銀幕の愉楽

劇場で観た映画のことを中心に、適当に無責任に書いています。

【映画】サバービコン 仮面を被った街

劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’18-32
『サバービコン 仮面を被った街』(2017年 アメリカ)
 

うんちく

『ファーゴ』『ノーカントリー』のジョエル&イーサン・コーエン兄弟が1999年に手がけた『Suburbicon』という脚本をベースに、1950年代にペンシルベニア州レヴィットタウンで起きた人種差別暴動を織り交ぜてジョージ・クルーニーとグランド・ヘスロヴが物語を完成させたサスペンス。理想のニュータウンの裏側をブラックに描く。『オデッセイ』『ボーン』シリーズなどのマット・デイモン、『めぐりあう時間たち』『アリスのままで』などのオスカー女優ジュリアン・ムーア、『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』などのオスカー・アイザックらが出演。
 

あらすじ

1950年代のアメリカ。第二次大戦後10年間、急増した中産階級のマイホームを持つというアメリカン・ドリームによって、お手頃な住宅が立ち並ぶ閑静な郊外宅地が形成されていた。そのひとつ「サバービコン」で暮らすロッジ家は、主のガードナー、足が不自由な妻ローズと、その面倒を見る妻の姉マーガレット、幼い息子ニッキーの4人暮らし。ある日、ロッジ家の隣にアフリカ系アメリカ人の一家が引っ越してくる。白人だけが暮らすその街に紛れ込んだ黒人一家の存在が、平和な街に不穏な影を落としていく。時を同じくして、自宅に侵入した強盗によりロッジ家の平穏な日々が失われてしまい...
 

かんそう

マット・デイモンが好きだ。ボーンシリーズのシリアスなマットもいいけど、オーシャンズシリーズでジョージ・クルーニーに弄ばれてる鈍臭いマットが好きなので、本作も非常に楽しめた。1950年代のアメリカ人は運動する習慣がなく細身かでっぷりと太っているかのどちらかだったそうで、マットは数ポンド体重を増やして時代に合った体型になっている。太っちょマットが子供用の自転車をキコキコ漕いでる構図は実に美味しかった。と、そんなことはどうでもいい。1950年代の文化世相を忠実に反映させながらも「無名性と同一性」にこだわった街並み、住居、衣装で描かれる「多様性を認めない社会」の闇。1950年代というと、まだマーティン・ルーサー・キングマルコムXもいなくて、全てのものが白人用と黒人用に分かれているような人種差別が厳然とあった時代である。実在のマイヤーズ家もなぜ、この白人の街に引っ越してきたのだろう。中産階級が暮らす閑静な郊外住宅地で安心して暮らせるという幻想を抱いていたのかもしれないが、それはすぐに打ち砕かれる。一家が越してきたことに最初に気づいた郵便配達人は、町中を回って一軒一軒の家に警告。その日の夕方には500人もの近隣住民がマイヤーズ家の前庭に押しかけてきて、中傷するだけでなく南部連合国旗を掲げたり、隣の家の芝生に十字架を立てて燃やしたりしたそうだ。作中にはドキュメンタリー『Crisis in Levittown』の実録映像が散りばめられており、リアルを突きつけられる。黒人が暮らせば犯罪が起きると本気で信じて疑わない人たち。異常である。だが、その当時はそれが「普通」だったのだ。その隣家では、おぞましい欺瞞に満ちた家庭生活が営まれているのに、その脅威に誰も気付かない。終始さすがのコーエン兄弟節で、何もかもが不条理で滑稽、登場人物が全員おかしい。まともなのは、ロッジ家の長男ニッキーとマイヤーズ一家だけだ。アメリカが偉大だった時代として50年代を回想し「タフな米国を取り戻せ」と叫ぶ大統領がいる今だからこそ、このねじ曲がったアメリカの実像を観るべきだろう。
 

【映画】パティ・ケイク$

劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’18-31
パティ・ケイク$』(2017年 アメリカ)
 

うんちく

サンダンス映画祭を皮切りに、各国の映画祭で絶賛された音楽青春ドラマ。ラップで成功しスターになることを夢見る女性が、困難な状況を抜け出そうと奮闘する姿を描く。『シークレット・デイ』のダニエル・マクドナルドが主演を務め、『レイジング・ブル』のキャシー・モリアーティ、コメディアンで女優のブリジット・エヴァレットらが共演。本作が初長編監督作となる新鋭ジェレミー・ジャスパーが脚本のほか、すべての劇中音楽を手掛けた。
 

あらすじ

元ロック歌手で酒浸りの母親、難病を抱え車椅子の祖母と3人で暮らす23歳のパティ。いつかは憧れのラッパーO-Zのように名声を手に入れ、掃き溜めのような地元ニュージャージーから抜け出すことを夢見ているが、金も仕事もなく、太めの体を嘲笑される毎日だった。そんなある日、駐車場で行われていたフリースタイルのラップバトルで因縁の相手を渾身のライムで打ち負かす。諦めかけていた夢に再び挑戦する勇気を手に入れたパティのもとに、正式なオーディションに出場するチャンスが舞い込み...
 

かんそう

パティの家族は、いわゆるホワイト・トラッシュ(あるいはプア・ホワイト、白人の低所得者層)の典型だ。学歴も教養もなく、ハイカロリーなジャンクフードをビールやコーラで流し込むので、肥満も多い。しばしば彼らは映画の題材となるが、もし、映画に出てくるトレーラーハウスがかっこいいと思っている人がいるとしたら、アメリカでは低所得者が”止むを得ず”選んでいるだけだ。日本のテレビなどでその存在が報道されることは少ない。もちろん「ホワイト・トラッシュ(白人のクズ)」なんて蔑称だし、日本で言うと「マイルドヤンキー」以下の「DQN」なので、メディアでそのように呼ばれることはないが、ドナルド・トランプの支持層である彼らの実態をもう少し知る機会があってもいい。と、話が逸れたが、なんらかの才能を武器に貧困から抜け出そうとする若者の青春は、これまでに散々使い古されたテーマである。この作品も定番のプロットをお行儀よく踏襲しているだけだし、その手段がラップとなると女版「8mile」でしかない。そして美しいものをこよなく愛する私は、冒頭、ダブダブに太った品のない母娘を2時間近く眺めることに不安を覚えた。が、いつの間にかひたむき頑張るパティを応援していたし、黒い王子様とのロマンスに胸キュンしたし、終始自分もクラブにいるような没入感でビートに身を委ねていた・・・。正直に自己申告すると、クライマックスでまんまと泣きました。ええ、泣きましたとも。PBNJ最高。ピーナッツバター食べたい。
 

【映画】君の名前で僕を呼んで

劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’18-30
君の名前で僕を呼んで』(2017年 アメリカ)
 

うんちく

1980年代のイタリアを舞台に、17歳と24歳の青年の恋を瑞々しく描いたラブストーリー。アンドレ・アシマンの同名小説を原作に『眺めのいい部屋』『日の名残り』の名匠ジェームズ・アイヴォリーが脚本を執筆、『ミラノ、愛に生きる』のルカ・グァダニーノが監督を務めた。アカデミー賞では作品賞、主演男優賞、脚色賞、歌曲賞の4部門にノミネートされ、見事アイヴォリーがが脚色賞を受賞。主演を務めたティモシー・シャラメは弱冠22歳にしてアカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。『コードネーム U.N.C.L.E.』『ジャコメッティ 最後の肖像』などのアーミー・ハマーが共演。
 

あらすじ

1983年夏、北イタリアの避暑地で家族と過ごしている17歳のエリオ。そこへ、大学教授である父がアメリカから招いた24歳の大学院生オリヴァーがやってくる。父の助手である彼は、夏の間をエリオたち家族と過ごす。自信と知性に満ちたオリヴァーに反発を覚えながらも、一緒に泳いだり、読書したり音楽を聴いたりして過ごすうちに、エリオはいつしか彼に対して特別な思いを抱くようになっていく。やがてふたりは激しい恋に落ちるが、夏の終わりとともにオリヴァーが避暑地を去る日が近付き...
 

かんそう

ペドロ・アルモドバルとグザヴィエ・ドランが絶賛していた本作の公開を待ち焦がれていた私は、公開されるとともに劇場に駆け込んだ。完全に萩尾望都の世界であった・・・(モー様を知らない人のために言い添えておくと、少女漫画の黄金期に少女漫画の枠を超え漫画史に金字塔を打ち立てたカリスマ)。エリオが「残酷な神が支配する」のジェルミにしか見えないモー様崇拝者の弊害と闘いながら観たが、同性愛を扱ってはいるものの、普遍的な恋の物語である。人と人が出会い、どうしようもなく惹かれ合い、ひたむきに求め合う。ただそれだけが、寡黙に繊細に、エモーショナルに描かれる。機知と教養に富んだ会話、テーブルの食事、庭の果実、プール、自転車、ダンス、夏の夜、初めての恋に揺れ動く心、”あなたに知ってほしくて”という愛の告白。何もかもが見惚れるほど美しく、愛おしい。瑞々しいピアノの旋律に彩られた甘美なる愛と、柔らかな光に溢れた映像が素晴らしい。オリヴァーは、エリオと真摯に向き合い、この上なく大切に扱う。”君の名前で僕を呼んで、僕の名前で君を呼ぶ”——完全にひとつに溶け合った心と体を、切り離す痛みはいかほどだろう。感傷に身を委ねるエリオの表情を捉えた長回しのラストショットが切ない。自分以外の誰かに慈しまれた記憶は、心のなかの柔らかく温かい場所となって、受難のときに人を癒す。かつて、そのように愛してくれた人たちの残像を重ね合わせながら、この眩い初恋の一部始終を見届けた。何一つ忘れられない傑作。
 

【映画】女は二度決断する

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劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’18-29
女は二度決断する』(2017年 ドイツ)
 

うんちく

ベルリン、カンヌ、ヴェネチア、世界三大国際映画祭すべてで主要賞受賞経験を持つドイツの名匠ファティ・アキン監督による人間ドラマ。2000年から7年間の間にネオナチNSUがドイツ全土で行った連続テロ事件を基に、無差別テロによって愛する夫と息子の命を奪われたた女性が悲しみと絶望のなかで下す「決断」を描く。主演のダイアン・クルーガーは初めて母国語であるドイツ語で演じた。『顔のないヒトラーたち』などのヨハネス・クリシュや『白いリボン』などのウルリッヒ・トゥクールらが共演。ゴールデン・グローブ外国語映画賞を受賞したほか、数々の映画祭でノミネートされ、カンヌ国際映画祭では主演のダイアン・クルーガー女優賞を獲得している。
 

あらすじ

ドイツ、ハンブルク。カティヤはトルコ移民のヌーリと結婚し、息子ロッコも生まれ、幸せな家庭を築いていた。そんなある日、ヌーリの事務所の前で爆発事件が起き、ヌーリと息子ロッコが犠牲になってしまう。警察は当初、外国人同士の抗争を疑っていたが、やがて在住外国人を狙った人種差別主義やのドイツ人によるテロであることが判明する。容疑者が逮捕され裁判が始まるも、被害者であるにも関わらず人種や前科を持ち出され、思うような結果が出ないことに心の傷を深めていくカティヤ。愛する家族を失った絶望と、憎しみを抱えるカティヤが下す決断とは...
 

かんそう

アキ・カウリスマキの最新作『希望のかなた』でも、“いい人のいい国”だと聞いていたフィンランドで、シリア難民の主人公カーリドがネオナチによる暴力にさらされる場面がある。欧州のほとんどの国で第二次世界大戦後、ナチズムの肯定及びそれに類する発言は全面的に法令上禁止されている。にも関わらず、現代においてネオナチの動きは世界的な拡がりを見せ、多くの国に組織があり国際的なネットワークが築かれている。そして2000年から2007年までの7年間、ドイツ東部チューリンゲン州を拠点にしている「国家社会主義地下組織(NSU)」を名乗るネオナチの男女3人によりトルコ系男性8人、ギリシャ系男性1人、ドイツ人女性警察官1人の計10人を連続殺人した容疑が発覚した。本作はこの事件をベースにしている。経済格差など混迷の続く欧州では、若者たちのフラストレーションの捌け口として、白人至上主義から移民や外国人労働者の排斥運動、暴行・略奪などの犯罪行為が横行しているそうだ。理不尽な暴力によって愛する家族を奪われ、捜査や裁判の過程でも心を引き裂かれていくカティヤの悲しみと絶望を全身全霊で体現したダイアン・クルーガーの演技に心を揺さぶられる。世界中で無差別テロの悲劇が報じられ、報復というかたちで繰り返される暴力は、哀しみの連鎖を生む。カティヤの下した決断の向こうに、何があるのか。言いようのない虚無感を感じながら、もし、自分がカティヤと同じ立場だったら、という自問を胸に抱かずにはいられない。
 

【映画】心と体と

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劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’18-28
『心と体と』(2017年 ハンガリー)
 

うんちく

長編デビュー作『私の20世紀』がカンヌでカメラドール<最優秀新人賞>を受賞した、ハンガリーの鬼才イルディコー・エニェディが18年ぶりに発表した長編映画。同じ夢を見ていた男女の、心の交流を描いたラブストーリー。主に舞台で活躍する新星アレクサンドラ・ボルベーイが主演を務め、本作でヨーロッパ映画賞最優秀女優賞を受賞。相手役を演じたゲーザ・モルチャーニは俳優ではなく、ハンガリーの劇場で11年に渡りドラマトゥルクとして活躍したのち、著名な出版社で20年に渡って編集発行人を務めているベテラン編集者。演技未経験であり、本作が映画初出演となる。第67回ベルリン国際映画祭金熊賞など4冠に輝き、第90回アカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされた。
 

あらすじ

ハンガリーブダペスト郊外の食肉処理場。代理職員としてやってきたマーリアはコミュニケーションに難があり、同僚たちになじめず職場で浮いていた。片手が不自由な上司のエンドレは彼女を気遣うが、お互いに不器用でうまく噛み合わない。そんなある日、牛用の交尾薬が盗まれる事件が発生し、犯人を割り出すため、従業員全員が精神分析医のカウンセリングを受ける事態に。すると、2人が同じ夢を見ていたことが明らかになる。2人は夢のなかで”鹿”として出会い、交流していたのだ。奇妙な出来事に驚いた2人は、をれをきっかけに急接近するが……
 

かんそう

稀に見る素晴らしい作品だった。至上の美しさにただ圧倒された。心と体が不完全な男女が織り成す静謐な愛の物語は、セリフのひとつひとつ、印象的なショットが連なるシークエンスがあまりにも美しくて、見ている間じゅう、涙が止まらなかった。時折そういう映画との出会いがあるから、私は劇場通いが止められないのだろう。片手が不自由なエンドレと、言動の数々からアスペルガー症候群であることが見て取れるマーリア。それぞれ、不自由な心と体を持ち、現実の世界では生きづらさと孤独を抱えながら生きている男女が、夢の中で雌雄の鹿となって出会う。イルディコー・エニェディ監督によると、ハンガリーにおいて鹿は、マジャールの民をアジアから導いた神獣なのだそうだ。夢の中では言葉など持たずとも自由に心を通わせているというのに、夢から醒めてしまえば、言葉を持ったばかりに心がすれ違い、何ひとつうまく伝わらない。2人が鹿となって自由に駆ける野山の幻想的な美しさと対照的に挿入される、屠殺場で解体される牛の鮮血は、現実世界の厳しさをまざまざと見せつけられているようで胸が痛む。彼らの生きづらさは、そのまま私たちの生きづらさなのだ。エンドレに強く惹かれながらも、そのアプローチにうまく応えることができずに苦悩するマーリアが、それでもなお、エンドレのためにその困難を克服せんとする姿が微笑ましい。人形のようだった彼女に少しずつ感情が湧き上がり、瞳や口元に輝きが宿る瞬間、世界に触れた喜びを溢れさせたその表情に、心を揺さぶられる。アレクサンドラ・ボルベーイ、ゲーザ・モルチャーニの演技もさることながら、物語を彩る登場人物のそれぞれが魅力的で素晴らしい。深い余韻が胸の奥に残る、忘れがたい傑作。
 

【映画】レッド・スパロー

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劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’18-27
レッド・スパロー』(2017年 アメリカ)
 

うんちく

33年間、CIAエージェントとして活動したジェイソン・マシューズのベストセラー小説をもとに、将来を断たれたバレリーナが女スパイとなり暗躍するさまを描いたスパイサスペンス。『ウィンターズ・ボーン』『アメリカン・ハッスル』でアカデミー賞にノミネートされ、『世界にひとつのプレイブック』でアカデミー主演女優賞を受賞したジェニファー・ローレンスが主演、『ハンガー・ゲーム』シリーズ3作でジェニファー・ローレンスと組んだフランシス・ローレンスが監督を務める。『ラビング 愛という名前のふたり』などのジョエル・エドガートン、『君と歩く世界』などのマティアス・スーナールツのほか、ジェレミー・アイアンズシャーロット・ランプリングら実力派が共演する。
 

あらすじ

舞台上でのトラブルによって大怪我を負い、バレリーナとしての道を断たれ、ボリショイ・バレエ団での地位を失ったドミニカ・エゴロワ。病気の母親の治療費を工面するため、ロシア情報庁の幹部である叔父のワーニャの指示により、ロシア政府直属のスパイ養成機関に送られる。美貌を活かして標的を誘惑し、心理操作で情報を入手する「スパロー」として育てられた彼女は、瞬く間にその才能を発揮。ロシア情報庁の上層部に潜む、アメリカとの内通者を探る任務を任され、その鍵を握るCIA捜査官ネイト・ナッシュに近付くが...
 

