銀幕の愉楽

劇場で観た映画のことを中心に、適当に無責任に書いています。

【映画】Girl/ガール

劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’19-40
『Girl/ガール』(2018年 ベルギー)
 

うんちく

トランスジェンダーの少女が、葛藤や苦悩を乗り越えてバレリーナを目指そうとする姿を映し出したドラマ。アントワープ・ロイヤル・バレエ・スクールに通う現役のトップダンサー、ビクトール・ポルスターが500人を超える候補者の中から選ばれ、主演を務めた。ベルギーが世界に誇る振付師でコンテンポラリー界の旗手、シディ・ラルビ・シェルカウイが振り付けを担当。監督はこれが長編デビュー作のルーカス・ドン。2018年・第71回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門に出品され、カメラドール(新人監督賞)、主演のビクトール・ポルスターが最優秀俳優賞を受賞。アカデミー賞外国語映画賞に選出され、ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞にノミネートされている。
 

あらすじ

バレリーナになることを夢見る15歳のララ。男性の体に生まれてきたトランスジェンダーの彼女にとって、それは簡単なことではなかったが、強い意志と才能、娘の夢を全力で応援してくれる父の支えによって、難関の名門バレエ学校に入学を認められる。ララは夢の実現のため、毎日の厳しいレッスンを通して、血のにじむような努力を重ねていく。やがてララが待ち望んでいたホルモン療法が始まるが、思うような効果がなかなか出ない。対して、否応無しに訪れる思春期の身体の変化に対する焦り、クラスメイトからの心無い仕打ちが、徐々に彼女の心と体を追い詰めていくが…
 

かんそう

2009年、ベルギーの新聞に掲載されたバレリーナになるために奮闘するトランスジェンダーの少女の記事に心を動かされたルーカス・ドンが、“必ず彼女を題材にした映画を撮る”という強い思いからアプローチを重ね、約9年の歳月をかけて一本の映画を作り上げた。それが女性ダンサーとして名門バレエ学校に入学を許された少女、ララの物語である。肉体的なギャップはもちろんのこと、男性ダンサーはトウシューズを履かないし、男女では踊るバリエーションも全く異なり、それは他の生徒と比べると遅いスタートであったことを意味するのだろう。課題は山積みで、彼女が血の滲むような努力を重ねる姿を、その表情を、ひたすらカメラが捉えている。彼女を必死に支え、最大の理解者である父親、彼女の心に寄り添うように治療に取り組む医療関係者たち。それでも肉体と精神の均衡を失い、引き裂かれるような思いを心に抱えてきた彼女の壮絶な苦しみが、静謐なタッチながら、エモーショナルに描かれる。その衝撃のラスト・シークエンスは、我々もその痛みを共に味わうことになり、激しく心を揺さぶられる。ララを演じたビクトール・ポルスターは“性別を超越した美しさ”と絶賛される、アントワープ・ロイヤル・バレエ・スクールに通う現役のトップダンサー。本人はシスジェンダーで且つ、初めての映画出演でありながら、心身の葛藤に揺れるララの心の機微を体現し、その佇まいはまさに、性別を超えた圧倒的な美しさを放つ。素晴らしかった。監督はこれが初めての長編作品とのことだが、丁寧な作品作りに好感が持てた。次回作も楽しみである。
 

【映画】ゴールデン・リバー

劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’19-39
『ゴールデン・リバー』(2018年 フランス,スペイン,ルーマニア,ベルギー,アメリカ)
 

うんちく

ゴールドラッシュに湧く1950年代のオレゴンを舞台に、黄金を見分ける化学式を見つけた化学者を追う、殺し屋兄弟と連絡係の顛末を描いたドラマ。『預言者』『ディーパンの闘い』『君と歩く世界』などで知られるフランスの名匠ジャック・オーディアールが初めてハリウッド俳優を指揮し、ウェスタンという新境地に挑んだ。『シカゴ』でアカデミー賞にノミネートされたジョン・C・ライリー、『ザ・マスター』『her/世界でひとつの彼女』などのホアキン・フェニックス、『ブロークバック・マウンテン』『ナイトクローラー』などのジェイク・ギレンホール、同じく『ナイトクローラー』などのリズ・アーメッドらが出演。ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞(監督賞)受賞の快挙を幕開けに、フランスで最も重要な仏アカデミー賞(セザール賞)では9部門にノミネートされ監督賞を含む4部門を制し、リュミエール賞では作品賞を始め3部門を獲得した。
 

