構成も、きっと良さもあるのだろうが、過去と未来を行き来させるか、妹と兄の思いが交錯するような演出のほうが感情移入したような気がする。なぜなら、妹とその恋人の物語には共鳴したけど、どこか幼稚な兄とその恋人には何にひとつ共感しなかったからである。題材やプロットは悪くないのに、構成次第で深みや奥行きが出ていないのだ。家族の再生の物語だが、親子の絆どころか兄妹の絆すら、伝わってこないのも残念だ。
 
そんで、この子たち、やたらと走ってる車から顔や足を出すの。『へレディタリー/継承』を思い出すからやーめーてーーーー。と言うわけで、どこか吸引力に欠ける作品ではあったが、実験的な、という意味では、実に”A24らしい”作品だったように思う。A24の看板背負ってるだけで、エッジが効いててアーティスティックでおもしろいんじゃないかって気になってくるけどな。

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【映画】チア・アップ!

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映画日誌’20-22:チア・アップ!
 

introduction:

のちにエマ・ストーン主演で映画化されたドキュメンタリー映画バトル・オブ・ザ・セクシーズ』のザラ・ヘイズ監督が、平均年齢72歳のチアリーディング・チームの奮闘を描いたハートフルコメディ。主演は『ゴッドファーザー』シリーズ、『アニー・ホール』などで知られ、ファッション・アイコンとしても世界中から支持されるダイアン・キートン。『世界にひとつのプレイブック』などのジャッキー・ウィーバー、『マイ・インターン』などのセリア・ウェストン、『ジャッキー・ブラウン』などのパム・グリア、『セッションズ』などのリー・パールマンなど、ベテラン女優らが共演。(2019年 アメリカ)
 

story:

余生をのんびり過ごすため、シニアタウンに引っ越してきたマーサ。お節介焼きの隣人シェリルに「昔、チアリーダーになりたかったの」とこぼしたところ、「夢を叶えるのは今からでも遅くない」と焚き付けられ、チアリーディングクラブを結成することに。しかしオーディションに集まったのは、チア未経験者どころか、腕が上がらない、膝が痛いと身体機能が衰えた平均年齢72歳の8人だった。周囲に嘲笑されながらも、お互いを励まし合いながら特訓に励み、チアリーディング大会に出場を決めるが…。
 

review:

近頃量産されていて、やや食傷気味のシニア向けハートフル・コメディだ。往年の名優が出ていると、つい観に行ってしまうが、そろそろお腹いっぱいだ。本作もダイアン・キートンが出ていなかったら観なかったが、心がほっこりしたものを求めていたのだろう、つい劇場に行ってしまった。だって、きっとかわいい。ダイアン・キートンは相変わらず、お洒落で素敵。どんなに歳を重ねても、そのシワもグレイヘアも素敵。ジャッキー・ウィーバーもキュートでかわいいし、おばあちゃんたちががんばってるだけで、どこまでもかわいい。かわいいは正義。観ている間は、楽しく観た。
 
しかし、いつかどこかで見たようなエピソードをつなぎ合わせ、使い古されたコメディのフォーマットをなぞっていくような映画である。当然、想像を越えるような出来事は起こらない。お年寄りが青春を取り戻す紋切り型のストーリーで、どうにもこうにも、高齢女性たちの人間性に対する敬意が感じられない。登場人物が軒並み、ステレオタイプなのだ。裏を返せば、どこまでも安心して観ていられる、限りなく心臓にやさしい映画なのである。評価されるべき点はそこと、スタント無しでチアをこなした大女優たちの奮闘だろう。
 
日本にも「ジャパン・ポンポン」っていうおばあちゃんたちのチアリーディングチームがあってだな、創設者は最高齢85歳。ザラ・ヘイズ監督は、人生の後半になってからチアリーディングのチームを結成した女性たちの写真に着想を得た、とのことだが、検索しても元ネタが分からなかった。チアリーディングの本場アメリカには当然、グランマたちのチームはあるのだろうな。人生100年っていうし、いつ死ぬか分からないし、他人にどう見られているかなんて気にせずに、自分が楽しいと思うことを楽しんで生きていこうぜ!という実に安直なメッセージではあるが、真理でもある。
 
最後、日本のカルト映画ファンが喜びそうなシーンがあった。夜空に向かって、おかーーーさーーーーーんって言いたくなるやつ。不謹慎を承知で言うが、個人的にはそこが一番ツボだった・・・。
 

trailer: 