かんそう

ロシアこわいよー。ワーニャおじさんを演じた俳優がプーチン似だよー。ハニートラップを仕掛けるロシアの美しき女スパイと言うと、アンナ・チャップマンを思い出す人も多いだろう。裏切った女スパイは殺されてバラバラにされるらしいが、FBIのおとり操作にあっさり身元が割れた三流スパイのチャップマンさんは、アメリカ国外追放処分を受けただけで、国に戻ったら英雄扱いだったそうだ。闇が深い。しかし、ジェニファー・ローレンス演じるドミニカは一流なので米露両国を手玉に取る。何を考えているのかさっぱり分からないミステリアスなジェニファー・ローレンスの美しさが正しく活用されており、観客すら手玉に取る。初披露されたフルヌードはその迫力によって男を萎えさせるという前代未聞の展開で、非常によい。拷問シーンはなかなかグロいので閲覧注意だが、アクションは少なめ。騙し合い、そして駆け引き、絶え間ない心理戦がスリリングで、次々と予想を裏切っていく先が読めない展開とテンポの良さで中弛みすることなく、長丁場も苦にならない。世間的には賛否両論のようだが、ジェニファー・ローレンス目当てのおじさんとしてはジェニファー・ローレンスを堪能できて楽しめたのであった。
 

【映画】さよなら、僕のマンハッタン

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劇場で観た映画を適当に紹介するシリーズ’18-26
さよなら、僕のマンハッタン』(2017年 アメリカ)
 

うんちく

(500)日のサマー』でデビューし、ハリウッド大作『アメイジングスパイダーマン』シリーズを経て、前作『gifted/ギフテッド』で家族の絆を描いたマーク・ウェブ監督が描く青春ドラマ。セントラル・パーク、ブルックリン美術館、パティ・スミスも働いた古書店などNYの名所の数々を舞台に、サイモン&ガーファンクルの名曲「The Only Living Boy In New York」にのせて、悩める青年トーマスの成長が描かれる。主演は『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』の出演が決定している新鋭カラム・ターナー。『007』シリーズなどのピアース・ブロスナン、『キングスマン:ゴールデン・サークル』などのジェフ・ブリッジス、『アンダーワールド』シリーズなどのケイト・ベッキンセイルらが共演している。
 

あらすじ

大学卒業を機にアッパー・ウエストサイドにある親元を離れ、ロウワー・イーストサイドで一人暮らしを始めたトーマス。W.F.ジェラルドと名乗る風変わりな隣人と出会い、彼からさまざまなアドバイスを受けるようになる。ある日、思いを寄せる女友達のミミとナイトクラブに出掛けたトーマスは、父イーサンと愛人ジョハンナの密会現場に出くわしてしまう。父とジョハンナを引き離そうと躍起になるトーマスだったが、そうこうするうちに彼女の魅了されてしまい……
 

かんそう

ブラックリスト(映画化が実現していない優秀脚本リスト)”に選ばれ、『(500)日のサマー』より以前に脚本に惚れ込んだマーク・ウェブ監督が、10年以上映画化を熱望してきたんだそうだ。ほうほう、そりゃ面白いだろうと喜び勇んで観に行ったんだが、でもなんだかなー。ニューヨークの街並みや空気感を捉えた映像や音楽は素晴らしかったが、そりゃないぜっていうありえない展開にズッコケる起承転結。まだ大人でもない、だからと言って子供でもない、何者にもなっていない青年が、青春の息苦しさから脱却していく「大人への通過儀礼」を描くには、ちょっと拵えが過ぎている。すべてに作為的なものを感じて、名優たちの演技ですら妙に鼻につく。脚本がよくないのだろうか(元も子もない)。大きな声では言えないが、苦手なウディ・アレンと同じ匂いがしてアレルギーが出る。そしてマーク・ウェブ監督、制作を重ねるにつれ演出や構成が凡庸になってきてない?スパイダーマンで挫折したからだろうか。どうでもいいけどマンハッタンのアッパー・ウエストサイドに生まれ育った主人公トーマスがなんであんなに野暮ったいのよ。『(500)日のサマー』は素敵な映画だった。本当に素敵な映画だった・・・・・・