あらすじ

時は1851年、オレゴン。「俺たちはシスターズ兄弟だ」──その言葉に誰もが震えあがる、最強の殺し屋兄弟がいた。兄のイーライと弟のチャーリーは、一帯を取り仕切る提督の依頼で、黄金を見分ける化学式を発見した化学者ウォームを始末するべく、仕事仲間の連絡係モリスを追い、サンフランシスコへ南下する。時はゴールド・ラッシュ、金脈を求めて群れをなす採掘者の中に、ウォームの姿もあった。しかし先にウォームと合流したモリスは、彼の人柄と思想に魅せられ、ともに逃亡することを選択する。そこに追いついたシスターズ兄弟も、ウォームからの提案で、黄金を採るため手を組むことに合意する。初めは互いに疑心暗鬼だった2組だが、兄弟もまたモリスと同じようにウォームのカリスマ性に魅せられ、奇妙な友情と絆が生まれていくが...
 

かんそう

スリードを引き起こす邦題と宣伝文句を鵜呑みにすると、予想外の展開に肩透かしをくらうだろう。「一攫千金ウェスタン・サスペンス」て。配給元はギルティ。ゴールドラッシュに湧く無法地帯のアメリカ西部を舞台にしたフレンチノワール風味のヒューマンドラマ、あるいは父親の暴力的支配による呪縛から自らを解放させようとする男たちの無骨なロードムービーである。原作はパトリック・デウィットが2011年に発表し、ブッカー賞の最終候補作に選出された『シスターズ・ブラザーズ』である。原作のタイトル(と原題)の通り、シスター兄弟が辿る魂の物語だ。物語の始まりはゴールドラッシュに沸く1850年代のオレゴン州。それまで辺境の地であった西部は無法地帯でもあり、殺人や暴動、略奪など日常茶飯事であった。そんな時代に暗躍した凄腕の殺し屋シスター兄弟。無敵の強さと純粋さを併せ持つお人好しの兄イーライは、裏稼業から足を洗いたいと考え始めている。そんな兄とは対照的に裏社会で頂点を極めるべく野心を燃やし、少年のような愛らしさを湛えながら凶暴で大酒飲みの弟チャーリーの尻拭いに手を焼いていた。兄イーライを演じたジョン・C・ライリーの好演、弟チャーリーを演じたホアキン・フェニックスの怪演が、この作品の一番の見どころだろう。そして、ユートピアを夢見る理知的な「異邦人」を演じたリズ・アーメット、物語の水先案内人を務めるジェイク・ギレンホール。シスター兄弟を含めた4人の男たちが金塊をめぐって熾烈な騙し合い殺し合いをすると思っていたら大間違いだ。そう思っていた私は睡魔に襲われた(おい)。今回のお目当てだったジェイク・ギレンホールにいたっては出番の少なさに驚かされる。とはいえ、父親から引き継いだ暴力性から解放されること求めていたイーライが最後に辿り着く場所、その静謐なラストシークエンスは、何とも言えない不思議なカタルシスを得る。シスター兄弟の心の旅とも言える道中に散りばめられた数々のドラマ、ジャック・オーディアール監督の仕事が秀逸である。また、35ミリのフィルム撮影にこだわる撮影監督ブノワ・デビエの手による、ぬかるんだ泥道、土埃と馬の糞尿にまみれた町の臭いや、むせ返る男たちの体臭が画面から伝わるような生々しさを湛えた映像が見事だ。そして『グランド・ブダペスト・ホテル』と『シェイプ・オブ・ウォーター』でアカデミー作曲賞を受賞したアレクサンドル・デスプラのスコアが実に素晴らしく、その旋律がこの泥臭い物語を美しいものに昇華させる。総じて見応えある良作であった。
 

【映画】アマンダと僕

劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’19-38
『アマンダと僕』(2018年 フランス)
 

うんちく

突然の悲劇で姉を失った青年と、姉が遺した一人娘との絆を描き、第31回東京国際映画祭の東京グランプリと最優秀脚本賞を受賞したドラマ。監督・脚本は、本作が初の日本劇場公開作となるミカエル・アース。主演は『カミーユ、恋はふたたび』『EDEN/エデン』などに出演した注目の若手ヴァンサン・ラコスト、子役は監督が見出した期待の新星イゾール・ミュルトリエ。『グッバイ・ゴダール!』でジャン=リュック・ゴダールのミューズであったアンヌ・ヴィアゼムスキーを演じたステイシー・マーティン、『グッドモーニング・バビロン!』『ザ・プレイヤー』 のグレタ・スカッキなど実力派が脇を固める。
 

あらすじ

パリで便利屋業をしている24歳の青年ダヴィッドは、パリにやってきたレナと出会い、恋に落ちる。穏やかで幸せな日々を送っていたが、思いがけない悲劇で大切な姉のサンドリーヌが帰らぬ人となってしまう。悲しみに暮れるダヴィッドだったが、サンドリーヌには7歳になる娘アマンダがおり、身寄りを失くしひとりぼっちになってしまったアマンダの世話をすることに。まだ若いダヴィッドに7歳の少女の親代わりという役割は荷が重く、一方の幼いアマンダも、母親の死を受け入れられずにいた。それでも必死に生きていこうとする2人の間には、次第に絆が生まれ...
 

かんそう

”Elvis has left the building.”——エルヴィス(プレスリー)はもう帰りました、という比喩が印象的に登場する。このセンテンスは、プレスリーのコンサートが終わっても一向に鳴り止まないアンコールと帰ろうとしない聴衆に向かって、司会者が放ったものだ。転じて、「ショーは終わった」=「楽しいことは終わりました」という意味で使われるようになったという。愛するものを理不尽に奪われ遺された人々が、狂わされた人生に折り合いをつけながら、日々を積み重ねていく物語だ。テロという暴力に晒され、いまなお傷を抱えるパリの社会情勢、パリ市民のいまの暮らしが映し出される。両親の離婚によって寄り添うように生きてきた姉サンドリーヌと弟ダヴィッドの絆、シングルマザーとして一人娘を育てるサンドリーヌと娘アマンダの絆が、いかに優しさと愛に充ちたものであったか丁寧に描かれることによって、突然訪れた悲劇とのコントラスト、奪われてしまった何気ない日常の尊さが強調され、何ともやるせない気持ちにさせる。若くして7歳の子どもの存在に責任を持たなくてはいけなくなったダヴィッドにも自分の人生があり、腹を括れずにいる。一方の幼いアマンダも、母親の死を受け入れることが出来ずにいた。それぞれの哀しみと戸惑いを抱えながら、お互いを必要とし、それを乗り越えていこうとする不器用な2人の姿が胸に迫る。過剰な演出を抑えたその穏やかな描写は、彼らのその後の人生が続いていくことを示唆し、静かな感動を呼ぶ。飾り気のない地味な作品ながら、良作。
 

【映画】ハウス・ジャック・ビルド

劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’19-37
『ハウス・ジャック・ビルド』(2018年 デンマーク,フランス,スウェーデン)
 

うんちく

奇跡の海』や『ダンサー・イン・ザ・ダーク』で高く評価され、その一方で『アンチクライスト』や『ニンフォマニアック Vol.1/Vol.2』などあらゆるタブーを大胆に切り取った挑発的な作風で物議を醸してきた、鬼才ラース・フォン・トリアーが放つサイコスリラー。理性と狂気が平然と共存したシリアルキラーの内なる葛藤と欲望を、サディスティックに映し出す。主演は『ドラッグストア・カウボーイ』『クラッシュ』などのマット・ディロン。『ベルリン・天使の詩』『ヒトラー ~最期の12日間~』の名優ブルーノ・ガンツ、『パルプ・フィクション』『キル・ビル』などのユマ・サーマン、『アンダー・ザ・シルバーレイク』のライリー・キーオ、『ドッグヴィル』のジェレミー・デイヴィスら個性的なキャストが脇を固める。
 

あらすじ

1970年代、ワシントン州。建築家になることを夢見るハンサムな独身の技師ジャックはある日、車が故障し立ち往生している女性に助けを求められる。ジャックは彼女を車に乗せ修理工場まで送るが、無神経で挑発的な発言を繰り返す彼女に怒りを募らせた彼は、勢いで女性を殺してしまう。それをきっかけに、アートを創作するかのように殺人に没頭するようになってしまったジャック。5つのエピソードを通じて明かされる、彼が “ジャックの家”を建てるまでの12年間とは…。
 

かんそう

ダンサー・イン・ザ・ダーク』で世界中を憂鬱にしたデンマークの異端児ラース・フォン・トリアー。私も入り口は『ダンサー・イン・ザ・ダーク』だったが、それよりも更に救いのない『奇跡の海』で絶望の淵に叩き落とされた。『ドッグヴィル』などの実験的な作品にも圧倒されたし、『ニンフォマニアック Vol.1/Vol.2』などのタブーを描いた挑発的な作品にも大いなる刺激を受けた。が、彼の作品群のうち、理解できずに退屈してしまうものがあるのも事実だ。さて、ナチスを擁護するような発言が問題視されカンヌから追放されていたトリアーは、本作のアウト・オブ・コンペティション部門出品で7年ぶりのカンヌ復帰を果たした。しかし公式上映の際、あまりにも過激で残虐な描写に途中退出者が続出。一方で上映後は盛大なスタンディングオベーションが起き、会場は賛否両論の異様な興奮に包まれたそうだ。なお、アメリカでは業界団体MPAAの審査によって修正版のみ正式上映が許可されたが、日本では無修正完全ノーカット版がR18+指定で公開されることになった。トリアー作品に歪んだ愛情を抱いているファンとしては、それがどんなものだったのか興味津々だったし、本作の公開を心待ちに待っていたものだ。「ジャックが建てた家」を中心に一見関係無さそうな出来事が連なり、一節ごとに歌詞が長くふくらんでいくマザーグースの積み上げ歌『This is The House That Jack Built』から名付けられたタイトルの通り、ジャックが追い求める「理想の家」に、彼が積み重ねた殺人が集約していく。ブルーノ・ガンツ演じる”ヴァージ”の登場によって、ジャックが辿る運命はダンテ「神曲」になぞらえたものと分かるが、日本で生まれ育った人間に、作品が孕む宗教観を理解するのは難しい。劇中にジャックが敬愛するピアニスト、グレン・グールドの演奏風景、デヴィッド・ボウイの「フェイム」が繰り返し登場するのが印象的だ。芸術や音楽の引用によるメタファーがふんだんに盛り込まれているが、これまた難解だ。確かに中盤まで面白く(という表現が憚られるが)観たが、如何せん冗長に感じて退屈する。しかし「世界で最もセンセーショナルな鬼才が、キャリアの集大成のごとく打ち立てた“神をも恐れぬ”衝撃と戦慄の大長編」であることは間違いない。好む、好まざるに関わらず。ラース・フォン・トリアが、自分自身を映し出しただけのことだ。
 

【映画】イングランド・イズ・マイン モリッシー、はじまりの物語

劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’19-36
イングランド・イズ・マイン モリッシー、はじまりの物語』(2017年 イギリス)
 

うんちく

痛烈な言葉と独特の音楽性で、1980年代のイギリスの音楽シーンを圧巻した伝説のバンド「ザ・スミス」のフロントマン、スティーヴン・モリッシーの青春時代を描いたドラマ。1976年にマンチェスターで学校をドロップアウトした彼が、苦悩と挫折を乗り越えてミュージシャンとしてのアイデンティティを確立させた「ザ・スミス」結成前夜までを描く。『ダンケルク』のジャック・若き日のモリッシーを演じるのは『ダンケルク』のジャック・ロウデン。ドラマ「ダウントン・アビー」シリーズのジェシカ・ブラウン・フィンドレイらが共演。本作で長編デビューとなるマーク・ギルが監督を務めた。2017年エジンバラ国際映画祭クロージングほか、世界各国の映画祭に出品され高い評価を受けた。
 

あらすじ

1976年、マンチェスター。高校を中退したスティーブン・モリッシーは、ライブに通い詰めてはバンド批評を音楽誌に投稿する毎日を送っていた。家計を助けるために就職しても職場に馴染めず、仕事をサボって詩を書くことで気持ちを慰めていた。そんなある日、美大生のリンダーと出会ったスティーブンは、彼女の勧めでバンドを結成することに。初ライブを成功させ、ミュージシャンになるべく仕事を辞めてしまったスティーブンだったが、彼を待ち受けていたのは挫折や別れだった。そして1982年、あきらめずに音楽を続ける彼の元に、ひとりのギタリストが訪ねてきて...
 