【映画】ペイン・アンド・グローリー

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映画日誌’20-21:ペイン・アンド・グローリー
 

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『オール・アバウト・マイ・マザー』『トーク・トゥ・ハー』などで知られるスペインの巨匠ペドロ・アルモドバル監督が、長年タッグを組んできたアントニオ・バンデラスを主演に迎えた自叙伝的ドラマ。アルモドバルのミューズ、ペネロペ・クルスほか、『あなたのママになるために』などのアシエル・エチェアンディア、『エンド・オブ・トンネル』などのレオナルド・スバラーリャのほか、ノラ・ナバス、フリエタ・セラーノらが共演。2019年・第72回カンヌ国際映画祭で主演男優賞を受賞。第92回アカデミー賞でも主演男優賞、国際長編映画賞にノミネートされた。(2019年 スペイン)
 

story:

映画監督として世界的に活躍していたサルバドールは、脊椎の痛みから生きがいを見出せなくなり、心身ともに疲弊していた。引退同然の生活を余儀なくされていた彼は、頻繁に過去を回想するようになる。母親のこと、幼少期に移り住んだスペイン・バレンシアでの出来事、マドリッドでの恋と破局。そんなある日、彼のもとに32年前に撮った作品の上映依頼が届く。思わぬ再会が、心を閉ざしていた彼を過去へと翻らせていくが...
 

review:

スペインの巨匠ペドロ・アルモドバルについては、息子を失った母親を描いた『オール・アバウト・マイ・マザー』、昏睡状態に陥った女性たちを取り巻く物語『トーク・トゥ・ハー』、血の繋がった三世代の女性たちを描いた『ボルベール〈帰郷〉』の「女三部作」も素晴らしかったが、個人的には、アルモドバルの変態性がくっきりと炙り出された『私が生きる肌』が好きだ。狂気と官能にまみれ、残酷で滑稽なのに隅から隅まで美しい。マスク・オブ・ゾロのねっとりした視線すら、芸術的である。
 
淡々と深みを湛えた語り口で、どこか破綻しながらも生きていこうとする人間の愛おしさ、不完全なる人生の可笑しみを描かせたら天才的であるし、緻密に計算された構図、画角をいろどる鮮やかな色彩、丁寧で美しい演出のすべてに終始目を奪われてしまう。アルモドバルの「赤」に魅せられたいちファンとして、本作の公開をとても楽しみにしていた。という前置きをしつつ、正直に言おう。た、退屈!!!特に前半が退屈!睡魔襲ってくるやんけ。これは由々しき事態。まあ、アルモドバルにはたまに裏切られてきたので(『アイム・ソー・エキサイテッド!』とか)驚きはしないけど、ペネロペさんがスペインの肝っ玉母さん演じている系のアルモドバル作品で退屈するとは何事ぞ。
 
なぜか考えてみる。淡々とした語り口はいつものことだが、どことなく画に力がない。たぶん、これが一番の理由だろう。いつも、強烈なインパクトを残すアルモドバルの映像に魅了されていたからか、どこか精彩を欠いていたように感じてしまう。たくましく生きる女性たちの姿、時代に抑圧されたセクシュアリティ、母と子の絆という、アルモドバルが一貫して描き続けてきたテーマがぎゅっと凝縮されているが、どうにもまとまりがなく、吸引力がない。ものすごく集中力が必要だったのかもしれない。たまたま、観たときの心身のコンディションが悪かったか、相性が悪かったのだろうなぁ。
 
振り返ってみれば、もしかすると素晴らしい映画体験だったのかもしれない、と思うからだ。過去の輝きは、今となっては痛みであり、サルバドールを苦しめ続けるが、思いがけず過去と向かい合い、そこにあった愛を知ることで、人生を修復していく。アルモドバルは、絶望と幸福を同時に紡ぎ、想像だにしなかったエンディングに観客を連れていくのだ。やっぱりこの奇才はとんでもないなぁ、と思いつつ、あえて身も蓋もないことを言うならば、そもそもストーリー自体がそんなに面白くなかったんじゃないかと思っている。だって眠かったもん!!!アルモドバルが好きな人にはおすすめ。映画をたまにしか観ない人には勧めない。とか言いながら、アルモドバルが新作を撮れば、きっとまた、観るのだろう。
 

trailer: