銀幕の愉楽

劇場で観た映画のことを中心に、適当に無責任に書いています。

【映画】マイ・エンジェル

劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’19-44
『マイ・エンジェル』(2018年 フランス)
 

うんちく

我が子の愛し方が分からないシングルマザーと8歳の娘が織り成す、崩壊と再生の人間ドラマ。写真家として活躍してきたヴァネッサ・フィロが監督および脚本を手掛け、これが長編監督デビューとなる。『アーティスト』でアカデミー賞撮影賞にノミネートされたギヨーム・シフマンが撮影監督を務めた。主演は、『エディット・ピアフ愛の讃歌~』でアカデミー賞主演女優賞を獲得し、最近ではグザヴィエ・ドラン監督の『たかが世界の終わり』などに出演したマリオン・コティヤール。フィロ監督がキャスティングに何ヵ月も費やして発掘した逸材エイリーヌ・アクソイ=エタックス、『ゴール・オブ・ザ・デッド』などのアルバン・ルノワールらが共演している。
 

あらすじ

南フランスのリゾート地、コート・ダジュールの海辺で暮らすシングルマザーのマルレーヌは、8歳の娘エリーを“エンジェル・フェイス”という愛称で慈しみ、貧しいながら気ままな生活を楽しんでいた。しかし酒癖の悪さが祟り、再婚相手との関係が破綻してしまったことで、厳しい現実から目を背けるように家に戻らなくなってしまう。一人取り残され、学校にも家にも居場所を失くしたエリーは、危うげに街を彷徨うようになる。やがて、海辺のトレーラーハウスに住む孤独な青年フリオと知り合い...
 

かんそう

10月に閉館する有楽町スバル座、最後の洋画作品だそうだ。主演マリオン・コティヤール、カンヌ出品作品にも関わらず、国内での扱いが小さいなと思ったら、なるほど広い共感を得がたい作品だった。依存症や育児放棄というテーマを取り上げるとき、その背景を如何ほど映し出すか、という匙加減は難しい。本作において、それは最小限に留められており、機能不全に陥る家庭が抱える困難や負の連鎖について思いを巡らすことができなければ、この母娘の物語に心を寄せることは難しいだろう。美しさと知性を持ち合わせ、作品に安定感をもたらす実力派のマリオン・コティヤール。今作ではラメのアイメイクにスパンコールのミニドレスを身に纏い、差し詰め人間ミラーボールといった様相のパーティーガールを演じている。ものすごく下品だ。絵に描いたようなアバズレだ。ここまで変貌できるマリオン姐さん流石であるが、そんな母親マルレーヌは、学歴も定職もなく、男に依存しながらその日暮らしをしている。彼女は一見、思慮の浅いゲスな振る舞いをしているように見えるが、適切に育てられた経験、つまり愛された記憶を持たず、自分に価値がないと思い込んでいる女性の典型だ。前途の通り具体的に語られることはないが、彼女自身の生い立ちに問題があったことを物語っている。娘を「エンジェル・フェイス」と呼び大切に思いながら、愛し方が分からないでいる。そして精神的にも経済的にも不安定な母親に振り回された揚げ句、ネグレストされる8歳のエリー。それでも母親を慕い続け、やがで絶望し、拒絶するまで、複雑に揺れ動く心の機微を体現した子役エイリーヌ・アクソイ=エテックスの演技が素晴らしい。お互いを大切に思いながら、幸せの在り処はおろか自分たちの居場所すら見つけることができず、迷子ように彷徨う母と娘。南仏コートダジュールの海辺の風景、きらきらと眩い夜の遊園地。リアリズムと夢幻性が入り混じる、どこかシュールな映像が実に美しい。やや凡庸なストーリー展開ながら、その映像世界に引き込まれた。本作が長編初監督作品であるヴァネッサ・フィロは、クシシュトフ・キェシロフスキジョン・カサヴェテスに影響を受けて映画を撮るようになったのだそうだ。いずれも私が敬愛する映画監督で、得体の知れないシンパシーの正体が分かったような気がした。