かんそう

もちろん、ザ・スミスをリアルタイムで聴いていたわけではない。気が付いたらモリッシーの音楽が傍らにあった。モリッシーの撫でるようなヴォーカルが心地好く、そのメッセージについて深く考えることなく、その音だけに耳を傾けていたと思う。何となく聴いていただけなので、モリッシーのリリックに孤独や絶望、断絶が綴られていたことなど知らなかった。にも関わらず、強烈な劣等感と疎外感を抱え、生きづらい10代を過ごしていた私に、無意識にもモリッシーのヴォーカルが心に響いていたということは興味深い。オアシスのノエル・ギャラガーとコキ下ろし合っていたことなんかは知っていたけど、大変な毒舌家で皮肉屋、盛大にこじらせたおっさんだということは後々知った。そんなモリッシーの青春を描いたと言われれば多少の興味が湧くもので、生きづらい10代に寄り添ってくれたモリッシーの10代を確認しに行った。確かにタイトルに「はじまりの物語」って書いてあるけど、本当にザ・スミス結成の前日譚に終始している。当然、ザ・スミスの音楽はほぼ流れない。スティーヴンの部屋を訪ねてきたジョニー・マーが爪弾いた美しいフレーズがザ・スミスの始まりを予感させるくらいだ。監督がザ・スミスのコアなファンならば分かるような小ネタをたくさん仕込んでいるらしいのだけど、知らんしなー。ニューヨーク・ドールズロキシーミュージック、セックス・ピストルズモット・ザ・フープルなど、1970年代を代表するアーティストの楽曲で彩られているが、知らんしなー。席に腰を下ろした瞬間、なぜ一人でこの映画を・・・?と不思議に思った隣席のうら若きお嬢さんが静かに寝息を立てておられたが、そりゃそうだ。これは唯一無二のアーティストのことではなく、何者にもなれない人生に悲観したスティーヴン・パトリック・モリッシーという厭世的な若者の、実に鬱屈した青春の物語だ。自分が特別な存在だと自認しながら、自分から動こうとすることはなく、辛辣なライブ評や嘆きの詩を書き殴って自分を受け入れない世界を糾弾することで、プライドを保っている。ああーいらいらするうーと思っているうちに、物語は終わりを迎える。「モリッシー」ではなく「スティーブン」を描くことに徹しているという点は確かにユニークだが、やっぱり正直、カタルシス欲しかった。結論、ザ・スミスのコアなファンじゃないと退屈する。それなのにシンパシーを感じてしまうのは、同じように「スティーブン」だった、ある日の自分を重ねて見るからだろう。
 

【映画】ベン・イズ・バック

劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’19-35
『ベン・イズ・バック』(2018年 アメリカ)
 

うんちく

薬物依存症の治療施設を抜け出してきた息子を守ろうとする母親の愛情を、サスペンスフルに描いた人間ドラマ。『プリティ・ウーマン』『エリン・ブロコビッチ』などで知られるジュリア・ロバーツ、『マンチェスター・バイ・ザ・シー』『スリー・ビルボード』などのルーカス・ヘッジズが親子を演じる。ルーカスの父親でもあり、名作『ギルバート・グレイプ』の原作・脚本を手がけたピーター・ヘッジズが監督・製作・脚本を務めた。『スリー・ビルボード』などのキャスリン・ニュートン、『犬ヶ島』などのコートニー・B・ヴァンスらが共演。
 

あらすじ

クリスマス・イヴの朝。薬物依存症の治療施設で暮らす19歳のベン・バーンズは突然実家に戻り、家族を驚かせる。母ホリーが久しぶりの再会に喜ぶ一方で、疑い深い妹のアイヴィーや、冷静な継父のニールは、過去の経緯から、ベンが何か問題を起こすのではないかと不安を抱いていた。話し合いの結果、ホリーが監視することを条件に一晩だけ家族と過ごすことを認めれらる。しかしその晩、一家が教会でのクリスマスの催しから戻ると、家の中が荒らされ、愛犬が連れ去られていた。昔の仲間の仕業だと確信したベンは、愛犬を取り戻すため、家を飛び出すが...
 

