銀幕の愉楽

劇場で観た映画のことを中心に、適当に無責任に書いています。

【映画】判決、ふたつの希望

劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’18-58
判決、ふたつの希望』(2017年 レバノン,フランス)

うんちく

クエンティン・タランティーノ監督のアシスタント・カメラマンという経歴を持つレバノン出身ジアド・ドゥエイリ監督が、自身の体験をもとに描いた社会派ドラマ。異なる背景を持つ二人の男の“ささいな口論”が、国家を揺るがす法廷劇にまで発展していくさまを描く。本国で爆発的な大ヒットを記録。各国の映画祭で絶賛され、レバノン映画史上初となる、第90回アカデミー賞外国語映画賞ノミネートの快挙を果たした。主演のひとりカメル・エル・バシャは本作で第74回ベネチア国際映画祭最優秀男優賞を受賞。

あらすじ

レバノンの首都ベイルート。住宅の補修作業をしていたパレスチナ人の現場監督ヤーセルと、キリスト教徒のレバノン人男性トニーが、アパートの水漏れをめぐって口論となる。ヤーセルが漏らした言葉がトニーの猛烈な怒りを買い、ヤーセルもトニーが放った一言に深く尊厳を傷付けられ、二人の対立は法廷へと持ち込まれることに。この裁判をメディアが大々的に報じたことから政治問題に発展し、レバノン全土を揺るがす騒乱が引き起こされる事態となるが...

かんそう

トニーがヤーセルに向かって吐いた『お前らなんかシャロンに抹殺されればよかったんだ』というセリフは、ドゥエイリ監督自身が口論となった相手に言ってしまった言葉そうだ。すぐに謝り解決したそうだが、レバノンに暮らすパレスチナ人にとっては最大の侮辱である。1948年のイスラエル建国を受けて勃発した第一次中東戦争によって70万人以上のパレスチナ人が故郷と家を失い、ヨルダン川西岸地区、ガザ、ヨルダン、レバノンなど周辺諸国に逃れ、難民として困窮を極めた生活を強いられた。そしてレバノンにおいては、イスラエルレバノン侵攻とパレスチナ難民大量虐殺事件など、血で血を洗うような歴史が繰り返されてきた。1982年にイスラエルレバノン侵攻した当時の国防相シャロンだったのである。キリスト教レバノン人とイスラムレバノン人およびパレスチナ人の対立だったレバノン内戦は、シリアの介入やイスラエルの侵攻など外部勢力の影響で完全な混乱状態に陥り、今日のレバノンは主権が誰にあるのか分からないような様相を呈している。
本作では、人種、宗教が異なる二人の間におきた些細な諍いが負の連鎖を生み、様々な宗教的、政治的な思惑を取り込みながら肥大化し、本人たちを置き去りしてレバノン全土を騒乱へと巻き込んでいくさまが描かれる。それは長きに渡るレバノン内戦の縮図となっている。アラブ系キリスト教徒とパレスチナイスラム教徒、どちらにも肩入れしない絶妙で見事な脚本は、イスラム教家庭出身のジアド・ドゥエイリ監督と、キリスト教家庭出身の元妻ジョエル・トゥーマが、離婚手続きのさなかに共同執筆したそうだ。トニーとヤーセルどちらの妻も、頑なに自分の考えを貫き通そうとする夫に対して常に理性的である。法廷で熾烈な論戦を繰り広げる弁護士など、ドラマに組み込まれた人間模様も実に興味深い。主演を務めた二人の素晴らしい演技も相まって、社会派ドラマでありながら、強い求心力を持つエンターテイメント性も秀逸。中東の複雑な歴史を知らずとも、激しく心を揺さぶられることだろう。