かんそう

いつかのプリティ・ウーマン、あるいはノッティングヒルの恋人ことジュリア・ロバーツがすっかりお母さんに。非常階段を駆け上がって迎えに来てくれるリチャード・ギアや、街中を駆け回って探してくれるヒュー・グランドが現実世界に実在するわけないけど、その節は、世界中の女子に夢を見させてくれてありがとうございました。さて、第二のキャリアとも言える肝っ玉母さん役が板についてきたジュリア・ロバーツの息子役はルーカス・ヘッジズ。『マンチェスター・バイ・ザ・シー』『スリー・ビルボード』などの秀作に出演し、独特の存在感を放ってきた新進気鋭の若手である。これまでルーカスは父親であるピーター・ヘッジズ監督の作品に出ることを頑なに拒んできたらしいのだけど、脚本を読んだジュリア母さんが息子ベンの適役はお宅の息子しかおらんやないかいと監督に食い下がり、その圧に押されるかたちで出演したそうだ。深刻な薬物依存で更生施設に入所しているはずの息子が突然帰宅し、手放しで歓迎する母親を尻目に戸惑う家族の様子、過去の過ちが引き金となりトラブルに巻き込まれていく24時間がスリリングに描き出される。アメリカでは、病院で処方されるオピオイド鎮痛薬によって薬物依存に陥るケースが後を絶たず、社会問題になっているそうだ。ルーカス演じるベンもその一人で、薬物を手に入れるために手段を選ばず、また、ディーラーとなり売買にまで手を染めていた忌まわしき過去が明かされていく。薬物依存と闘った親子の物語としては、父と息子、2つの手記を元にした『ビューティフル・ボーイ』が秀作だったので、それに比べるとドラマに奥行きがなく、どこかリアリティが無い。ジュリア母ちゃん頑張ってるなー、という感想以外抱かなかったのが正直なところ。せっかくルーカスが意を決して父ちゃんの映画に出たのに、残念である。次に期待したい。
 

【映画】パリ、嘘つきな恋

 劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’19-34
『パリ、嘘つきな恋』(2018年 フランス)
 

うんちく

嘘から始まる恋の行方を描いたラブコメディ。プレイボーイのビジネスマンが、成り行きで嘘をついたまま、車椅子の美女と本気の恋に落ちるさまを描き、フランスで200万人を動員するヒットとなった。フランスの大人気コメディアン、フランク・デュボスクが、監督・脚本・主演と1人3役を務める。『グレート デイズ! -夢に挑んだ父と子-』などのアレクサンドラ・ラミー、『ベティ・ブルー』などのジェラール・ダルモンらが共演。
 

あらすじ

パリの大手シューズ代理店で支社長を務めるジョスランは、女性との関係に一時的な楽しさだけを求める軽薄なプレイボーイ。ある日、他界した母親の家に残されていた車椅子に腰かけていた彼は、偶然その場を訪ねてきた美しい女性ジュリーの気を引くため、とっさに車椅子で生活をしているフリをしてしまう。その嘘を信じたジュリーは、ジョスランに姉のフロランスを紹介する。フロランスは、事故によって車椅子での生活を余儀なくされながらも、バイオリニスト、車椅子テニスの選手として活躍していた。快活で魅力的な彼女に惹かれていくジョスランだったが...
 

かんそう

都会で独りサバイブする女の人生には、ときどきラブコメディが必要なのである。うっかり恋愛の始め方とかきれいさっぱり忘れるからね、あれどうするんだったっけって、自分が何合目にいるのかも分からなくなるからね。かと言って映画が役に立ったことはないけども。さて、今回はフランス映画である。フランスらしいエスプリの効いたような笑いが散りばめられており、つまらないことはないけど、それほど出来の良い映画でもない。ラブコメディはイギリスのほうが面白いな!と身も蓋もないことを言ってみたりしつつ、ほろ苦い大人のラブストーリーにちょっとホロっとしたりもした。やさしい嘘ってあるんだよなぁ。つい言い出せないこととかなぁ。でも嘘はよくない。あと、プレイボーイが本物の愛に出会って人生変わっちゃった系のプロットは使い古された感あるし、そもそも有り得ないから。女泣かせが更生したのを見たことがあるか。私はないぞ。私の愛で変わってくれるかも、って幻想を抱く女子が現れるから、やめなさい。女好きは不治の病なので、残念ながら治りません。要するに主人公ジョスランの女性に対する言動がなかなかクズなので、いまいち共感出来ず。観なくても人生における損失はありません。ジョスランの親友マックスを演じていたジェラール・ダルモンが、ジャン=ジャック・べネックス監督の『ベティ・ブルー』のエディだったと後で気付いて、おお、と思った瞬間が自分的一番の盛り上がりだったかな。